ピークアウトの認識

どんなことにも絶頂期期がある。そして絶頂期を過ぎると段々と、場合によっては急速に落ちていく。

人の人生もそうだし、会社の業績もそうだし、国の運勢も同様で、隆盛と衰退の運命から逃れることはできない。

大きな文明が起こり、それがどんなに大きかろうとも、役目を終えるように過ぎ去っていく。後には巨大な廃墟が残される。

それが物理現象であろうが人の人生であろうが企業だったり国だったり文明だったとしても、隆盛と衰退を繰り返す。

しかしそこには厳然とした法則が働いている。圧が周辺圧力よりも高いときに物事も運動もすべては成長していく。

そして周辺圧力より低下したとき、崩壊がはじまっていく。たったそれだけのことなのだ。

そして常に周辺圧よりも圧力が高いとはどういう状態を指すのかというと、常に変化し続ける運動体であるかどうかで決まる。

トヨタが王国を築き、世界一の自動車会社になれたのは、やはりカイゼンという徹底した考えがあったためだと思う。

カイゼン、、、すなわち変化に次ぐ変化ということになる。とどまらない、、、これで良しとしない、、

変化は能動であり圧の高まりと関係する。

傍観や守りの姿勢は安全策に見えて実は圧の低下を招き、崩壊の道程となっていく。

カイゼンという精神はトヨタの命であったろうし、実際にそのことによって世界一になったわけだ。

しかしトヨタのその後の発展は、組織、政治、という枠組みが優先された印象が強い。頑張ってはもらいたいがはたしてどういう道程を進むことになるのだろう。

自動織器から自動車への変化、、、本田はバイクからやはり自動車への変化、、、ヤマハは楽器からバイクへの変化、、、そうした思い切りもエネルギーを呼び込む原動力になったのも確かだったろう。

しかし、こうした優良企業でさえ、何かピークアウトした感があるのはなぜだろう。

もっと違った変化を必要としているのに、結局は目先のカイゼンでしか終えられない、成功体験がむしろ足枷になっている面があるように思える。

確かにハイブリッドを生み、さらに水素自動車が現実化しだしていることも事実だ。

ただ、それらの流れは必然であって、誰にでもわかる範囲のものではないか。

私は時代の流れを見るに、さらに大きなものと企業がもっと直結しなくてはいけないのではないかという気がしている。

自動車会社で言うなら、どういう自動車という小さな話しではなくて、文明に対する責任をどの自動車会社も真剣に考えてないように思えて仕方ない。

鉄二トンの車が50キロの人間を乗せて走ること自体が本当はおかしな話しであるし、もっと言えば、重たい鉄の塊が猛スピードを行きかう中を、なぜ生身の人間がいっしょの道を歩かねばならないのだろう。

生身の人間がだいじであるなら、自動ストップの制御装置も大切というのはわかるが、それよりも人と車が同じ道なのかの、不思議さはそのままに置き去りにされてしまう。

確かに高速道路はあるが、あれは自動車の便宜を図ってのものであって、人との共有という観点から出たものではない。実際に走るのにお金を取る、異物な産物でもある。

なぜそんなことを言うのか、いぶかしく思われる人も多いと思うが、本当の変化とは、本当にお金儲けしたいのなら、原点から見つめない限り、新しいものなど生み出せないと思う。

戦争は確かに経済効率を考えると心の悪い人が飛びつきたくなる構造を持っている。現在の経済は戦争抜きでは、また破壊抜きでは語れない悪魔的側面があるのだ。

それは事実である。しかし、やはり時代遅れではないか。戦争経済をごまかすためにいくらマスコミを動員しても限界があると思う。

嘘を通すにも、限度があり、もうそうしたやり方では大きな変化を起こすことは無理な時代に入った。

ならば、本当の個別の人生を、それぞれ達成させるべく、新たな器を作る方が上だと思うのだ。

自動車の未来でいえば、どのようなスーパーカーをヒットさせるよりも、自動車と人間が歩く道を世界的に分ける、、、という形にすれば、とんでもない事業規模の経済となり、しかも人はすぐに同意してくれる。

戦争でぶっ壊すよりも、悲劇で儲けるよりも、これからは嘘でない本当の理想で儲ける時代なのだよ。

公害を出す工場は、地下に埋めるだけで、どんなにビッグな国家事業になるか、、、そして徹底的に無害化し、余熱利用で民意に沿うものをつくるなど、公害企業と民意が仲良くなれる方法が、金を儲けながらできるのだ。

いや、そうしないと、お金儲けすらできない時代になっていく。まして戦争や人を不幸にして儲けようなどとは、あまりに単純すぎるというか、人が本当は良すぎるとしか思えないようなものだ。

大企業は小手先の儲けなど、もういいから気前よく捨ててもらい、大きな大きなビジョンの元、政府に、国民に本気で語りかけたらどうか。

あっという間に経済が潤ってくる。国民が潤ってくる。企業は儲かって仕方なくなる。なのに尊敬されてくる。

いかにこれまで馬鹿をやっていたのだろうと、涙ながらに素直に反省するようにもなる。

東京都は自転車の道を増やしてくれているようだが、もっと大きく、本当に都民の生活が自転車のみで動ける都市にしてくれないだろうか。23区内など自転車道が整備されたらどこにでも1時間で行ける。

車はすべて地下にしてしまうなど、色々なことを考えれば、自転車企業でなく、自動車企業も儲かり、都民も喜ぶ、、、そういう夢のようなことが、本当に考えれば、いっぱいアイデアとして出てくるはずだ。

基本は、人を不幸にして儲ける経済から、人を幸福にして儲ける経済への返還を真剣に考え、実行することにある。

これは今なら簡単にできることだ。そしてすべてを変えることになるのだから、とんでもない需要が生じる。間違いなく戦争経済を凌駕する。

なんでそういうことを考えないのだ。大企業がやらなければ、きっと個人が始めるぞ。そうなれば流れはどちらに着くか、、本当の秀才ならわかるだろうが。

それだけ、可能性がある時代なのに、みんな眠っているのです。でも、もう時間がないと思うよ、、、そろそろ動き出しましょう。