幸福って何 (生き方研究しよう)

あまり難しいことをなしにすると、要するに人間はほどほどの尊厳と自由の元、生きていければよい、、ということになりはしないか。

昔から何が幸福か、、とよく考えた。もちろん人によって異なるのは当然だが、そこをあえて推し進めて考えると、下記以上の幸福なんてあるのかと昔から思ってきた。

小さくとも清潔なアパートやマンションや家が確保でき、一応二回ないし三回の食事がとれて、それもごちそうではなくていいが、よい塩、よい醤油、よい油、よいお砂糖で作った料理。よい水があればそれだけで、ご飯もおいしく炊ける。

部屋には電化製品などはあまりないが、テーブルには花が一輪いつも咲いていて、季節を教えてくれる。

近くの畑を借りて、自分が食べる程度の野菜は作る。一人ではさびしいので、恋人や夫や配偶者がいる。

服は贅沢はできないが、清潔でいつもきちんとしている。年に何回か着る正装だけは持っていればそんなに不便を感じない。

残業などはせず、早く家に戻り、ゆっくり二人で食事を作る。食べ終えたら、二人で散歩。

寝る前に毎日、一本だけ好きな映画を見たり、本を読む。

6時半には家に戻り、食事を作っても8時には食べ終え、9時には散歩から戻り、11時には眠れる。極めて健康的。

このパターンだと家賃が地方なら4万円。食費が3万円。光熱費や交通費など文化費をいれても3万円。電話代他で2万円。合計で12万円あれば二人で暮らせる計算。

二人でふつうに働けば、十分におつりがくる。毎月10万円近い貯金も可能。

二年も二人でつづければ、新しい生き方の展望も立ってくる。二年で200万円貯められるので、本格的な家を森の中に建て、完全とは言えないものの、かなりの自給自足に近い生活も展望できる。

私の家の庭に立っている8畳のログハウスは確か60万円で作ったものだが、もう10年たっても十分に使える。そんなログを森に建てて暮らせば、さらにお金も貯まる。貯まっても、使うものがない、、、という形になっていく。

同様な暮らしをする仲間が近所に集まり、野菜や果物、しょうゆ、みそ、すべて手作りの交換が可能になれば、服を作る人もいる、車は一台を4件で使いまわす、、、中には手の器用な人がいて、面白いものを作る。

道の駅に置いたら、売れちゃって困っちゃう、、売れなくてもそれなりには稼げちゃう、、、

夜は一件づつご飯を食べるのではもったいないので、それぞれ作ったものを一品程度持ち寄ってファイヤーのまわりに集まる。

自宅用で作った酒まで持ち込まれ、みんないい気分。若い恋人同士はいちゃいちゃしている、、、年寄りカップルも楽しそう、、、

火の回りに集まって、誰かが歌を歌う、、楽器を奏でる、、、踊り出す子供、、、大人、、、抱き合う男女、、、

まるでジプシーの森の饗宴だが、これ以上の幸福がこの世にあるのだろうか。

最高の幸福を手に入れるのに、一体いくらかかるのか。答えはかからない。お金をかけないからむしろこうしたことができる。

皆、そんな生活をしていれば、だんだんと息があってくる。そんな中から、おいらのこの土地を、もっときれいにしてみないか、、、と提案が。

そうだ、もっと木を植えよう、、果樹も植えよう、、散歩の小道も作ろう、、、

あっという間に森は楽園に変身。明治神宮の森も原博士を中心とする人が作った業だった。果樹と美しい森の道などすぐにもできる。

7年もしたら、みな散歩しながら実った果物を食べながら楽しめる。

人は自由になれば文化的な関心が高まるだろうから、みんなで劇団を作ってみないか、、音楽会をやらないか、、ソルフェジオで恍惚になってみないか、、という感じで、何かやりだす。

好き勝ってにやるけど、マトを得ているから、ツボにはまる。面白い、、愉快だ、、楽しい、、、感激、、、

みんな見に来る、、行ってみたくなる、、、仕方ない、森の観客席もつくるべ、、となり、自然にチケットが売れてしまう。

おばさん、娘さん連中は、食べ物作りに大忙し、、、売れて売れて、困っちゃう、、、

地酒だけで20万円も売れちゃったよ、、、お金なんかいらないのに。

仕方ない、共同の軽トラを辞めてベンツにするか、、いや待てよ、、馬車の方がよいべ。そうだそうだ。

殺されそうな馬を引き取って、馬車やるべえ。

そんなことがネットに載ると、馬車を作ってほしい、、、と全国からの注文が。

困ったな、、作ってやるべか、、、値段はわからないから、オークションでいいか、、、

困ったよ、1000万円にもなってるよ。世の中おかしくねえか、、、

というようなことが本当に起きることでしょう。

結局、意識なんです。意識の方向に沿って、未来はやってくる。

怖い怖い未来意識を捨て、新しい喜びの未来意識を持てば、こうしたことはあっという間に実現します。

仲間がいて、おいしい自給の食事ができ、文化があり、毎晩、仲間が集まって夕食と饗宴があり、その上、愛する異性がいる、、、それ以上の幸福など私はないと思います。

そうした山で、そうした土地で死んでいきたいと、本当は誰でもが思うのではないかと。最高の医療器具の中で贅沢な治療を受けて、、、そんなことは望む人は本当はいないと思うのです。

簡単な方法を捨てた現代人。それを取り戻せば、何も怖いものなどない。結局、普通に生きていければ、この程度のことは誰もが本当ならもてる。

この数百年のやり方を変えるときがきっとやってきます。