思いツキ

思い付きで行動したりすると、信頼できない、、、というイメージでどちらかというと受け取られがちですが、けっこうこれが約に立つことが多いと思います。

ことに窮地を脱出するプランやアイデアは、思い付きだったりする。計画性や慎重さは重要ですが、それらがダメだったから行き詰ったわけで、あとは思い付きしか道はないのでは。

思い付きは思いツキでもあるのです。そう、ツキをもたらす原因など人にはわからない。

どうにもならないときは気楽に、思い付きで行動してみる。そうすると思いツキだったりする。ツキがついてくるのだ。

しかし、真面目な人にはそれができない。どこかに正しい答えがあると思うと、それができなくなる。この世に行われていることは、まわりまわって必ず、大きな善につながっていくのですから、人には答えなど本当は分からないのだと思います。

正しい答えを言いつつ、間違った人生を歩む人がたくさんいます。もっとも答えがはっきり出る相場でさえ、この相場、必ず、上がる、、、そう読んで、実際に上がった。しかし、それでいて大損をこいてしまう、、、

そういうことが多いのです。この先、相場は上がる、、、そして確かに上がった、、、その人は相場上昇にかけて張っている。なのに財産を失った人を、私は何人も見てきています。

それは、大相場でも目先の浮き沈みは必ずあるからで、その際に、自信があればあるほど、上昇に期待をかけ、大きく相場を張ってしまう。そして上昇相場における、目先の多少大きな下げ相場の中で、すべてを失ってしまうのです。

この原因は何かというと、夏がくれば熱くなることはわかるが、途中にある雨の日、嵐の日の低温にやられてしまう作物管理と似ている。

今年も猛暑がやってきているようですが、つい一か月もたたない前には、大量のヒョウまで降りました。今年は猛暑です、、、は当たったとしても、もしあの大量のヒョウを目の前にしたら、その日にはしまってある冬服すら必要だったのです。

理知や一時の感情で正しいとか、何が間違っているとかいうことはできません。いろいろな様相を示しつつも、すべては善に向かっているという信頼でしか道はできないのではないでしょうか。

そして結果はどうであろうとも、自分のやるべき道を人はそれぞれに歩いていく。その際に、真面目な人は何が正しいか、、、にやられてしまう。

人には、何が正しいかは、やっぱりわからない、というのが正しいのかもしれません。もちろん、個人的な真実の追求は人情として自然であり、態度としても見事です。

しかしその上で、自分は生かされてここにいるのであって、自分が生きているのとは違うとの視点に立てば、自分の到達した真実は、他人の思い付きを凌駕しているとは言えなくなるはず。

いかに正しいという目的が戦いを生み、今の実相を作っているのかと思わなければ、今の世界の混乱を理解する物差しを失ってしまうでしょう。

何でこんなことを言うのかというと、世界情勢がかなり煮詰まってきているからです。

イスラエルは確かに間違っていると思います。しかし彼らが間違いを口にした途端、それは自分の死を意味することになるという世界観なのです。残虐であるのは事実ですが、それ以上に自身の世界観に固まってしまっている。

存在の基盤を失ったとたん、周辺から責められ、全員殺されると、イスラエルは本気でそう思っている。

だが、イスラエルの中でも、スファラディのアジア系のユダヤ人の多くは、ガザにたいする自国の態度に反対を表明しているのです。

すべてが二重構造をしているのです。日本も同様です。アメリカも同様。アメリカでは、ひそかな戦いがすでに起きている可能性もあると思います。

本当のアメリカと、アメリカを乗っ取った勢力との争い。日本も同様の構造をしていることが、だんだんと一般の人にもわかってきています。

マスコミに登場しているニュースキャスターの表情などをよく観察してみると、自分らはお前らとは違う、安全なところにいて、お前らよりも偉いんだ、、、特権があるんだ、、、というのが伝わってくる。

これはよく観察していれば、ひょんな表情に出てくる共通のものとわかるでしょう。

間違いなく日本も複層構造になっている。乗っ取られた日本人と日本を乗っ取った日本人らしい人との二重構造。

乗っ取られた日本人はどんどん奴隷化されていっている。日々生活が苦しくなっているのは、そのためなのです。

こうした流れと構造の中で、常識と真面目さはかなり危険を呈することになるでしょう。

しかし思い付きは、天からのメッセージの性格を持ち、思わぬ境地に自分を運んでくれる乗り物として神が用意してくれたものです。

思い付きの条件としては、それが不安から出たものでない限り、大体は意味がある。

不安から出たものや、常識的な判断はすでに人を幸福にする時代ではなくなっています。

この時代にしがみつくことよりも、思い付きによる新たな新天地に行動を移すことがそろそろ必要。

私は昔から思い付きだけで生きてきた人間なので、それがまんざら悪くないと知っています。ただし、間違った思い付きも確かに多くありました。

それは重い付きとして残ったりもしますが、それでも、思いツキの要素が補って余りある気がします。

どうせ答えなどわからない人間なのですから、よく学び、よく考え、そして素直になった際の思い付きなら、それは思いツキとなって私たちの道を照らす光になってくれる気がします。

気楽でいいのです。どうせ気楽でいられないときがくれば誰だって気楽でなどいられなくなるのですから、何も日々を重くする必要もありません。

思い付きへの信頼があれば、人はどうにかなります。人も神なのですから。自分を神だと思えば、思い付きは神からのメッセージとなります。その認識が思い付きを思いツキに変えてくれるのです。

異性を愛するのも基本は理由ではなくて思い付きです。ケンカに負けた雄猫についていく雌猫もけっこういるそうです。思い付きに猫も賭けているのです。

経済的理由で好きな人と結婚しない、、、冷静な判断にも思えますが、思い付きを捨てて、一体どこに行こうとしているのでしょう。