峠はやってくる

何か問題が起きたり、にっちもさっちも行かなくなることを、よく「壁にぶつかる」という。

停滞の代名詞だが、壁にぶつかるのは動いているからでもある。そうひふみには書いてある。

確かに動いているから壁に当たるわけで、動きがなければ壁にも当たらないし、変化しなくなる。

この世の本質が変化であることを考えると、本当の危険とは変化に抵抗することとなる。

安定した平穏な暮らしが永遠に続くことは誰にとっても願いであるが、時にそうならないこともある。

それは誰が悪いからではなく、変化しなければエネルギーが取り込めない面と、宇宙の法則からすべてのものは生生流転発展しているのだから仕方ない。

男と女がいて、それが近づけば、違ったエネルギーがぶつかり合い、それを平板化しようとしてエネルギーが無の世界から流れ込む。

人はそうやってエネルギーを得るし、子供さえ授かる。何も男女だけの話しではなく、+と-があるのは、ぶつかりあい、平板化する際に生じる変化がエネルギーを招き、永遠の運動をもたらしてくれるからだ。

動く、、ぶつかる、、、絡み合う、、、格闘する、、、すべて平板化をめざし、そこにエネルギーが流れ込む。

それがなくなれば、腐る、、崩壊する、、消える、、という運命を余儀なくされる。仕方ないことだ。

ならば人生の目的、存在の意味とは何かとなれば、変化すること、、であり、表現することに他ならない。

貯めこんで安心し、余生を送れると思うのは本質からずれるので、その人を生かすためにきっと天はそうしたものを奪い取ることになると思う。

国の支配者や企業の支配者が、自分たちだけを守ろうとして、すべてを奪い、すべての上に立ったところで、宇宙の法則がそれと違えば、アトランティスも滅び、大陸も滅する。

停滞からはエネルギーが流れないので、地球は大陸を沈めてでもそれを補充するしか生きられない。

天災が起こる理由がそこにある。

現在の時代と人は行き詰まっている。エネルギーが入らない。システム化、それによる一方的な偏り、、、それは一言で言えば、自我の欲望のなせる業であった。

自我の欲望は全体と個を切り離し、個のみの永遠化を願う実はパロディなのだが、個はしきりに本気でそれを行う狂気を持っている。

それがピークに達したような今の時代には、地球は自我の欲望によって汚される一方であり、地球は天災を起こしてエネルギー補充を測らねばならないときが近づいてしまう。

それで何回、人類は滅んできたことか。今回も限界に達していると思われるので、何か起きても不思議はないが、個々の意識の変化により、それは食い止められる。

意識がどう変化するのがよいかは、簡単で、個と全体は同じであるという意識。命は一つの意識で自分を世界を考えられ、捉えられるかどうか。その意識で行動できるか、、、

分離、測る、所有、権威、、という個と全体を切り離す作業からいかに自由になれるか。

大天災を何とか食い止められたとしても、経済金融だけはやはり崩壊することは免れないと、飯島先生はおっしゃるが、私もそうだと思う。

いずれ、金融経済は崩壊することになるでしょうが、それが本当のチャンスでもあり、峠はやっては来るが、それはぶつかることで、動いているからです。

悪い世に変化を拒めば、何が起こるか、、変化し、ぶつかろうが、先を見通す目を持ち、安心の心境で生きていきたいものです。

そのためには、やはり人と人の意識がぶつかり、刺激し合う場が必要。トキワ荘からほとんどの漫画家が育ったように、松下村塾からほとんどの時代の担い手が育ったように、今、そうした場が必要になっています。