まっている神々

信州遠山郷の藤原学校から無事戻りました。20年ぶりにまさかまた秘境と言われる遠山郷に行くとは思ってもいませんでした。

どこに泊まるのかな、、、、もしかしたら、20年前に泊まった宿かな、、、などと予想していたら、確かにそんな感じの宿に到着。島畑旅館、、、なんとなく名前が違うような、、、と思った。もっと簡単なひらがなの名前だったような記憶が、、、

すると女将さんの説明によれば、この旅館は昔、やまめ荘と言って、、、その瞬間、20年前の記憶がたちまちよみがえり、そう、やまめ荘だ、と、やっぱり同じ宿でした。まさか、また同じ宿に来るとは、、不思議な感動。

藤原学校は参加者も30人ほどで盛況で、一日目はかぐらの湯という温泉で食事後、豪族遠山氏の城跡にある観音の水などを飲み、その後土橋先生の講演を聞いた。

一回目の披講もリクエストをいただいて行いました。披講は和歌を歌うことを言いますが、これは芸能というよりもどちらかというと神事の側面が強い芸能。

なので、お取扱いというか、どういう態度で披講しなければいけないか、、、、ということを説明し、一応、そうした流れにのっとって、簡単ではあるものの、一応の注意をしていつも歌うわけです。

一般の歌や踊りにも霊をなぐさめる芸能の面があると思うのですが、披講はとくに神事としての性格が強いです。なので、きちんとやらないとそれなりの危険がある。

そうした怖さを私もH氏も何回も見て身に染みているので、きちんと説明してから披講したわけです。

それでもやはり事件は起こりました。と言っても不幸が起きたとかそういうこととは違うので心配ないのですが、翌日のことです。

遠山郷ももっとも古い神社が三条神社という、今はすでに守る人もなく、荒れ果てている。そこで披講してほしいという連絡が。

私とH氏は、それを聞いただけで、何が起こるか、、、大体の検討はつく。そう、、、気をつけないと、必ず何かあるよね、、、という暗黙の了解です。

参加者はもちろん、そんなことを知る由もなく、わーっ面白そう、、、というようなものでしょうが、そうなるとさらに危険があることを私もH氏もよく知っている。

H氏などは前日のカラオケの順番が回ってくる直前にまったく声が出なくなってしまう。要するに今夜は歌うな、、、と強制されている。

ああ、すでに始まってるね、、、と私とH氏。私は気にせずにカラオケ一曲歌いましたが、やはりいつものようには歌えませんでした。まあ、大差ないかもしれないけど、一応そんな感じ。

宿に戻ってH氏と明日の三条神社における披講の際の段取りと相談。すでに深夜でしたが、これはやっておかないわけにはいきません。

とくに、どういう趣旨で和歌を歌うのかの、はしづくりという歌会の最初の部分のメッセージを考える。

翌日は6月の30日で大祓の日にあたるみそぎの日だ。
なので、みそぎが主題となるのは当然。そして決まったのが、「夏の日 いにしへの昔よりこの地を守りおわしまする三条神社の大前にて みそぎの歌を詠める」となった。

これで趣旨ははっきりする。歌う目的がきちんとできたことになる。ただ行って、いきなり、歌いだす失礼はなくなる。

そして当日、山の上の方の限界集落というか、すでに三名しか住んでいない消滅集落の中に、昔から御鎮座あそばされている三条神社があった。すでに崇敬する者とてないことだろう。しかし、この神社が遠くいにしえより、幾多の災難困難から人々を守ってきたことか。

武田と徳川の争いに巻き込まれた歴史もあったことだろう、、そんな厳しい中で、神社の存在は村人たちにとってありがたく大きなものであったに違いない。

神殿を整えて、松をひもろぎとし、灯明をともして奉納の歌会が始まる。まず、藤原先生が竜笛を鳴らす。

私とH氏はこの時点で、お互いに「まずい、、」という暗黙の思いを共有する。それは、降神の儀になってしまうことを知っているからだ。「まずい、竜笛やるの、、、まずい。降りてくるよ」の思いであった。

竜笛ののち、歌会が始まる。信濃路の歌、みそぎの歌、そして君が代を二返繰り返して終える。

一応奉納の歌は終えたものの、本当はまだ儀式中である。きちんと終えないとまずいが、じゃ、行きましょう、、、という感じが参加者全員のムード。すでに境内から外に出ている人もいる。

私とH氏は再び「まずい、、、」と暗黙の心配を重ねる。と言って私たちだけが残るわけにもいかず、着替えを始める。装束を来ていたので着替えが必要なわけである。

仕方なく着替えて装束をたたんでいると、何十回も何百回もやっている装束の整理が、うまく運ばない。袂が逆転したり上になったり下になったり、どんなに工夫してもうまくいかない。ふっとおかしなものを感じて、私はH氏に尋ねる。「何か、おかしくない、、?」

するとH氏は「たためないんです」と。仕方なく無理やりバッグに装束を押し込めるようにしたが、さすがにこのままは帰れないと思い、藤原先生に、また笛で終えてください。そして外に出た皆にも一度戻っていただき、藤原先生が竜笛を鳴らす。これが昇神の儀となるわけだ。

一応、最低限の形は通して、私たちも外に出ると、背の高い美男子の方が目をはらして号泣された後がある。

披講を聞いてわけもなく涙が出る場合はあるので、そうなのかなとおもっていたら、そうではないようだ。聞くところによると、披講の時に落ち武者の霊などがたくさんやってきて、自分に救済を求めてきたというのだ。

その中でもっともはげしく強い霊は最後の笛で戻っていったと。あれがいたら、バスは谷に落ちていましたよ、、、などとおっしゃる始末。幸い、男性は時間とともに落ち着かれて大丈夫のようでした。

しかしやっぱり何か起きていたんだ、、、とH氏と私は思うのであったが、装束をしまえなかったのは、まだ帰るな、、、呼び戻しておいてすぐに帰るのか、、、との思いであったとわかる。神社フリークの方などが、こうしたことをやって、かえって運を悪くしているケースも本当は多いのではないかという気がした。

披講はどうしても神事としての面が強いので取り扱いには注意が必要なのだ。

というのも、三条神社のように、昔は崇敬を浴びていながら今は誰ひとり立ち寄らない神々が日本中にあると思う。そうした神々はお待ちになっていることだと思う。

しかし、興味本位、神通力欲しさなどで、形だけ通り過ぎていくようなやり方をしてはいけない。

今回の藤原学校のテーマは音だったが、まさに音には待っている神々に通じてしまう特別なものがある。音の扱いは危険なものだが、思いの純粋性と礼儀と歌が合わさった際には、待っている神々との再会がきっと起こることでしょう。

日本復活は待っていた神々との再会という面が必要で、日本語の危険のない正しい発声など、これからは学ぶ必要があるように、個人的には思った次第です。

528hzはじめ、母音トーニング、倍音発声が伴うことで大変な鍵を手にすることになってしまうわけで、それに見合う意識がついていく必要性が出てきています。

しかし、藤原先生の暖かさ、これからの暖かなリーダーシップが時代を動かすことの意味を、肌で感じることができた二日間でした。音という特殊なテーマであったため、参加者のみなさんは、あれから何かしらの変容がスタートしていることを、おそらく体験的にかんじているかもしれません。

私はもう今となっては、音が人の意識を変容させるキーであることを、疑いようがないところに来てしまっています。確信犯であり、これがゆらぐことはもうありません。

しかし、眠っていた神々を起こし、眠っていた意識を起こす音が、今はスピーカー音の形だけのものとなり、現代人から命を奪い取る装置となっていることに気付く人はまだ少ないのです。

写真は三条神社の広前。奥の装束を着ているのが私、中央がH氏、後ろ姿ですが、笛を吹いていらっしゃるのが、藤原先生です。よく見ると無数のたまゆらが映っていました。