水無月の大払いに際し「瞬間芸」

きょうは水無月の大払いで、年も半分を過ぎました。前半の厄を払落し、新たな年を迎える気持ちへきりかえる日ですね。

さて、そんな日にふさわしい話しをしたいと思います。よく瞬間芸と呼ばれるパフォーマンスや洒落など、面白いものがあります。

通常の芸に比べると重さや本格化の手ごたえは希薄かもしれませんが、楽しいものが多いですね。

この瞬間芸ですが、実は開運法に似ていると思います。人の運気は瞬間にして切り替わったり、入れ替わったりしているのです。

確かに人が抱く長い間の考えや行動の動機が何等かの運命を構築していく、、、という考えは正しいです。しかし、エネルギー理論から考えると、実はそうだともいえないのです。

エネルギー理論から考えると、人間が救われるのも救われないのも、実は一瞬のことで、まさに瞬間芸のようなものだと思います。

そのことを説明する前に、私が言うエネルギー理論というのは、科学的なものとはまったく違います。科学は迷信ですし、宗教と同じ分類だと思います。

石炭からも石油からもエネルギーなどは得られないのです。そう見えるだけ。すでにあるものにエネルギーはなく、無のないところからエネルギーは訪れます。

無は無じゃないか、、、ということになってしまいますが、無も本当はないのです。見えない世界、、もっとも小さな生き物、、、と言えばいいかもしれません。

この世は生き物以外ないのです。そのもっとも小さなイノチが無と思われる状態で、そこからエネルギーがやってきます。

やってくる方法は簡単で、圧が高いほうに集まってくる、、、その結果、物体ができたり元素もできるわけです。

ではもっとも小さな無のイノチとは何でしょう。それが意識なんです。意識がエネルギーを呼び込むのです。

意識が消えると即ぶっ倒れてしまいます。エネルギーが途絶えるからです。意識が最小のイノチだから、全体とつながれるのです。イノチが物質だったら全体とはつながれません。意識だからイノチであって、大きな全体のひとつになれるし、全部になれるのです。

意識はまさに瞬間芸であって、その意識が連続して、すなわち瞬間芸を繰り返しているから、この世は存続しているわけで、どうやら、先端の物理学もようやくそのことを認めだしていると思います。実際にそうなんですから、仕方ありません。

さて、話しを小さな個人の運命に戻しましょう。

私たちが不運であったり、幸運であったり、元気であったり、病気になったり、、、常に変化しています。

長い悪い習慣が病気を作る、、、というとわかりやすく誰もがうなづきますが、それは、長い間に反復して作り上げた継続意識がもたらしたものです。

幸運な人はおそらく幸運に反応する意識の癖が長らくあって幸運な人生になっていくのだと思います。

しかし、ここがだいじなのですが、継続は習慣性を作り影響を与えますが、エネルギーを得る得ないは、常に瞬間芸なのです。

ですので、原理的には、運命も運勢も人は瞬間的に変えることができるというのが、本当だと思います。

一秒でも本気で意識が途絶えたら、私たちは立っていられないのですから、エネルギーはどこかにたまったものが使われているのではなく、瞬間瞬間に意識を通してやってきている。これが真実です。

さて、この意識には大きく二つの方向性があります。現実に直面する意識か、不安という実態のない世界につながる意識か、、、この二つしか基本はありません。

よく長年の無理を重ねて病気になった、、、と言いますが、本当は正しくありません。どんな無理でもその無理という現実に直面した意識があれば、常にエネルギーは得られるからです。

ルーティンワークは私も苦手ですが、それでさえ、まじめにやれば元気が出てくることが多いです。

ああ、いやだな、、、めんどうだな、、という不安意識とつながった際に、あっという間にエネルギーが奪われてしまうのです。

それは幽界と喜びの天界の違いほどあります。不安や悲しみは幽界の特徴であり、不安と悲しみ、恐れ、すなわちマイナス感情は必ず、その大本は幽界につながっています。

それは私たちの意識からエネルギーを奪わねば生きていけない世界ですから、私たちがそこに同調することで、必ず、エネルギーを奪われます。そうしないと彼らも生きられないと思っているからです。

死んでみて、やっぱり意識が現実だったんだ、、、ということはわかるので、石油を独占したがるのと同じような構造で、人の意識からエネルギーを奪わねば生きていけない錯覚に陥ってしまっているのです。それが幽界です。

なので人がどんなにそれまで元気でいたとしても、不安に意識がとらわれた瞬間、人からエネルギーは少なくなるのです。それが継続したら当然おかしくなるか病気になります。

逆に現実に直面する意識は現実は天のうつし世ですから、基本的に喜びを原則にしています。なので、現実に意識が直面していれば、基本的に元気に生きられます。エネルギーを得ることができるからです。

戦争中などのとんでもない緊張の中で、病気になる兵隊もいるでしょうが、医学の常識を超えて、なんだか元気でいる兵隊が非常に多かったと思います。

毎日敵機が襲ってくるような中で、飢えと緊張に耐えながらも、現実から意識を放せないので、エネルギーは入ってくるのです。その中で、現実よりも、不安におびえだす兵隊は、おそらくエネルギー不足で危険が訪れたことだったと思います。

戦争という究極の状況の中でも、現実に直面している限り、人はエネルギーを補えるのです。逆に、どんなに幸福な社会の中にいても、不安に意識が向くと元気がなくなります。(だから戦争がいいなんて、もちろん言ってるのではありませんよ。戦争を進めたい人は、幽界につながっているからです)

エネルギーは食べることや体操で得られるものではないのです。意識から得る以外にありません。その意識が向くふたつの方向がですから重要なのです。

下に向かう意識は暗い意識の相対へのサービスとして奪われます。現実と現実をうつし世として理解して上とつながる意識はエネルギーを呼び込みます。

ですから、みなさんが、これから生きていく際に、元気が突然なくなる、、、エネルギーが不足する、、、という事態を迎えたとしたら、それは、食糧不足でも疲れでもありません。自分の意識が不安に向いたからなのです。瞬間的にダメになります。

逆にどんなにハードでもどんなに不幸でもどんなに辛くても、現実から意識が離れなければ、元気でいられます。それは不思議なほどです。

なんであの人、あんなに頑張れるのかしら、、、とたまに不思議に思うほど動き回り、神経を使い、実際に働くひとがいるものです。その理由は簡単で、現実に意識が常にまわっていて、不安や恐怖に意識を向けるようなひまがないからです。

忙しくても、こんなことでは大変なことになる、、、と不安が持ち上がれば、人は瞬時に元気をうしないます。

私が言うことが嘘か本当かは、きょう、気持ちの上でお祓いをし、これからの年の後半に試してみてください。

本当にダメになるときは天がそうしているのですから、もう仕方ありません。それまでは意識を現実に向け、現実を動かしている大きな天の采配に気づけば、さらに意識は変化していきます。見る現実の層に深みがでてくるのです。

それが継続意識となった際に安定した人生を送れるのでしょうけど、そうでなくても、人は瞬時に変わるものなのです。

意識が不安に向けば、エネルギー不足。意識が現実にむけばエネルギー充実。単にそれだけです。それを自身でお試しください。そして間違った選択から自由になりたいものです。

私も同様に頑張ります。水無月の払いに際し、なんだか極論が言いたくなりました。