真面目病
この世にあるもっとも重い病気は真面目病。
まあ、そんなことはないだろうが、時代が押し迫ってくると、一番割に合わなくなるのが、真面目な人だ。
会社が言うままに、、、国が言うままに、、、お医者さんが言うままに、、、真面目だから反発せずに従う。
本気で従うのならいいが、心の片隅には不信があり、気は乗らない。
でも反発したり、反抗することなどはできない。真面目な人なのだから。上が言うままに、従うのが美徳であると信じているが、本当のところは怖いからだ。
ノーというのが怖い。真面目でいれば周囲から浮き上がらない。嫌われない、、そう本気で思ってしまうのだろう。
言いたいことも言えず、真面目に生きてきた人が、不運にも亡くなったとしたら、その葬式は本当に暗いものになると思う。
きっと、どこかで恨んでいることだろうと、、、葬儀に来た人はなんとなく感じてしまう。
この世で善人、、、あの世で悪魔に変身、、、きっとそうなるのではと人は恐れる。
反対に好き勝手やって長寿をまっとうした人の葬式なら、思い出話しにも花が咲く。厄落としの酒も安心して飲める。
もともと、真面目というのは、周囲から期待された人物を演じるという役であり、しょせん無理がある。
癌にかかり、医者が言うままに抗がん治療を行う、、、あまりの苦しみにもうやめたいというのが、絶対の本音だと思う。
しかし、もう一度やりましょう、、という医者の魔の声にノーと言えない。そしてのたうちまわる苦痛。もう死んだってこんなことよりはましだ、、、と怒鳴れない。
怒鳴れば、道が開けるかもしれないのに。一番大事なイノチを見ず知らずの医者に預けてしまう。
医者は決して自分が癌になったら抗ガン治療などしないというのに、そんな医者の進めに従う。
でもどこかおかしい、、、どうしても嫌だ、、、でも真面目だから言えない。
そんな日本人が本当に多いと思う。どうせ殺されるのなら、もっと、感情的な抵抗してもそろそろいいのではないかと思ってしまう。
真面目に苦しみに耐える限度を今の日本は越えてしまっているように感じるのだ。
ブラック企業がのさばるのも、政治のあまりの圧政が続くのも、真面目な人が多いからインチキが通用してしまうのだ。
癌に関しては、世界の主流はとっくに抗ガン治療などやっていないと聞く。じゃ何が主流かというと、「放っておく」と。私も最初は耳を疑った。
真面目な人の上に、白衣を着た悪魔が踊っている、、
白衣は医学であり、科学であり、法曹であり、教育であり、政治であり、経済であり、金融であり、、、
そろそろ真面目病からさよならする時期が来ているのではないか。「これじゃ殺されちまう」と言っていい頃合いではないだろうか。
本当に殺されちゃうかもしれないのだから。真面目に我慢しても、もう誰も喜ばない。イノチが悲しむだけ。
食堂チェーンで一斉にバイトがストライキを行う、、、という話しがあるが、そこまで本当に追い詰められているのだと思う。
アメリカでもすごい人の数がワシントンに集まりだしたようだ。退役軍人が怒りだしている。私がイノチをかけて守ろうとしてきたアメリカとは違う、、、きっとそういう気持ちなのだと思う。
日本も同じだろう。下級裁判官とはいえ、やっと原発再稼働をダメと言ってくれた。偉いものだ。一縷の望みを感じて、心がスーッとした日本人も多かったと思う。
天皇皇后両陛下はその頃、足尾銅山に出向かれた。私的に行かれたようである。足尾銅山では公害により多くのイノチが奪われた、負の記録を記念した場所だ。
原発再稼働の違法性を裁判が認め、同時に天皇は足尾銅山へ出向かれた。偶然かもしれないが、思いは一つとの希望が湧いてくる。
面白いことに、政権のブレーンの一人は、天皇のご発言が安倍政権を批判しているように国民が誤解すると、大御心を批判した。
天皇は憲法順守をお述べになっただけで、当たり前のことである。それは日本の決まりごとなのだから。天皇も政治家も国民も憲法を守る、、当たり前のご発言。
憲法を順守するのが政治の仕事。憲法解釈が首相の自由なら、憲法など不要。
一体何がしたいのか。真面目な人はまだそれでも従うのか。今の日本は真面目な人の口を無理やり押えて抗がん剤を流し込むような暴挙に出ているように、私には思えてしまう。
しかしあまりにおかしすぎるので、ここまで来ると、やはり多くの人がおかしいと思い出す。
おかしなもののあぶり出しと考えると、逆に納得がいく。誰の目にも、今、おかしなものが、各地で各階層で、あぶりだされつつあるのではないだろうか。