作用のない生き方
人は誰でも生まれてきた以上、自分として生まれた意味があります。
きれいごとや理想でそう言うのではなく、法則が理解できたらそれが事実であることに気づきます。
なんで、顔がみんな違うのか、、、なんで声が違うのか、、、体形も違うのか、、人は誰でもその人特有の個別性をもっています。
その個別による作用は、その人にしかできないものです。そこに意味があります。
個別性は優劣とはまったく違います。私たちは自身を優劣の価値観でとらえて、落ち込んだりがっかりしたり、自分を卑下したりしがちです。
しかし、個別性にこそ意味があるとしたら、それは無意味な考えであり、害ですらあることがわかると思います。
作用に意味があるとなれば、個別性が大切であることがわかります。
作用にこそ意味があるとは、これがエネルギーの法則だからです。作用すれば、必ず反作用が戻ってきます。この反作用が宇宙の本当の力です。
作用の個別性があるため、宇宙ではまったく同じ作用は存在しません。そこに意味があります。
風に揺れる木々の葉を見ていると、いつも同じように揺れているように見えますが、実際はまったく同じに揺れることはありません。
1000年も生きながらえている大木の葉は、1000年の間、一度としてまったく同じ動きをしたことはないはずです。無数の葉が揺れる、、、その風の強さは異なり、温度は異なり、隣同士の葉の成長度合いも違う、葉擦れの音が織りなす変化もあり、葉が同じに動くことは絶対にありえないのです。
何十億人いる人の顔があきらかに全員違うように、葉の動きは二度と同じ再現をすることはありません。
優劣ではないのです。個別性が大事なのです。有志以来、葉の動きと同じく、地上に吹く風も湿度も似たようなケースはもちろんありますが、まったく同じということは絶対にないのです。
すべてが新たな作用として表現されているから、この地上も宇宙もその反作用が途絶えることなく、生き生きと生きていくわけです。
しかし、優劣の価値にそまってしまった人間の考えでは、誰かのようになろうとする、、、優位に立とうとする、、、最終的に金、地位、権力、美貌などを目指す、、、
優劣をつけようとすると同じ結果を求めることになります。
飯島先生は「間違わないようにでは練習しておかなくてちゃ」という人の言葉を聞いて、「人生に練習なんかあるんですか」とおっしゃったのを聞いたことがあります。
一時一時が真実であり、無駄な時間もなければ、特別に大事な時間ももしかしたらないのかもしれない。
すべての時、流れ、瞬間は一時だけのものであり、同じものはこれまでになく、これからもないのです。
作用、、、飯島先生は、チューナーを叩くのを見て、本当にいい音が出せたら、もう死んじゃってもいいよね、、、とおっしゃったので、私は驚いたことがあります。
良い音を出すという素晴らしい作用に対して、どんな反作用が戻るかを先生はご存じだったからです。
作用の中でも、命はひとつ、、、という視点に立った作用なら、宇宙全体を成長させる反作用が訪れることとなるわけです。
自分という枠内からの作用でも、もちろん反作用は戻りますが、限定された枠内でのものとなります。
広く深い意識が伴った作用には、宇宙大の反作用が訪れる、、そのために、私たちは自分でしかできない偉大な作用がなせるように個別性が与えられています。
病院で大勢の最後を看取った人が、いみじくもおっしゃるのは、死ぬ最後で後悔されるのでもっとも多いのは、挑戦しなかったことなんです、と。
安全神話、、、安心していきたい、、、冒険などしないで平穏に暮らしたい、、、、、人情としてはよくわかりますが、私たちに個別性が与えられている以上は、私にしかできな作用があり、、、自己保身から出た作用だけでは、死ぬ際に人は満足しない、、、ということでもあるのでしょう。
先が見通せない時代になっているため、多くの人が防衛的な生き方になっています。防衛して本当に自分を守れるならそれもいいのですが、防衛すればするだけ、むしろ自分も周囲も守れなくなることがあります。
みんなが自分の防衛だけからの作用しかしないので、地球や自然に戻る反作用が得られない、、、自然が疲弊していく、、、自然は大地寝返りをうてばすぐにでもエネルギーが補給できるのですが、それだと人類は終わってしまう。
大地の我慢、、、
先が見通せる時代なら防衛的な生き方でも利息がたまってきますので、安全神話もよくわかりますが、今はそういう時代ではないように思います。あまりにみんなが保身ばかりなので、作用の質が同じ。結果として地球規模での反作用がない。
いい子ちゃんでいると、見えない、、、社会の価値観を真に受けていると、きっと見間違う、、、自分の作用を信頼しなくちゃ道が開けない時代が始まっています。
凝り固まった価値観と、自分だけよければで進んでいた時代には、もうエネルギーがなくなっているのです。
なので、常識の船が一夜にして泥の船に化ける時代がもうすぐやってくる。
個別性で行けば、きっと抜けられる、、、この価値観の変化が必要になっていると思います。みんなが個別になれば、地球にもエネルギーが戻ってくる。そうすれば自然災害も収まる。自然災害はかけまわしてエネルギーを得るためのものだから。人間が汚した結果なんです。
自身の保身からの作用だけではもう先はない。つまらない価値に竿さす生き方、時代に竿さす作用でいいのでは。
その際に、作用を生む意識が有限のものか、無限のものかがポイントになります。
作用する意識が有限なら有限のものが戻り、作用する際の意識が無限に根差すものなら、宇宙は無限大の反作用で私たちを違った地平に連れていってくれる。
有限の意識で自分を守ろうとするのは、お金さえあればすべての問題が解決すると思っているようなものです。それはもうすぐ間違いであることがわかります。お金は人間が作ったものだからです。
あなたの中にある有限の意識と無限の意識、、、どちらを選択するかによる作用で、未来は変わるはずです。
おなかがすいた人が、あいつも腹が減っている、、、あいつも減っている、、、この子もだ、、、あの子もだ、、、みんな一緒だと、、。
そしてみんなが食えることを考えた作用をすれば、大きなものが戻る、、、本当の豊かさが戻る。
自分だけ私だけここだけ金だけ、、、その作用で行えば、周囲と人を滅ぼしていくことに気づかねばならない時代なのです。
理想論で言っているのではないのです。
何をもらえるかが大事なのではなく、何を出すのかが大切なのです。
出したものだけが戻ってくるのです。
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