思い出の鞍馬
夏にどこかへ出かけた記憶は数日もたたないうちに急速に遠い過去のように思われるのはなぜでしょう。
楽しかった鞍馬、、確か2日の日だったので、3週間たつにはたったが、もう何年も前のようなそんな印象。
鞍馬ツアーはわずか10名ほどのミニツアーでしたが、とても印象深いです。
京都駅からタクシーに分譲して出町柳まで行ったのですが、私のグループはみんなとちょっとことなり、あえてちょっぴりお高い、大型タクシー乗り場から乗りました。
大型乗り場は暇そうだったので、何となく乗ってあげたくなったのですが、その運転手さんが非常に深い知識の持ち主で、鞍馬寺の地下のことや、昔はどういう思いで鞍馬に人が詣でたのかを、詳しく説明してくれる。
お参りに行ったのではなくて、パワーをいただきに行ったのだと説明。世界三大パワースポットが鞍馬なのだと。アラスカとヒマラヤと鞍馬とか言ってました。
その真偽はともかく、ツアーをお手伝いいただいた巫女さんの解説とぴったり一致。巫女様はきょうはお参りというよりも、神の懐に入る、、一体となる体験をしていただきたい、、と鞍馬入山時におっしゃる。
ツアー参加者の間にも自然と、お参りスタイルよりも体験スタイルの姿勢が整っていくのがわかります。
通常の鞍馬では、上りから下山まで、貴船に降りるまでにせいぜい二時間というところでしょうが、私たちは非常に時間をかけました。
鞍馬に4時間以上いたでしょうか。もっとかもしれません。それが本当によかったのです。霊地ですから、触れて、そこにいることがとにかく大事。
一体感が今なをなつかしく思い出されます。
本当は鞍馬だろうがどこでも、私たちは、そこと一体となれば、すべてはお参りどころとなり、神と一体となる、、、そんな空想まで、鞍馬は与えてくれました。
住めば都という言葉がありますが、どんな厳しい状況にも、どんな厳しい出来事の前でも、その地に、その運命と一体化したなら、一体、どういうように世界は変わってくるのでしょう。
実は森田療法の極意もそこにあるのです。船酔いでさえ、揺れる船と一体となれば酔うものではなく、揺れる船に対し、体が揺れまいとして抵抗するギャップに船酔いが起こると森田博士は言います。
悲しみも苦しみ、その感情を都合の悪い感情としてさけず、あえて一体となっていけば、うーーん、、、というような思いはあるものの、瞬時にして悲しみも苦しみも実体験となって、消えていく。
体験とならないから思念となっていつまでも続く。思念すら体験となれば、思念一体となり、消えていく。
森田療法というのは、これは本当にすごいものなのですが、まさか鞍馬での体験と森田が重なるとは。
私たちはどこでもいつでも一体となることで問題が存在しない時点と地点に変更できる秘密を保持している。
とはいえ、今の世界の動きは悲しみの動きが多くなっています。窮すれば通ずですが、実際に苦しみにあっている方々の救済を願わずにはいられません。
一体の喜びを今、時代は求めています。池田山もそれを目指します。一人でいらしても、きっと仲良くなる人が縁あって出会う、そんな場になることでしょう。
写真はスタッフの佐野が映したものです。この鞍馬シリーズの写真の中に高く評価されたものがあるということで、本当に開運ツアーになりました、、ということでした。