そして7つの丘の町は崩壊する、、

ローマ教会で有名なマラキの予言。マラキは聖者の扱いであり、信頼できる人だったのでしょう。

実際にマラキ予言は的中している面が大きいです。予言の内容はマラキ以降の後世のローマ教皇がどういう人かという予言。教皇一代ごとにその特徴をマラキは語ったのです。

と言っても、たった一言しか言わない教皇もいたりするので、読む方が想像力を働かせないと解けない場合も多いです。

これはけっこう有名な話しなので、個々の内容についてはここではあげませんが、大切なことは、最後の教皇がおり、この人で最後です、、、という終わりがある点。

なんと、それが現教皇なのです。昨年の2月11日に突然ベネディクト16世が退位を表明。その晩、あろうことかサンピエトロ寺院に雷が落ちる。避雷針に落ちたので問題はなかったのだが、象徴としては意味深であると誰もが思った。

次の教皇、すなわちマラキ予言の最後の教皇は3月13日にコンクラーベで圧倒的な支持を受けて選ばれた。しかし、下馬評にはまったく上がっておらず、なのに圧勝した不思議。

マラキ予言最後の教皇の名前は教皇フランシスコである。マラキはそれをペテロと予言していたと思う。なので外れたから、フランシスコが最後ということはない、、と安堵した人も多かった。

しかし、その後の調べによると、幼児洗礼名がペテロであったことがわかったらしいが、あまり表には出てこなかった。ローマカソリック最後というマラキ予言を嫌う人が多いためだろう。

さて、教皇フランシスコはアルゼンチンの出身でヨーロッパ以外からローマ教皇が出るのは、1000年以上も前のことで異例中の異例。

マラキは最後の教皇の就任の状況を次のように語っている。ローマ教会への極限の迫害の中で着座する。彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして7つの丘の町が崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。
 そう書き残し、最後に、終わり。とあえて付け加えたのだ。

以降の教皇についてのマラキの予言は一切ない。もう終わるのだから、以降がないのは当然か。

さて、このマラキの予言を現フランシスコ教皇に重ね合わせてどう受け止めるか、、、ということになる。

まず、教皇フランシスコの前のベネディクト16世の突然の退位も、異例中の異例だ。教皇は死ぬまで大体はその地位におられる。なぜ、退位されたのか。

表向きは高齢による体力の限界、ということだった。しかし、ローマ教会は大変な問題に直面していた。

それはベネディクト16世の時だけではなく、その前のヨハネパウロ二世も退位を考えていたという話しがある。

なぜか、教皇は追い詰められているのだ。さらに前のヨハネパウロ一世にいたっては、着座後、わずか33日で逝去している。あまりに不自然。ソ連でも確か、アンドロポフでしたっけ、、、書記長になったのち、すぐに逝去した人がいた。

組織というのはダメになる前に、こうしたサインが必ず現れる。ソ連はその後滅んだわけだし、33日で逝去したり、退位を考える教皇が出たり、実際に退位する教皇が出るということは、きわめて異常なことなのだ。

マラキは最後の教皇が着座する状況を、ローマ教会極限の迫害、、と言っている。なんだか、つじつまがあってしまう。

実際にローマ教会には、大変な問題が持ち上がっていた。今でも同様である。少年を性的に犯すなどする中で、それらが組織的に行われているという疑惑。

疑惑をかなり通り越して実態が現れてきているようだ。そこには少年殺人も含むあきらかな反社会的というよりも悪魔的な要素が高い疑惑となっている。

そして容疑者がすでにおり、現在、三名の司教の取り調べを行っているとフランシスコは述べている。取り調べの内容、犯罪の内容は、悪魔的なものだという。

噂通りの展開。そこまでのことをするくらいなら、バチカンの資金やそれにまつわる出来事にも、言えない状況があると思うのが自然。

こうした法衣を着た悪魔という実態が知れ渡ったとしたら、ローマ教会の歴史自体が血にそまり、嘘にそまり、存続の理由を失ってしまう。

本当に事態はそこまで行っているのではないだろうか。

さて、ひるがえって、日本でも同様のことが起こりだしている。ASUKAの問題がどこまで行くかはわからないが、もう誰の目にも、それを取り巻く、それこそ悪魔的な所業が見えてしまう。

覚せい剤、迎賓館、接待係、芸能界、政治界、スポーツ界、、、、悪魔的諸連合のなかよしクラブ的な実態がもし民衆に知れ渡ったら、、、それはローマカソリックと同じ構図ではないか。

原発ストップの判決が出たのに、それでも動かすという政府。天皇が憲法を順守する姿勢をお示しだというのに、それでも憲法を変えるという政治家は、一体何なのだろう。

まさに7つの丘の町なのではないか。

戦争を急ぐには、ばれたらおしまい、、という切羽詰まったものがあるからではないのか。

国家の財政は火の車だというが、なんで国にかかわる人にはお金が豊かなのか。

国民監査を複式簿記で行なうことの重要性を藤原直哉先生は強調されているが、もしそうなったら、どんな事実が国民の前に知らされるのだろう。

そうなったら、7つの丘の町は本当に崩壊してしまうのかもしれない。

嘘で持っている現状、、、だから空気が重たいのだ。
悪が締め付けている現状、、、だから心が苦しいのだ。
権力と快楽に頼るしかない現状、、、だから夢を持てないのだ。

しかし私たちにはフリーエネルギーがある。私たちには信頼し合う者同士のつながりがいざとなったらある。私たちには金以上のものが心の中にある。

なので滅ぼされることも負けることもありません。彼らと同じ地平に立たない限り。