ニュースステーション 慰安婦問題を見て

どんなに追い詰められたときでも、物ごとには逆転の機会があるものだと思う。追い詰められれば追い詰められるほど、それは見事に決まることがある。

昨晩のニュースを見ていたが、朝日新聞の記事訂正についてだ。吉田調書を踏まえた形で、訂正するしかなくなった朝日。いかに取材が思い込みに終始していたかが伝わった。

もうひとつ、慰安婦問題があり、朝日新聞の記事が大きな誤解を与えたことは重大。

昨晩のニュースでは原発よりも慰安婦記事について時間を割いていた。

元副官房長官の言葉が正直に出されていたりして、状況がそれなりに伝わるものがあった。

実はこの慰安婦問題はいま、日本の針路にとって、非情に重大な局面に至っている。きのうのニュースでも触れたが、この問題に対して、日本が今後どういうスタンスをとるかにより、国の運命を決するかもしれない重大事になると思う。

多くの人は、やはり慰安婦問題は朝日が言ったようなことはなかった、、、という流れを世界に示そうとするだろう。

吉田証言というものが真っ赤なウソだったということは重大だが、だからと言って、世界の人はでは慰安婦はなかった、、、とは決して考えない。ある程度の強制性があったという考えを変えることなどできないと思う。

おそらく、政府や軍隊が関係した以上、病気の蔓延を防ぐ、慰安婦を獣じみた男から守る、、というように、安全を期した形での関与の動機が大きかったと個人的には思っているが、そのことの事実関係など、世界は求めてなどないのだ。

今、世界が求めているものは、女性や子供が戦争においていかに悲惨な状況を強制されるかということが、人類的に見て、許せない、、、という心理的スタンスを明確にもっているのかどうかが問われているのだ。

その時に、日本はやはり韓国が言うような慰安婦問題などなかったのだ、、、という論点は非常に危険だと感じる。気持ちはわかるが、それは今、世界が求めている方向と違い、まったく説得力を持たないだろう。

今後、日本がとるべき方法は、戦争において、これまで子供や女性がどんなに耐え難い苦痛を背負わされてきたか、そうしたことはもう二度と許されない、、、、

日本もこの点について、少なからず悲しい歴史を負っている。これは悲しいことに日本に限らず、世界のあらゆる戦争の中で、こうした悲劇は起こってきた。

私たちは人類史的観点に立ち、こうした悲劇を二度と繰り返さないと固く誓うものである。

まず、この立脚点が何より大切で、この立脚点にケチをつける国も人も世界にはいない。ただし、必ず、ならばまず日本がその責を償え、、、的に言う勢力が出てくるだろう。

その際を見越して、人類の悲しい歴史は、ベトナムにおいて、ミャンマーにおいて、○○において、、、あった、、、というように、その証拠を裏に持ちながら話しを進めたら世界はどうにもならなくなり、この問題を責任追及には使えなくなる。

その時、初めて人類の問題となっていく。ここにおいて日本がリーダーシップをとることができたら、一挙に世界平和のコンセンサスを得ることができるようになる。

これは千載一遇のチャンスなのだが、この観点で話しを進めようとする人が少なすぎる。日本の汚名挽回はよくわかるが、ベトナムでもミャンマーでもひどい事件があったのだ。その言い争いになっては、対立が深まるのみ。

人類の問題にする必要があるのだ。その際に、日本がリーダーシップをとることは可能だ。なぜなら、日本だけが責められたいたのだから、反省に立って、こうした人類上の問題点をなくす、、、という大義は立つ。

本当ならこうしたときにこそ、憲法9条は生きてくるのだから、安倍さんも本気で考えを変えてもらいたい。

上記の流れにならず、日本はやはり間違ってなかった、、、という論点に終始したら、私は本当の危機がおそらくやってくると思う。世界は日本を犠牲にして生き残ろうとする戦略に飲み込まれるだろう。

それを間際と食い止めることが可能なチャンスが、実は慰安婦問題ではないだろうか。ここは、国民的な視点を大人の視点に成長させねばならず、朝日も反省心があるのなら、この点に力を注ぐことが、本当の罪滅ぼしになるのではないだろうか。

政治の問題なので、各自考えがあって当然だと思いますので、あくまで、個人的な考えを述べさせていただきましたが、これは本当に重要な問題だと思います。

この問題をつまらぬプライド問題や国粋的なメンツにすり替えると、日本の未来は本当に危険になるというのが、私の考えです。

しかし、千載一隅のチャンスなのです。ベトナムで韓国軍が何をしたか、、、アメリカ軍が何をしたか、、、裏資料として丁寧に集めておく必要がもちろんあります。

そうなれば、日本と違って軍が関与してない、、、という反論が必ず出ますので、その際には、そうではなく、人類史の問題という観点から話している、、、という世界に通用するスタンスを自信を持って持ちこたえる高い精神が求められます。