失われた20年と百武すい星
失われた20年とは、バブル以降の日本の政策と方向に確たるものがないまま、目先の結果主義がはびこり、上に立つ能力のない人によって運営された日本の状況を言います。
ビジネスにおいても政治においても、これ以上下がない、、というレベルまで落ち込み、能力のある人、人間性の高い人は角に追いやられ、その総決算がこれから始まるところに来ています。
どの組織に置いても、実力のない人が上に立ち、その周りにはイエスマンが取り巻き、自動的に上がる利益を仲間内で分け合うだけの運営が続いた20年でもありました。
その間に日本では売れるものが作れなくなり、内需は低賃金に抑えられているために振るわず、能力のある者は煙たがられ、次なる物や、新しい物やサービスを作れぬまま、ここまで来たのです。
生活はつまらぬパターン化に陥り、民心の活気は消え、何とも言えぬ不満だけが渦巻くストレス社会を作りました。
上に立つものがおかしいと、すべてがうまくいかなくなります。その実験を日本は20年も続けたのです。
その間に日本は一流国どころか、二流国以下に落ち込む部分も多く、国力を失いつつあります。
これだけ働き、これだけ我慢しているにも関わらず、日本人は決して豊かになれない。一部の上の上だけが肥えて、他は皆ひもじい生活を段々と与儀亡くされて来ている。
このままでは将来の夢や計画すら立てることがかなわず、結婚して子供を産もうとの気持ちも絵空事となる。
意図的にこうしたとまでは言わないが、かなりの部分、国を売り渡すような気持ちがなければ、取りえなかった政策の結果であるともいえる。
自分だけが良ければ、、、の人間の弱さを巧みについたやり方であったが、その結果は誰一人得しない社会を作って行った。
20年前に実は、天の異変がありました。
おそらく皆さんはこんなことは信じようともしないでしょうが、私は星を読む仕事でもあって、20年前の天の異変に気付いていました。
気づいていた、というより、それは恐れに近い気持ちでした。
今から20年前、正確に言うと1996年、21年前の3月24日の晩、、、それは今世紀最大の彗星が上空を通過する日でした。
わずか数か月前に百武さんが発見した百武すい星の出現でした。
この彗星はヨーロッパでも日本の都市部でもほとんど見られなかったため、あまり大きな現象との印象がありません。
私は百武すい星を見に、長野県の山中に出かけ、彗星の出現を待ちました。夕方にぼんやりその姿を現した彗星は夜の深みと共に漆黒の中にはっきりと全貌を表したのです。
百武すい星を実際に見た人は、皆一様に、「あれは最高の彗星であんな彗星はこれまでに見たこともないし、これからも、おそらく見られるとも思えない」と、誰もが言います。
実際にその通りなのです。物凄い彗星でした。全天の半分ほどを占める巨大なとんでもない彗星の姿でした。
翌年に最大の彗星と言われたへーるポップ彗星を多くの人は言いますが、実際に観測した人に言わせれば、問題外で百武すい星が凄いといいます。
百武彗星の巨大さを別として、私がさらに驚いたのは、彗星の巨大な尾が、北斗七星のししゃくを貫いていたのです。
北斗のししゃくを貫く、、、天の水がこぼれる、、直観した私は時代が変わることを知ったのです。
天の異変が地上に影響を与えるなど、星読みにしか理解できないことですが、私の直観は疑いないものでした。
時代が変わる、、、しかも、天の水が漏れるように、、、すなわち、つまらぬ人為が大きな原理に勝つ、不毛の時代の到来を知った瞬間でした。
そして21年の月日がたち、私の予感はその通りとなりました。しかし、何であれ、時代にはいつでも天の時と地の時があります。
天の水が漏れ尽くし、枯れ果てた末の時代を私たちはこれから受け入れるしかありませんが、それだけではないのです。
これからもかなりの負担や不安を掻き立てる一面で、さらに大きな扉を開けられる機会ともなるのです。
次回のブログでは、天の水が枯れ果てた後の立て直しについて、語らせていただきたいと思います。
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