11日は楽しい晩でした
広尾の古寺での「お寺でまったり、、私の悩み自慢」は本日無事終了。参加者が10数名でしたので、小さな部屋に変更してくれたため、本堂と違ってクーラーがあってよかったです。
悩みあり、感想ありのトークタイムでしたが、皆かなり真剣に話してくれてありがとうございました。聞いていて本当にまったりと私も癒された気がします。
人の悩みを聞いているようで、いつしか人の悩みも自分の悩みも、区別がなくなっていき、ともにいやされていく、、、そんな感じでした。お寺という特殊性もあるのでしょうね、きっと。
しかし、不思議な開運法があって、人の悩みも自分の悩みも同じ、、、という感性は実は一番の開運法でもあるのだ。
たとえば公害の問題を解消する際にもっとも重要なことは、地球は命をもっている、、、単なる物体ではないという認識にたてば、自分の命も地球の命も同一線上のことになる。
地球を汚すことは自分の家を汚すことや自分を汚すことと同じ。そう思えば公害問題に出口が見えてくる。
人の悩みも自分の悩みも同じ、、、となれば不幸度は人口分の60億分の1となる。
電車に乗っているのは自分一人ではなく、みんなで一緒に乗っている、、、、そう思うと意外と楽しくなっていく。
自分が悩んでいるのは地球のすべての人が悩んでいる、、、とそう思うと、心が軽くなる。
気休めと考える人もいるだろうが、そうではない。命が一体であるとすればそれは事実となる。
指の怪我の痛みすら体全部で悩みはしないか。地球も人類も本当は同じなのではないだろうか。
この意識に立つことで、悪の力を抑えることができるらしい。悪の力は私たちがより憎悪をかきたて、より区別を明快にさせることで強化される。
人の憎しみの中に悪は生息できる。命が一つとなったら消えていくしかなくなってしまう。
出口王仁三郎が霊界へ行くと、お前の腕をよこせとか、お前の尻をくれなどと、幽界の人間が寄ってくるという。そんなさいに、どうぞどうぞと差し上げる気持ちになると、さーっと幽界の人の顔付が変わってやさしくなるらしい。
これまでの文明はこの数千年間、測る、分ける、、の時代でやってきた。そして時いたり、時代は融合へと進みだしている。
根本原理自体が一つの命ではあるが、これまでの地球は、測る、分ける、、の時代が長かったので悪も力を持てたが、これからはわからない。
そろそろ逆転しているころではないか。一つの命という本当の事実に向けた動きにしか、命も運も発展も反応しないようになっていく。
お寺でまったりと、いろいろな方の話しを聞きながら、人はすべて共有することを求めているんだな、、、と感じた晩でした。
芸能界などの人気が昔ほどないのは、いろいろな原因はあるのでしょうが、画面越しにも、「私が、、私が、」の意識が、どんなかわいいタレントにも出ているのを見て、そうした暴力に私たちの魂が合わなくなっているのかもしれません。