自分基準を持っていること

世の中にはいろいろな基準があります。ウインドウズがコンピュータの世界の王者として君臨できたのは、基準を持つことができたからです。

大きな基準は先日お話しさせていただいた、暦です。暦を制定できた人は本当の支配者です。そして現代の暦によって、私たちは確かに自然から切り離され、人為的なもので支配されてしまう人類になってしまいました。

基準を作れれば、それがベルトコンベア式に人を支配していきます。

音楽を支配するのは、A440Hzであり、これによって私たちは本来の自然の音から切り離されてしまっています。自然な音を取り戻すことを目指しているのが、私の個人的な活動ですが、もちろん基準を作れるような立場にいません。

食品の基準も、どうなっているか不安があります。放射能の基準ですら、簡単に変えられています。以前は放射能廃棄物として厳重管理された同じレベルのものが、食卓に上っても法律違反にならないのです。

何だか悲しい話しですよね。私たちの時代の基準は、私たちを幸福に導くために存在しているのでしょうか。それとも、私たちを不幸にし、閉じ込めるために存在するのでしょうか。

とても残念なことなのですが、私は後者だと思っています。この地球は人を不幸にすればするほど機能するようになっており、それにしたがって基準が決められているように思えます。

440hzに不審を抱いたジョンレノンは殺されてしまいましが、彼やマイケルジャクソンなどはきっとわかっていたのでしょうね。

小野洋子も一切無言を貫いています。彼女はみずがめ座ですから、きっと亡くなる前には何か言うかもしれませんね。でも、お子さんがいるから、やはり口をつぐんだままで夫の元に戻ってしまうでしょうか。

まあ、そういうことは個人のことなのでどうでもいいのですが、この世は、戦争をして家をたくさん壊された方が儲かるのです。

病人がたくさんできて、治らないでいてくれた方が儲かるのです。それをわざとやっているとは言いませんが、そうした構造をしていることだけは事実です。

私自身は440Hzと暦でそのことを確実に知りました。

私たちはあらゆる基準によって縛られ、限定された存在になっています。人を不幸にする基準から人を幸福にして発展させる基準に変えることが大切なのです。

地球もそれを求めています。悪人でさえ、もう人を不幸にして儲けるよりも、幸福にさせて儲ける方がずっとうまくいく時代に入っています。

アスファルトで地上を埋め尽くすよりも、アスファルトをはがして、また元の美しい地球に戻す方が、これからは儲かるはずです。

と言って、個人が勝手に変えることなどできませんので、私たちが自身の中に、自分を幸福にして発展していく基準を持つ必要が出ているのです。

せめて444Hzにあなたのピアノを合わせて弾いてみてください、、というのも、私の願いですし、立春、もしくは春分に何かを開始する、、でもいいし、何か人為的な基準から離れ、自然や自分感覚での基準を持つことです。

社会基準だけで生きていく人は、だんだんと追い詰められていくようになっています。

暦や世界基準を作った力も、もうそのことをわかっているはずです。しかし、全員にお達しして救う、、という形を取るかどうかはわかりません。

わかった人だけ勝手に救われなさい、、、という知恵比べの時代に入った印象があります。

淘汰される人はどうせ死んでいきます、、、という冷たい意思を何となく感じます。

世界基準を作った人たちが、その基準に自分がしたがって生きているとはとうてい思えないのです。

天体の運行に見られる自然の基準、私の場合でいえば、528hzやソルフェジオに見られる自然な音の基準を大切にして行こうと思っています。

色々な自分基準が必要です。世界基準はもう私たちを守ってくれません。真面目に言われたことをきちんとやっていればいいのだ、、、

そういう人が残念なことに最大に被害者になっていく時代なのです。自分の基準を持ちましょう。

そのためにも、意識を高め合い、強くする場が必要なのです。集う場があれば、世界観は変わっていきます。

場づくりを今年の課題として今、思いを温めているところです。