激しい二極化と水晶人間
どの国でも、また日本でも、貧富の二極化が進んでいます。その二極化もほとんどが貧の方向へ進み、わずか、1パーセントの人が冨というひどい状況。
実際には1パーセントどころか、0.01パーセント程度の大富豪対一般貧者の二極化というのが正しいようです。
要するに地球のすべての富をほぼ独り占めにした勢力がいるということで、政治も経済もそのわずか0.01パーセントのために動いていると考えると、その対比の恐ろしさがわかります。
しかし、こうした事態は、誰も気づかづにいたときが全盛であって、極端な二極化がはっきりしてくるにつれて、その正体がだんだんとわかってきてしまう。
マスコミはではどちらサイドについているかというと、これはもうはっきりと0.01パーセントにべったり。なので、マスコミは99.99パーセントにとって有利な情報は絶対に流しません。
要するに民衆にたいするたいへんな裏切りを行っているといえるわけです。悲しいけど、事実でしょう。
そのマスコミを信じている人は、イノチを縮め、体を壊し、不機嫌で、自分本位となり、金に執着するしかなくなる。
マスコミは、みなさん、たいへんですよ、、、怖いですよ、、、将来は不安ですよ、、、世の中を生きるのはたいへんですよ、、、だまされますよ、、、政府にすがるしかありませんよ、、、強いものに従う以外に道はないですよ、、、と、すなわち、自立して生きていけっこない、、、という信仰の植え付けを担当しているわけです。
こうすれば生きていけるとか、人間性の素晴らしさには、決して触れないようにしている。なのでマスコミを信じる度合いが大きければ大きいほど、人は偏屈になり、疑い深くなり、自分だけを守ろうとし始めます。
最近の老人に人情がなくなっているのは、彼らがマスコミ信者であるからではないでしょうか。
それに対して、若者はエネルギーがまだ高いから、大きな嘘を見抜く本能がまだ多少はある。911に対しても、311に対しても、また、世界の戦争に対しても、そこにある嘘を本能的に察知するようになっていく。
はっきりした事実を前にしても、マスコミがまだ嘘報道をするのを知ると、彼らはもう自分で生き方を決めなくてはならない、、、という姿勢を持つにいたる。
団塊の世代にも同様の傾向はあったが、団塊の世代は反抗がメインであり、本当の意味で未来を作る力は弱い。
昔から予言されている水晶人種の登場とは、肉体的な意味における人種の別ではなく、汚れた悪の時代は、それはそれとして、それらと戦うのではなく、自身は水晶のごとく澄み切った心を持ち続ける、、、そうした生き方を誰と争うことなく持つにいたる、、、
そうした個々が自然と大きくなっていくことで、いつしか時代が変化していく、、、
すでにそのプロセスに入っていると私は思います。911の真実をどんなにあばいても、大衆を変えることはもしかしたらできないのかもしれません。
すでに、個では生きられないというマスコミや政府、学校、社会からの押し付けが心の奥にまでしみついてしまっているから、事実を事実として認める力がないのです。
いくら飛行機がツインタワーに吸い込まれるように突っ込んで、爆発することもなく、反対側から飛行機の先端が出てくるような、まるで手品のような画面を見ても、おかしいと思わない。
マスコミがおかしいと言わないから、おかしくないと思っている。言われてみれば確かにおかしいとは思うが、でも、やっぱり飛行機が突っ込んだんでしょ、、と、意見を変えない。
最初から自分の意見などないのです。ないどころか、画像を見ても、自分で判断することもできなくなっているのです。
今はマジックの時代なんですね。信仰の時代の最後のなれの果ての姿なんです。なので、インチキが最高潮に達していても、人はそれに気づかないフリをする。
自分で自分をごまかしたいのです。事実を認めることはそれほど怖いのでしょう。
しかし、嘘の上に自身の人生を築くことはできません。誰かに、何かに奪われる人生しか作れない。だから用心深くなるのです。疑い深くなるのです。
愛などどうでもいい、、、自分だけを守らないとたいへんなことになると、0.01パーセントの価値観に見事にしたがってしまうのです。自分が奴隷にされているのにも関わらず。
信仰のなれの果ての世界が今であるのですが、しかし、夢はやはり夢であって、現実の前に覚めるときがやってきます。キリはあるのです。
911の情報のとりまとめは政府見解だと思いますが、それが物理的にありえないコンクリートのパウダー化をも飛行機の激突が原因であるとの見解でまとめています。
それが物理的に無理である証明は科学的にできます。その事実を無視して見解をまとめたということは、嘘を強要したことになり、たいへんな罪ですから、今後いつかそうした裁判も起こされることでしょう。
そうなると、事実は事実として科学的に実証されますから、それに従わない裁判自体がおかしいということになっていきます。
ガリレオはそれでも地球は動く、、と言いましたが、まったくそれと何も変わっていないことになります。どんなに買収された裁判に負けても、それでも飛行機でビルは崩壊しない、、、と、言われてしまうわけです。
そしていつかキリがやってきます。それはそんなに先のことではないと思います。
ひとつの突破口がこうして開かれたら、金融のシステムもおかしいぞ、、、フリーエネルギーも嘘じゃなかったぞ、、、ガリレオ時代と何も変わってなかったんだ、、、
俺たちはだまされてたんだ、、、の流れをどうして食い止めることができるでしょう。
やはり無理なのです。事実しか力を持てないのです。しかし、その事実は争いによって勝ち取るものではなく、個々のセンスとして、個々の良心として、個々の生き方として反映されていくのが、これから起こることなのだと思います。
なので、人は今、問われているのです。マスコミがいうようなものを大事に、これから一回しかない人生を生きるのですか、それとも自身の心の澄み渡るものを輝かせる、水晶人種として生きるのですか、、、
どっちがいいというのではないのです。どっちでもいいのです。選択が大切なのです。
信仰をいだきつつ、どんなにだまされようとも、怖いから事実を見ぬふりして生きていくのが悪いといっているのではないのです。それもひとつの生き方です。
しかし、それしかない、、というのは嘘だといいたいだけなのです。
その選択の中で、だんだんと水晶のような人種が増えていく、、、そこら中で輝いてくる。
意識圧にかなう未来創造力はありませんから、意識圧が高まれば、そこにエネルギーが集まり、自然と輝き出すのです。
ことにこの数千年のインチキ魔法の週末は暗く、エネルギーを集められない状態になりますから、小さな水晶の光りですら、きれいに輝いて見えだすのです。
暗闇が深ければ、小さな光も輝きを増します。その光が迷う人の灯台となって機能するのです。だから、大きくなろうとする努力や、影響力を得ようとする焦りや、宣伝しなくちゃ、、、という誤解もそこには生まれません。
小さいけど、その光が本当の水晶のように純に輝くこと。結晶の美しさが誰の中にもあるのです。それが輝いてくるだけ。
掃除をするときれいに机などが輝いて見えるのは、汚れがなくなったからではありません。そこに雑巾の圧がかかって、エネルギーが取り込めたからなのです。
ぼろを来ていても、外見が悪いと思っている人でも、エネルギーが高まれば、輝き出すのです。