自分って誰、

音叉を学び、体験していくと、見える世界が本物なのか、それとも見せるようにした原因の世界が本物なのか、、その区別がわかってくる。

簡単に言うと、肉体が本当の自分なのか、、心や意識の部分が本当の自分なのか、、、ということでもある。

もっと平たく言うと、体は肉体として動いているのか、それとも、肉体に働きかけるエネルギーが動かしているのか、、、ということにもなるし、炎は物が燃えているのか、それとも物にエネルギーが注がれて燃えるような現象が起きているのか、、、でもよい。

そうして、肉体を動かしたり、物を燃やすエネルギーにせよ、それらは肉体の中や物の中にあるのか、、、というと、そうではない。

エネルギーというのは、すでに存在して形になっているものからは出ていない、、、となると、物理学の基本が変わってしまう。

目に見えないもの、、、意識はその代表各だが、エネルギーはそこからしか訪れない。

意識がエネルギーを呼び込み、この世のすべてを動かしている。自分が動いて横丁のパン屋さんへ行く動作も、意識がそうさせてエネルギーを呼び込んでいるから、連続で呼び込んでいるからパン屋に行ける、、、

動作の連続も意識からエネルギーがやってくるからできることになる。実際にパン屋へ行く、、という意識がなければ、私たちは一歩たりとも動けない。

肉体の中にはそんなエネルギーはない。肉体は常に意識を通してエネルギーを集め、存在している器官であり、無限の表現を有限の中で行っているわけだ。

何が言いたいのか、わからなくて当然だと思うが、言いたいことを一言でいえば、私たちは意識するにせよしないにせよ、実は無から訪れるエネルギーによって、生かされているということで、それは永遠の表現をするべく期待されているということになる。

なぜなら、イノチは一体で出所は同じだからである。一つのイノチから生じた無数の表現としての役割であって、大宇宙イノチ劇場の誰もが配役であり、主人公でもある。

エネルギーの大本からは無数のエネルギーが出ており、いつでも本当ならそれをキャッチできるのが私たちの存在だが、肉体ではなく意識がそれと同調するため、私たちの意識と同等のものしかエネルギーをキャッチすることはできない。

死の不安におびえる者には、肉体が自分という意識といやでも同調し、死の恐怖はいや増すことになる。

幽界の寂しさ、、恐ろしさと同調する意識が優先なら、どうしてもそうした恐ろしさに追い掛け回される。

下の意識はそんなには広くないのでちょこっと意識が変わるだけでも救われる構造をしていると思うが、上には上があり、さらに上があり、さらに上の立体があり、さらに上の立立体があるという歓喜の構造のようだ。

優れた宇宙船やUFOなどの乗り物には、おそらく操縦桿はないことだろう。意識があらゆるエネルギーの出所と知っている優れた宇宙人なら、自己意識操縦桿さえあれば宇宙船だろうが何でも飛ばせるだろうし、物質化もできるわけだと思う。

しかし、意識が高くなれば何もわざわざ物質化する必要もないわけで、「○○ちゃん、ちょっとあれを物質化して、、、」なんて言われて、「やだ、めんどくさい、、」なんて言ってるかも。

大阪に行くのに、新幹線を乗るしかない、、なんて、なんでなの、、、という具合になるのでしょう。

肉体には大きな意識の表現としての土臭い魅力は確かにあると思うでしょうが、好き好んで肉体化するのも、面倒、、、という宇宙人がきっと多いのではないでしょうか。

物体化した自然は確かにすばらしいですが、それはほうっておけさえすれば、永遠の運行を刻む、見事な宇宙意識の体現だからです。

しかし、人間だけがそれを壊すのです。金儲けとか言って自然を壊して、、本当にバカみたいなのです。

それによって自分が滅ぶことも知らず。なぜなら、自然を壊す人には、自分が意識体であるとの自覚はありません。自分が物、、肉体だと思っているから、肉体を高度に維持しようとして、物質をあてがい、物質と物質の争いを生み、滅んでいく道しかみえないのです。

そういう人たちを地球人は優秀だと言ってきたのです。あまりにあまり。王仁三郎が学問の神との戦いぞ、、というのもうなずけます。

ともかく、あなたは肉体が自分ですか、、、意識が自分ですか、、、この一点に未来の違いが出てきます。

有限の肉体意識で超えられる時代ではありません。