4日ぶりのお日様
きょうの夕方、4日ぶりにお日様を見た。夕日が波うちだってとてもきれいでした。
人間の営みをずっと見続けている太陽。お天道様に恥じない生き方が、日本人の原点だった。
個人も家庭も企業も国も、行き詰ったら天道からはずれていることなのだ。
それをまた元に戻すには、一度原点に戻るしかない。
私たちは大きなものは壊れない、つぶれない、とつい思ってしまいがちだが、大企業も国も政府も意外とたくさんつぶれているのだ。
徳川時代が終わり、大日本帝国が終わり、東ドイツが終わり、ソ連が終わり、、、終わる前はまさかそんなことがあるなんて、誰ひとり思ってもみない。
しかし、国だろうが政府だろうが、エネルギーを欠いたら、天道からはずれたら、あっけなく終えてしまう。
ソ連の終わりも、一週間前までは、誰ひとりそんなことが起ころうなどと思ってもいなかったろう。普通に公社に行き、普通に官庁で働き、普通に暮らしていた。
東ドイツも同様。一週間前まで、いや前日でさえ、人はいつもと何も変わらずに公社へ行き、普通に働き、普通に暮らしていた。
種を植えた作物が実をつけるまでには日数がかかる。お米なら130日から150日程度で刈り入れだ。そろそろ稲刈りだということは、誰にでも予想がつく。
しかし、政府や国が倒れる時はそうではない。前日まで涼しい顔で、この仕組みが永遠に続くようにふるまっている。銀行がつぶれる際も同様か。
人は5年続いたものは、永遠に続くとつい勘違いしてしまう。それにそって将来の設計をたてようとする。
きっと何か、かくあるものにすがりたいので、そう思ってしまうのだろう。しかし、それは藁なのだ。
銀行も政府も国も、つぶれる時は一瞬である。そしてその一瞬はすべての人を驚かす。まさか、あの国が、、あの銀行が、、、あの政府が、、と。
そして徳川もつぶれた、大日本帝国もつぶれた、ソ連もつぶれた。そんなことが本当に起こるのが歴史であり、それに巻き込まれる人生が、けっこう多くあるものなのだ。
今、この日本で暮らし、日々を生きている私たちが、生きている間に、このシステムが、この政府が、この国が、本当に変わらずに続くと、思えるだろうか。
多くの人は続くのが当たり前だと思い、東大に入るとか、いくら貯金をためるとか、マンションを買うとか、考えているが、そういうものが数十年も変わらずに残る保証など、本当はない。
安倍政権が思わぬ長期政権になる、、という話しをよく聞くが、そうなのかもしれないが、終わる時はならば悲惨ではないかと想像できる。
おかしなものを、おかしな方法で、無理に続けるなら、それはある日、ある時、一瞬で消えていくことになる。
浸食がすすみ、ある一定のところまで来ると、突然崩れる大地のようなもので、あのソ連でさえその運命から逃れられなかったのだ。
私が気になるのは、311のあとの各国の反応だった。どの国も気遣ってくれたのはありがたいのだが、ある国は、「悲しいことにこれで日本は貧しい国になる」とあの時点で語ったことだ。
それは確定的な言い方だったので、非常に気になった。確かにソ連が滅んだのは、チェルノブイリがあったからなのだろう。
原発の破壊と事後処理は国家を滅ぼすスイッチだと知っているということだろう。
日本には非常に力があるので、ソ連は一発で滅んだが、事後処理がうまく機能しない形の日本の場合は、さらに無制限の金と労力をつかい、国が疲弊し、国民が貧しくなるというルートをすぐに見抜かれたことが腑に落ちない。
そしてそれは事実でもあるのだ。日本人は打たれ強く、よく働くので、永遠に貧しくてもこうした状態を維持できるところが悲劇である。
結局、原発によってソ連も日本もその運命を変えたことになる。まさに現代的な戦争のようだね。
安陪さんはドンパチやるのがまるで戦争のようなことを言うが、ドンパチやることなど全く不要。原発破壊ですでに負け戦に入ったのだから。
それでもばてないので、さらに追い打ちをかけるような政策ということなのだろうか。
なんで日本はそんなにいじめられるのだろう。どこの国の国民よりも働き、文句や不平を言わず、死ぬまで働けというブラック社長がエラそうにできる国は、日本以外にないと思う。
日本人がもう少しずるく働きがわるければ、とっくにこの国は終えていただろう。上がどんなに搾取しても、金を貢ぎ続ける国民。かんがえてみればすごいものだ。
絞りがいがあるし、ここは宝の島だ。支配者にしてみたら。
だからみんなが日本を欲しがる。その力の源泉が何かを知りたがる。そしてその源泉を知ったら、この国をこの国民を次は排除したくなっていく。
源泉は日本語にあるからなのだ。きわめて不思議な言葉、日本語。母音と子音がきれいに組んだマトリックス言語を発する日本人。
母音言語は日本だけ。赤ちゃんの時代には、どの国の人も母音言語だったのに。
世界は根の深さが絡んだ複雑な様相を呈し始めている。私は日本人の脳の著者である角田博士とは、かつて親しくさせていただいた。
一緒に台湾大学などへ旅行したが、その際に、日本人のありようを言葉の違いから話される博士の思いに触れたことがある。
博士は日本人は言語が特殊だから、日本人でないとできないやり方で問題を解決していくことを考えないといけないとおっしゃった。
東電はアルバ製の機会で放射能除去を考えていたが、やはり打つ手がなくなりつつある。飯島先生の放射能対策は日立が実験に立ち会い、すごい成果を出したにも関わらず、政府は鼻にもかけなかった。
お金のかからないやり方には興味がないのかとつい疑いたくもなってしまう。しかし、本当に貧乏になったら、金がかからない技術でやるしかなくなる。
そしてその時、放射能の問題は解決に向かうのだと思う。日本からこれ以上搾取しようとすると、個々は対策を講じ、まだ自分でイモを作って売った方が儲かると、色々なアイデアを出すようになっていくと思う。
日本はそうしたやり方できっと変わっていくのだと思う。またそれは面白く、魅力に富み、助け合い、うれしいうれしい文明へとつながる道を作ってくれることになる。
さあ、もっと日本人をいじめることです。その方が変化がきっと早くなる。
ここで言う日本人とは、優れているとか、そんなことではありません。世界共通言語の母音を言葉に今なを閉じ込めている日本語は、血の流れを越えた人間意識とつながり、どの人種とも協力できる道の可能性があるということです。
日本語には人間はみな同じなのだ、、、とう原点を知らせる言葉の構造がある、ということなのです。それでも角田理論はやはり多く誤解されます。
しかし、日本語の本質の母音となれば、これが世界共通言語であることを否定できるものではなくなります。
赤ちゃんは脳がもっとも吸収する年代に、どの国の赤ちゃんも母音で語り合うのです。自然界の音もすべて母音です。母音は生きとし生けるものの共通言語なのです。
そこからやり直す以外、ありはしないではありませんか。