意識がエネルギー

4月に入って消費税がアップし、スーパーなどでは人の出が少ないようです。

何、最初の一週間程度だと、政府関係者は思っているのかもしれませんが、果たしてどうでしょうか。

私は消費税アップはやはり中止した方がよいと思います。財務省はメンツにかけてそんなことは言い出さないと思いますが、予期せぬ事態で中止にする流れになるかもしれません。

予期せぬ景気の落ち込みなどです。そして国民がついに怒り出す形でしょうか。

国民が口にする添加物だらけの食品で怒りを抑えているのかもしれませんが、ある限界に達するとむしろ突然怒り出す、、、そうしたパターンもあるかも。

実際、徳川時代が終える際にも、人々は不思議な変容を遂げています。今回はもっと大きな変容ではないでしょうか。

江戸末期の開国への流れは、日本人に西洋優位の憧れを起こさせ、そのことが日本人の劣等感を今なを形成しています。

本当に恥ずかしいことに、まだ西洋に憧れをいだかせ、それを消費に向けさせる形で経済と文明を維持しているのです。

明治も戦前の日本の軍国主義も結局は西洋崇拝の流れの中の出来事だと知ると、本当にいやになってきます。

それにしても何でそんなにまで騙されてしまったのでしょう。その根底にあるのは、目に見えるものがすべてだという信仰にあります。

目に見えるものは、文化以外は、西洋がやはり上だったのです。軍艦も武器も陰謀も、この世の権力を牛耳る方法において、完璧に西洋が上でした。

目に見える世界を自分のものにする、、、支配する、、、支配した者が強く正しい、、、被支配者は何をされても仕方ない、という考え。

この世には征服者と征服される者がいるという考え。
驚くことに、キリスト教もこうした価値観と離反しなかったのが不思議なのですが、実は理由があるのです。

要するに、強いということは、神がそうして選んだ、、という考えだからです。はっきり言っておろかです。

まったくそうではありません。フリーエネルギーの法則を知ると、まったくでたらめであることが明白になります。

支配者がフリーエネルギーを取り締まるのは、自分たちへの経済への悪影響もあるでしょうが、そうではなく、もっと根本のものへの恐怖です。

フリーエネルギーを利用した発明はいま、たくさん出ています。主に電気を起こすシステムですが、それはそれで本当に普及してもらいたいと思います。

しかし大事なのは、フリーエネルギーそのものの根底にある原理です。単に実験で得た形でのフリーエネルギーだけではなく、私はノンジュールと言っていますが、ノンジュールにはきちんとした原理があります。

すべては多様性なのです。自然界のものには何ひとつ同じものはありません。機械化とオートメーションは本来何ひとつ同じものがない世界に同じものを供給し、同じタイプの人間をつくり、同じ考え方、その優劣のみですべてを測ろうとするシステムです。

だから政治家も企業家も優秀と言われながら、実際にはバカばかりとなり、この世に大きな不幸をもたらす形になっています。

ノンジュールの根本の原理は何かは、違ったもの同士、、、多様性があるので、それらの間に埋め合わせしようとする圧の平等化の力が働き、そこにエネルギーが流れ込むのです。

若い男と女がひとつの部屋にいれば、埋め合わせしようとする力が働くのと同じです。そこにエネルギーが流れ込み、愛という発酵現象が起きるのです。そのことで人類は永遠性を実際に生きてきています。

現代の危険性は、同じもの優位の世界観ですから、違ったものが平均化する際に働くことを意識の上で拒否しています。

すると互いに本来違う存在であるにも関わらず、そこにおける平均化の動きがなくなり、エネルギーが流れ込まなくなってしまう。

同じ理屈ですべてのものを動かそうとしているので、地球にも人類にも力が出てこない。

仕方なく、地球は動こうとし、人は意識をかえさせるために予期せぬ変動をもたらさなくてはいけなくなる。

悲劇や騒動や天変地異が起こるのは、金太郎あめが勝ってしまったためなのです。

個性化、個と個のぶつかりあい、融和と発酵。それがノンジュールエネルギーを呼びこむ唯一の方法なのに、すべてはオートメ化した存在となったので、同じ部分での共同しかない。似た部分だけでうまくやろうとする。
学閥、よい子クラブ、特権階級、、

それでは会社も政府も終えていきます。一言でいえば、自然よりもオートメが勝ってしまったわけで、死の世界をもたらす危険が出てきます。

ただ、自然には永遠性がありますから、黙ってみているわけではない。仕方なく火山は爆発させるし、地震をお起こさせ、台風を起こさせ、、、要するにかきまわぜるしかなくなる。金太郎あめが勝つ道理は決してないのです。彼らは終わらせるのは上手かもしれませんが。未来は決して生み出せない。

異質なものが、、違うものが、、、ぶつかり平均化しようとする力が働き、、、物質は変容してそこにエネルギーが流れ込む。

発酵化したものとしてないものとは、化学式は同じでもまったく違ったものとなる。一切副作用をもたらさない薬もこの原理でできる。

塩酸に指をつけても大丈夫だったのは、それが発酵化した塩酸であったから。

こうしたことを地球はずっとやってきているから永遠だったのです。宇宙もそうです。自然だけが永遠なのです。

その中でもっとも重要なのは意識です。意識がエネルギーそのものなのです。ご飯を食べてエネルギーを得ているのとは本当は違う。そういうと確実に誤解されると思いますが、本当は意識があるからエネルギーを得ているのです。

重症患者の意識があるかないかがとても重要で、意識があれば、意識はある、、、という言い方となり、助かった、、、となります。

意識不明は非常に危険。意識がないくらい重い、、、と考えてそう思うのだと思いますが、実際はそうではなく、意識がないと、エネルギーが取り込めないからなのです。

おそらく瞑想の達人なら、意識がエネルギーそのものだということを感じたことがあると思います。

実際に何も食べないで生きている人もいるのですから、何か理由はあるはずです。それは意識がエネルギーだということです。

こうしたことがわかってきて、新しい時代ができていかない限り、知識や一般論も大事ですが、本当にそれでうまくいくのでしょうか。

余裕があれば遠回りも意味があると思いますが、もう、そんなに遠回りしている状況ではないのではないでしょうか。

これ以上、民衆から金を奪い、企業や特権階級を豊かにさせても、もう奪うものがなくなってしまったら、何をするつもりなのでしょうか。地球人類を5億人に減らせば、特権階級が生き延びることができる試算のようですが、それは算数でしかありません。

エネルギーはどこから来ているのか間違っていれば、すべては絵に描いたモチです。

違ったものが互いに組み合い、お互いが違ったものに変容していく以外に生き延びる道はないのです。

祭りの原理ですね。祭りで発酵が始まり、お互いの形が変容し、ノンジュールエネルギーが入り込む、、、それが永遠。

黒船には勝てない、、、なんて幻想はもう捨てて、新しい時代に入らなくては。