ただひとつの願い
お不動様への信仰は昔から多くの人を引き付けてきました。
不動明王。たったひとつの願いなら聞き届けてくれる神様とも聞いたことがあります。
みなさんにとって、たったひとつのお願いがあるとしたら何でしょう。
私は昔、これをあろうことか、競馬が当たるようにと願って、マントラを唱えたことがありました。
不動明王のマントラ。もう忘れましたが、確か、ノウマクサーマンダ―、、、ウンタラ、、何とかと続くのですが、これを10日ほど真剣に唱えたのです。
本当に成果があって、まあ、異様とも思えるあたり方をしてきました。目標を次々に達成し、ついには、3連単の大穴馬券をほぼ一点予想で当てるという神がかり状態にまで達したのです。
しかしそれが最後のきらめきで、年を越したあたりから何か、これを続けたらまずいようなそんな気になりました。
そして正月を過ぎた寒い冬の日、東京の家に戻ると、なぜか居間に金庫が開いていて、そこにあった競馬の大当たり分のすべての金額、プラスアルファを奪われたのでした。
かなりショックでしたが、後でよく考えてみると、たったひとつの願いがかなっても、人は幸福になどなれない、、、という思いが到来したのでした。
しかし多くの人は、私と同じような失敗をしやすいと思います。たったひとつだけなら、願いをかなえてあげる、、、と言われたら、やはり、お金が欲しいとか、出世したいとか、成功したいとか、恋人を得たいとか、、、そういう具体的でこの世的なことに願いが行ってしまうと思うのです。
しかし、お不動様のおかげでそれらが達成したとしても、人間は決して幸福にはなれないことを、私は自身を通して知りました。
競馬的中などというバカげた狙いだったからかもしれませんが、それがどんなに高度な願いだったとしても、やはり人は不幸になっていくと思います。
しかし人間は弱いもので、この世で権力を得たなら、やっぱり幸福になれると、その時には信じてしまうのでしょう。お金がたんまりあれば、やっぱり幸福になれるとつい信じてしまうのだと思います。
しかし、それはやはり間違いだと思います。ただひとつの願いを除いて。
人を幸福にするたった一つの願いが実はあるのです。それは何だと思いますか。
私はお不動様はそのために存在している神様ではないかと、勝手にですが思っています。もちろん、間違っているかもしれませんが、この願いだけは、きっとお不動様は聞き届けてくれるのではないかという気がするのです。
しかし、人はみな同じようなことばかりお願いし、むしろ幸福から遠ざかっていく、、、
お不動様はそのことを伝えようとされているのではないか。正しい、ただ一つの願いを待って、今なをそこにいてくれているのではないだろうか、、、
では、ただ一つの願い、、、人を不幸にしないただひとつの願いとは、、
究極の願いを占星術では冥王星が表します。冥王星はその願いがかなうなら、他のすべてを失ってもまったく構わない、、、という星なんです。
そして冥王星が強く出ている人には、そうしたオールオワナッシングの傾向が必ずあります。
その願いを、恋の永続のために使う人もいれば、嫉妬と復讐のために使う人もいれば、悟りなど、道の探求に使う人もいます。
お不動様のたったひとつの願い、、、それはまさに冥王星の宇宙的な力の一体化と似ています。
この地上において、日々生きていく人が、オールオワナッシングに至る情熱や求めとは何でしょう。恋でしょうか、、、正しいと思う事柄でしょうか、、、
こうしてお不動様へのお願いは冥王星的な性格を自然と帯びるようになっていきます。
2日の鞍馬では、貴船に下山してから貴船神社のお水をいただいたのですが、その奥ノ院は有名な丑三つ時の呪いの成就を告げる神社。丑の刻参りの神社です。
良い悪いは別に、人間の情緒はそこまで高まるわけで、高まった情緒の前では、そのためにたとえ自分が死のうと、それでも相手を倒したい、、、という思いと一体となるわけで、そこにはやはり怖いものがあります。
不幸覚悟の心願成就が、最大の願いともいえるのかもしれませんが、やはり違うと思うのです。
さらに大きな思いがあり、不動様も冥王星も、実はそれを求めているのだと思います。
それは、輪廻転生の輪から抜け出ることだと思います。
冥王星は宇宙への入り口であり出口です。不動明王は唯一の正しい強い思いの達成のためにいらっしゃる。
それは、私たちが、もうこの輪廻転生の輪から抜け出て、天界に戻っていくことを願いとする魂を助ける役割であると思うのです。
あらゆる悩み、あらゆる苦しみ、あらゆる理不尽に対する答えは、この世的な願いの成就でもなく、悟りでもなく、輪廻から抜け出ること以外にありません。
そして、たった一つの願いなら、かなえてくださる、、、そうしたスキームがこの世に存在しているというのは、本当に凄いことです。
ただひとつの願い、、、競馬なんかで使っちゃダメなんです。お不動様に謝って、何度でもやり直しできるのですから、生きている時間は本当に、やり直しがきく、ありがたい、ありがたい時間なんです。