明日は立春

明日は立春。陽も長くなっています。

明日は今年一年を易で占います。共時性は重要な法則で、この世は意識圧が宇宙エネルギーを集め、さらに共時性を持つという理論だけですべてを説明したくなっています。

そうなると、物事はきわめて簡単で、この世の現象はすべて音さ、すなわちチューナー現象であることで、かなりの部分説明がつきます。

私がなぜチューナーに導かれたのか、それが偶然であるとはどうしても思えません。

この世はすべてチューナー現象であり、作用と反作用が基本原理です。私たちが生きるのは作用を行うためであり、それによって反作用であるエネルギーといってもいいし、完全な善といってもいいし、神といってもいいものを招き入れるのです。

自身が音さであり、行動が音さであり、意思が音さであり、意識がもっとも計測的には小さいが大きなものを引き寄せる力を持ちます。

一言でいえば、意識の圧力が大きなエネルギーをもたらすのです。やり取りや奪い合いは過去の結果の奪い合いですから、意味がありません。

お金もいくら蓄えたところで本当はカスなのです。カスをたくさん集めても、本質には何ひとつ寄与しません。

なのになぜ人は汗水たらしてお金を得ようとするのか、、それはそれでいいのですが、ただそれによって現実が幽界化していくことはゆがめません。

お金は結果で時間的に言えば過去に属します。過去に属するものに真剣に取り組めば、どうしてもそこにかかわる現実は幽界化するのです。

作用反作用のことが自分なりに理解できるようになってから、私は銀行にいくのがけっこう苦手になりました。

銀行員の息遣い、、目の視線、、態度の節々に、過去のにおいがするどうしようもなく重たいものがあることが伝わるのです。

個々の銀行員はみな普通のよい人なのでしょうが、いったんお金というものに意識を通す世界ですから、どうしても不自然なものを感じてしまうのです。

以前はそんな風に感じることはなかったのですが、今は耐えられないというか、銀行員と目が合わせられなくなりました。

目を合わせると、どうってことはないのですが、こちらが勝手に本質を理解したつもりで見ていることが、相手には不快な感情を刺激してしまう、、、それが伝わってくるのです。

もちろん、こちらの勝手な思い込みであって、実際は違うのだと思いますが、少なくとも、銀行がどういう世界かを理解してしまったので、行きにくいのです。

と殺場がどいうところかわかった人が、動物に愛情を持っていたとすると、と殺場の事務所に行かねばならないとき、そこの職員と目を合わせるのに、つい不自然な気をつかってしまうと思うのです。

それが相手に伝わってしまうと、両者の間に何かしらの気まずさがある、、、そんな感じでしょうか。

と殺場の職員が悪いとか、銀行員が悪いとか言う問題ではないので誤解は避けたいのですが、意識の違いがぶつかり合う気まずさはこれからの時代、いろいろなところで出てくるように思います。夫婦や親子の間にさえおきてくるでしょう。

とはいえ、私はどちらかというと人一倍、お金も好きなほうです。昔から事業的なことや考えがすきで、今でもそれは同じです。

ただ、お金を目的とするか、結果とするかで、大きな違いはあり、私は常にお金を結果として捕らえていたので、それに縛られることはあまりありませんでした。

競馬で多額のお金をするような体験を大昔からたくさんしているので、あまりこだわりがないようになった面もあると思います。

ともかく、お金は結果で過去に属するものです。なので、それを目的としたとき、私たちが過去に、幽界にひきづられることになる道理があるのです。

これからのお金儲けの方法は、それを目的とせずにそれを得るようにする、そんなスタイルになるでしょう。またそれがいいと思います。

お金に限らず、結果の世界が行き詰っていますので、結果としてのお金儲けばかり考えて実行しても、きっとうまくいかなくなると思います。

そんな気の切り替わりにも、立春は適しています。

すべての富は地上になどないのです。すべて無の宇宙からやってきます。健康も富もやる気もエネルギーもすべてがです。

ここにあるものは、目に見えるものはすべて結果であって、もう終えているものなのです。新たな富をもたらすのは、無のあちら側の世界からしかやってきません。

それが物理的な現象でもいえるところの、反作用なのです。反作用がすべてのものをもたらす力です。

それには、それを呼び込む作用が必要なのです。作用は人が行うことです。人の仕事は作用することです。手が使えるのは人間だけですし、意識の広さも人間に与えられたものです。

結果を後生大事に持って安泰だと思っている大金持ちはもっと大きなものを失っていきます。もったいない話しです。

貯蓄も安心も計画も、、一見安全で必要なものに見えて、実はそれによって私たちは苦しめられてきたのです。本当の宝から遠ざかり、あるものしかないと思わされてきたのですから。

この数日述べているぽんぽん施術にしても、もしあらゆる不調が体をぽんぽんと軽くたたくだけで直ってしまうとしたら、そんなバカなと、多くの人がきっと思うと思います。

それほど、私たちは過去の遺物の世界にどっぷりつかってしまっているのです。それは現実の幽界化であり、けっこう怖いことなのです。

ぽんぽんと叩くのは簡単ですが、実は難しいのです。ぽんぽんと、軽く、あちらサイドの反作用の力を信頼して無になって叩ける人がどれだけいることでしょう。

きっと、ちょっとよくなったと思った瞬間、もっとよくなろうとして、力が入ったり、叩く場所を意図的に操作したり、満遍なく叩こうとか、きっと効果を期待して、浅知恵を働かせるようになっていくのです。

要するに、結果の世界の発想です。そうしていけば、せっかくの宇宙の真理であるぽんぽん施術も、つまらぬ意識圧に負け、意味のない施術になってしまうでしょう。

チューナーがよいのは、一定の安心で有効な周波数がとりあえず、誰にでも叩きだせる点です。なので安全なのです。

しかし私は達人になっていけば、チューナーも不要、ぽんぽん施術さえ不要、、、ただ意識と一瞬の発声のみであっという間に体を直せるようになっていくと思います。

作用、反作用のみ知っていて、それを宇宙原理として信頼すれば、可能になるでしょう。

イエス様などは、きっと見つめるだけで奇跡を起こしたのではないか、、と思います。視線圧です。

まあ、そこまで宇宙人は進んでいる人がきっといたりして、、、ファンタジーとしても楽しいですね。

ともかく、明日は易をたてて今年一年をいろいろな角度から占います。

朝から風呂に入って禊をし、心落ち着けて占います。
占いは当たるとか当たらないとかではなく、占いの世界観に偏りがない限り、共時性によってあたるもなにもなく、必ず正しく実相が映されるのです。

その点、易の世界観や星占いの十二星座の世界観はすぐれていますので、共時性の働きにより、ただしく未来や現在を映しだします。

この一年がどういう歳か、、、
日本の姿と可能性、、、
地震は起こるか、、
世界情勢、、、

上記の内容で占う予定です。

占いの様子は動画に収め、アップするつもりです。
そして結果を文章化し、メルマガで発信させていただく予定です。どうぞ楽しみにお待ちください。