縄文プラス古代ユダヤの融合民族
世界のどこからでも太陽が昇る方向へ進めば、自然な流れに沿えば、大体は日本列島に行き付く。地理的にそうなる。
どこの民族もあてもなく漂えば、やがては日本列島に行き付くという流れも数多くあったことでしょう。
よく言われるのが、ユダヤ12氏族のうち、行方のわからない10氏族の多くが日本に来ているのでは、、、となるわけだが、もちろんそうなっているのは事実。
今更、異を唱える人もいないと思うが、さらに言えば、古代ユダヤは日本においてどのように融和し、結びついたのか、、、ということになる。
政治的なことも当然あるが、それどころか、もっと本質的なもので両者はつながり、一体になったと思っている。
天皇と古代ユダヤとの関連についてはこれはもう巷で言われている通りでしょうが、それはユダヤが天皇となったというだけではなく、それよりもさらに深いつながりが一体化の中にあったと思う。
その証拠は日本語にある。日本語と古代ユダヤ語が似ているとか、そんな小さな話しではなくて、本質的なもので一体化したと私は思うのだ。
日本語は母音が重視され、必ず子音と母音がきれいに組み合わさっている。もしくは母音のみの発声。
古代ユダヤ語がどうだったかはわからないが、表記的にはあえて母音を省略しているらしいが、発声時においてどうだったかはわからない。
音は必ず母音がなければ音にならないのだから、子音言語の優位性においても、母音をないがしろにしているものとは違う。音は母音であるとの観点は世界共通にあったに違いない。
ならば、母音が音であり、音がもっとも本質的な力でありリアリティであることを世界共通の言語は裏では理解していたと思う。
ヤハウエは母音発声によって聞こえてくる音であるが、それは日本語でいえば、「あおうえい」の連続倍音発声によれば出てくる。
母音が神であるとの証拠としてのヤハウエでもあった。その際に、日本語のあいうえおの発声は他の言語以上にヤハウエを閉じ込めるのに有利であったと思う。いや、そのためにあおうえいを制定したのだろう。
言葉の中にヤハウエがいる。言葉の神がヤハウエであり、母音発声がヤハウエである。その際に、母音言語である日本語ほどヤハウエと近いものはない。
これは私の一人勝手な想像などではなく、発声的な真実から言っている。日本語の中心はヤハウエなのだ。
おそらく縄文の魂とユダヤが武器を交えずに融合した以外にこうしたことは起こりえない。言語制定にいたる、あおうえいの制定にいたる私たちが知らない歴史がどこかにあったのだろう。
日本語を決めた人がいたはずだ。そこには縄文とユダヤを融合させる言語の秘密があり、それがあおうえいなのだ。
なので、ヤハウエの本当の祝詞はあおうえいとなるはずで、最強の祝詞と言えるかもしれない。
ただむやみに発声したところで、それはダメで、心と思いと倍音発声という非日常の声が必要になってくる。
みだりに唱えてはならぬとは、そのことなのかもしれない。
また、ヤハウエ発声をしていくと、音が物質化していく感覚が口の中に現れてくる。実際の物質化かどうかはわからないが、周辺圧力よりも口内圧力が高まれば、母音発声による物質化が起こったとしてもおかしなことではない。
古代ユダヤ人は日本語の中にすべての秘密を入れ込んだのだ。これはもう私の確信であり、私にとってはどうにもならない真実なのだ。
一万年間、争うことをしなかった縄文の民、、、さまよいそれ自らでは生きることができず、融合していく中で自己の存在を確認してきた古代ユダヤ。
その最高度の融合が日本語なのである。
なので、どうしても日本人と日本語は世界の覇者から嫌われる宿命を持つ。
日本人根絶やし作戦もあながちウソではないのかもしれないと、福島の状況などを見ると思ってしまうが、神の仕組みはもっとずっと大きいはずだ。
母音を奪って母音言語を奪ってどう生きるというのだろう。命の元を切ったらすべてが生きられない。それは日本が優れているとかいう話しなどではなくて、両極が融合して生まれた日本語の中に、人類の今後の命題、宇宙時代の開闢の流れがあるからである。
石油を使って生きた時代があるのと同じで、日本語をつかって再構成する時代が来るということだ。日本語というと語弊や誤解が生じると思うので、母音と言った方が正しい。
母音言語の時代、、、それは赤ちゃんの時代にすべての民が経験した言語であり、命の共通言語なのだ。
ヤハウエはその神であり、古代ユダヤだけの神とは異なるということがわかる。ただし、ヤハウエはアマテラスや他の神同様、乗っ取られ、奪われてしまったことで、その本質を紛らわしくさせている。
観念の神は死んだが母音は生きている。生き通しである。昼もなく夜もなく嵐の晩も星空の夕べにも、音は私たちと共にある。