ダービー終えて、、

宴の後、、、祭りの後、、、そこには一抹のさびしさがある。

子供のころ、家に大勢の人が来て、わいわい騒いで楽しい時が終え、皆戻ってしまったあと、、、独特の寂しさを感じたが、要するに宴の後ということだったのだ。

一年に一度のダービーも同じ。終えたあとの一抹の寂しさを毎年味わうけど、馬券を取ればそんなこともないのかしら。

宴にしろパーティにしろ祭りにしろ、盛り上がり、終えたのち、そこにいた人はみな個々に戻っていく。

ディズニーランドなんかもこれから出かける時の人の表情と、帰る時の人の表情はあきらかに違う。

また会社が始まる、、また日常に舞い戻る、、、突然重くのしかかる、まだ宿題が残っている気分、、仕事のやり残しがある気持ち、、、借金の悩み、、病気の重さ、、そんな思いを抱く人もいるかもしれない。

スポーツ観戦などはその興奮度とそれが終えた後の一抹のむなしさの感情は、きっと反比例するのだろう。

勇ましく旗を振りまわして応援する人は、どうやって個に戻っていくのだろう。

人が死ぬ時も同じなのかもしれない。個に戻っていくわけだから、たった一人で。

森田正馬博士は、むなしさを徹底して味わうと、深くて良い味がする、、、というようなことを言っていた。

だが多くの人はむなしさをよくない感情と思って、それから逃げようとする。

スポーツ観戦が終えたというのに、みんなで飲みに行って、また一騒ぎする、、、それはまた違った意味で楽しいだろうが、結局は、一人去り、一人去り、、、と、誰でもいつかは個に戻らねばならない。

宴の後は、パーティや催しやスポーツ観戦とは限らない。文化祭に心労を費やして大成功したあと、何等かの発表会にもきっと宴の後の雰囲気がある。

もっと言えば、夏の終わり、、、東北の夏祭りが終えた後など、残酷なくらいに人は宴の後を感じるのではないだろうか。

青春の終わり、、、恋の終わり、、、そしてやはり人生の終わりか、、、

しかしこうやってみていくと、森田博士が言うように、どれも味わおうと思えば、味わいがある気がしないだろうか。

誰でも芸術家になったような気にはならないかしら。宴の後を味わうことができたなら。

それができるかできないかは、何かとても大きな差であるように感じられる。

この感覚、もしかしたら宇宙人には少ないのかも、なんてバカバカしいことも思うけど、個に戻ってみない限り訪れない感覚。

お祭りは永遠には続かない。いつかは誰もが個に戻って何かを清算することになる。

しかし、そこには必ず味わいがあるのだと思う。

ああ、今年のダービーもおわた。同じ日に歌会があり、小学校のクラス会もあったのですが、どちらも盛り上がったかしら。

私は離れられない用のため、どちらにも出れませんでしたが、ダービーだけは見れたよ。

青葉城恋歌という昔の歌がある。今はあの人はいない、、、と歌うのだから、一年前とは異なり、宴が終えた気持ちで、個に戻って、早瀬川を見、祭りを眺める、、、のだが、本当は、その歳の方が味わいがあるのだ。

ここに文化や芸術の素晴らしさもあるね。サダマサシさんの歌にも、そうした原点がいつもありますね。

恋の歌は大体そうだね。今うれしい、、今素敵、、今幸せ、、って歌っても、あっそう、、で終えてしまう。

昨年の祭り、、あの人と見た、、その祭りがまた、、、というから、みんな味わいを持って聞きたくなるんだよね。

宴をたくさんもち、、、個にもたくさん戻る経験をした人って、、、やっぱりいいんじゃないかしら。

個に戻るにも色々な戻り方がもちろんあり、うらめしく酒なんかあおりながら戻ってるのが演歌。演歌もいいけど、やっぱりここで止まりたくはないし、、、

味わい深い個に戻るには、事実をきちんと受け入れることが大切なんだと思う。

去年の祭りにいた君が今はいない、、、そこがはっきりしてれば、個にきちんと戻れる。

演歌のようになると、去年の祭りにいた君は、オレを捨ててどこに行きやがった、、という「この野郎」的な面倒くささがありますね。

どこにいてもいいと思うのです。自分さえ個に戻っていてくれさえすれば。

個にもどれない魂は幽界に行っちゃうのかな。それじゃ味わいがなくなるという感じですね。

私の古くからの友人で新井歴史観を完成させつつある新井氏が、興奮気味にベビーメタルという少女グループを絶賛していたけど、確かによかった。

14歳、14歳、16歳のトリオの少女が、それぞれ演出であるとはいえ、個に戻った時点で歌っている。

絶望の中での魂の叫びを歌う少女たちを見て、初めてイルミナティ文化で感動した思いです。

ジェットコースターに乗って絶叫することは誰でもできるけど、AKBとは格が違うすごさを感じました。でも、人気はあまり出ないのかもしれないけど。

ベビーメタルは意図的に作られたグループとそのメッセージ性も露骨だけど、個に戻ったあきらめの中で消えぬ叫びを歌うあたりは芸術的なんです。

ともかくダービーを終えると、毎年、こんな気分になるのは、なぜかしら。

宴の後の個に戻り、芸術家気分でいるのと、、、

大当たりして、やったやったと騒ぐのとでは、、、

やっぱし大当たりの方が、、、

いいに決まってます。。。。