イブに思うこと、

クリスマスになるといくつかの光景が思い出される。

教会に通っていた時代なら、今夜はキャロリングと言って、信者の家を讃美歌を歌いつつ回るのだ。家の前でローソクを灯して歌う。

ハロウインはそれを似せたアンチとして考えられたものだという気もする。本家本元はキャロリングだったのではないか。

キャロリングの思い出は、年頃の若い人が中心となるので、どうしても愛の思い出と一体化する。讃美歌を歌いながら歩くイブの夜道、、ローソクの炎に照らされた大好きな異性の顔、、、

今は亡きルネ・ヴァン・ダール渡辺先生のイブの話しもこの時期になると思い出す。ルネ先生がイギリスに留学中、孤独なイブを迎えた。誰も知る人のいない冬のロンドン、、、

イブの晩、ルネ先生は一人のおじさんと知り合い、ボタンのようなメタルのアクセサリーをもらった、、、という話し。

ルネ先生のタリズマンへの思いのスタートは、おそらくその時にあったのではないだろうか。

私もイブの晩にホテルのお茶席で、外国の旅行者がひとり寂しくディナーをとっていたのを見たことがある。

帰り際にメリークリスマスと声をかけたら、旅行者は泣き出しそうな顔で喜んでくれた。

家族で楽しくこの日を迎える人もいれば、恋人と仲睦まじくこの日を過ごすカップルもおり、友人や知人と楽しい晩を迎える人もいるだろう。

そしてたった一人の晩を残酷な思いで過ごす人もいるかもしれない。また、長い人生の中では、上記したようないろいろなクリスマスを迎えることがあるだろう。

みなさんは、今年はどんなイブを迎えるのでしょうか。楽しいイブもあれば、孤独なイブもあり、出会いのイブともなれば、別れのイブになる人もいるのかもしれません。

そうした思いを乗せて暦は冬至を過ぎ、常に新しい時を刻んでいきます。

寂しく孤独なイブであったとしても、時の流れの中においては、それがどんなにか貴重なものでしょう。

幸福病にかかってしまった現代人には、なかなかそれがわからないのですが、メリークリスマスとは、すでに私たちは救われている、、、というお祭りの日なのです。

短い太陽はすでに死に、新しい太陽が昇ってくる、、、この季節の永遠の営みの前で、、誰もが終わりなき世の一人の旅人なのです。

残酷さも孤独も楽しさも同じ地平から眺めることができる日、、、それが冬至でありクリスマスなのです。

とにかく先を目指してまいりましょう。