厳靴王

昔、慶応大学の近くの一号線沿いに厳靴王という表札を玄関の目立たぬ位置に付けた小さな靴屋さんがあった。

普通の玄関を開けて入ると、靴職人の家らしく油のしみた机の上に修理中の靴が置かれていて、古めかしい独特の匂いというか香りがした。

修理専門の靴屋さんで、私がよくお世話になったのは、厳靴王のおじさんが60歳くらいの時だったろうか。

なぜ厳靴王と名乗ったのかは不明だが、一度でも世話になった客なら、その理由がよくわかった。

滑り止めの打ち金具をいくつかつけてもらう、、、値段は15円とか、20円。いくら数十年前とは言え、子供の小遣いだって一日20円はあったろう。

皮底をすべて張替えて新品の皮底にしても、600円。1万円の靴の皮底を600円で取り替えることがなぜできたのか、今でもわからない。

服や靴は昔はけっこう高いものだったのだ。ちょっと良い靴ならすぐに1万円は超える。冬のオーバーコートは10万円するのは当たり前だった。

靴の皮底といえば、靴の命の部分でもあるだろう。その全取り替え、張替え料金が600円は、やはり驚きの値段だったのだ。

そしておじさんは自ら厳靴王の表札を上げて毎日仕事をしていた。だが、表札はあまり目立たない位置にあり、厳靴王の名を売りにしているのではないことはわかった。それはおじさんの姿勢を示すものだったのだろう。

そしてその姿勢はきっと家族にすら理解してもらえないものだったのではないだろうか。

時代は高度経済成長の真っただ中にあり、合理化、スピード優先の、長い長い時代が始まっていた。

靴職人を続けるのは、時代的に厳しくなっていった頃だと思う。そうした中でやっていくには、自分を厳靴王と言うしかないというおじさんの気持ちが、今よくわかる。

厳靴王のおじさんはもう今はこの世にいないと思うが、たった一人の職人の姿勢は、40年もたった今でも、なぜか思い出すことがある。

もしかしたらおじさんは家族にも妻にも理解してもらえずに寂しく亡くなっていったのかもしれない。

でも人がこの世に残せるものとは何なのだろう、、、、

厳靴王の思いでの前では、百億の売り上げを誇る急成長の新進企業も、ユニクロも色あせてしまう。

姿勢が大事なのか結果が大事なのか。両立することがもちろん良いのだろうが。

結果は残せなくても姿勢を示すことで永遠性を獲得することが人間にはある。

地に宝を積むか、天に宝を積むか、、、

地に宝を積もうとあくせくする私たちの元に、ご先祖様がお戻りになる、お盆の真っただなかに、今ある。