夏休みもそろそろ終わり

いつの間にかだんだん陽も短くなってきて、学生や子供たちの夏休みもそろそろ終わり。

宿題代行業が大流行とか。みなさんは今年の夏はどうして過ごされたでしょうか。いろいろな思いでをこしらえることができた人は幸せですね。

私は今年の夏はセミナーでの京都以外はどこにもでかけていません。毎年、何日かは山の家で過ごすのですが、それも今年はできませんでした。

今年の星の進行を見ると、プログレスという進行している太陽が出生時の火星と衝という厳しい配置で、ゆっくり、ゆったり過ごさねば過労で倒れる運命。

わかっているのに、異様な多忙さの中で年の前半を終えました。飯島先生のエネルギー理論を理解してなかったら、とっくに倒れていたことでしょう。

本当は人間は疲れるということはないのです。変な話しに聞こえるかもしれませんが、意識からエネルギーはやってきますので、疲れるとかエネルギーが不足するということは、放出サイクルに入ったら起こることであって、吸引サイクル優先であるなら、人間は何をしても、どう続けても、本当には疲れるということはありません。

子供なんかはいい例で、疲れるという言葉は本来子供にはなかったのです。最近の小学生はよく疲れた疲れた、、といいますが、それは放出サイクルに陥るケースが多くなっているのだと思います。

生活や思念がナチュラルではなく、不自然なことが多いせいでしょう。ナチュラルは吸引であり、不自然ことは放出となります。

ナチュラルな中にあっても、吸引と放出は呼吸のように両方あるのですが、吸引からサイクルが始まるのがナチュラルで、それだと疲れるパターンには陥ることはないのです。

戦争中のジャングルの中で逃げ回る兵隊は、不眠不休で10日も戦った、、、などとの話しを聞いたことがありますが、常識的な生物学では決してあり得ないと思われるでしょう。しかし、実際に本当にそうしたことはあったのだと思います。

人間は本当は疲れないのです。気が付いたら寝ていた、、、ということはあるかもしれませんが、基本的に吸引サイクルの生き方をしていれば疲れることはなくなります。赤ちゃんや子供が疲れないのと同じように。

ジャングルで逃げながら戦う兵隊にエネルギーを与えたのは、食事でも睡眠でも希望でもなく、意識だったはずです。エネルギーは食事からも蓄えからも得られません。きっかけを作ることはできても、本当のエネルギーを与えるのは意識なのです。

どんなに疲れて倒れていても、無人島に漂流した人は、海に船が見えたら元気いっぱい立ち上がり、手を振り、声を出します。その元気はどこから来るのか、、意識以外にないのです。

意識が途絶えたら、それは気絶ですから、即エネルギー不足で倒れるわけです。

これから、化学も科学も物理も学問が大きく変化していくと思います。これまでの学問ではもう説明しきれない現象にこの世は満ちているのです。そのため、学閥が形成され、学問が政府と密着し、人をだます道具にまでなり下がった面があります。どの国でも同じだと思います。

地球と人類が進歩すると金儲けができなくなる人たち、、、権力が行使できなくなる人たちがいるわけで、民衆は馬鹿であってほしいと本気で願い、かつ、そうなる仕組みがいたるところに仕掛けられている現実があります。

食べ物が悪い、、確かにそうでしょう、、、放射能が危険、、、、本当にそうだと思います、、、もっと言えば、空気が危ない、、、きわめてそうだと思います。

一方で、体に良い食べ物、、、確かにあると思います。

精神を安定させる音や音楽、、、本当にあります。体によい水や空気、、、それらはとても貴重でしょう。

それはそれで本当のことです。ただその前に、では、人間はよくないものを食べると体を壊し、死んでしまうのでしょうか。

人類削減を考え、もし実行している力があるとすると、おそらく、彼らは、「おかしい、、、もっと死んでなくてはいけないのに、、、なんでだ、、どうしてだ、、、何でまだ生きてるんだ、、」とおそらく焦っていると思うのです。

体に悪い放出サイクルの食べ物や薬や化学物質は本当にひどいものだと思いますが、厳密に言うと、そういうもので、人が本当の意味で体を悪くしたり、死ぬことは決してないのです。

それはエネルギー理論によれば明確です。すべての物質は結果として存在していますので、同様の結果である物質が結果である物質に作用することはできないという考えがあり、それが本当だということが、宇宙時代では明らかにされるようになるでしょう。

物質を作ったものは出は何か、、、物質の親は何かというと、それは意識です。意識がエネルギーですから、意識からしか物質現象は生じません。

意識圧がかかることで現実を引き寄せるというか、創造しているのですから、そうなります。疲れたのは物質としての肉体であって、それを命じたのは意識だということです。

漂流している島で船を見かけたときに元気が湧いてくるのは、意識がそう命じたからです。肉体の原理とは別の次元の話しなのです。

どちらが先なのか、、、意識が先か、結果が先か、、、

意識をないがしろにして結果のみを求めようとする文明がもうすぐ終えようとしているのです