個人独立時代到来

安全信仰、何かにすがりつき信仰、権威あこがれ、金権信仰、、、それらは右肩上がりの時代での産物であり、価値観が変化した際にはまったく意味がなくなります。

その意味でいうと、真面目ということを金科玉条にしている人ほど、危険が増大している。真面目というのは一種の病気と言ってもいいかもしれません。

良い意味での真面目はもちろん大切な宝物ですが、不安から来る自己防衛的な真面目はこれからひどい目にあうと思います。

それはなぜかというと、政府も企業もマスコミも社会もウソをつきだしているからです。「会社がそういうのだから、、、国がそういうのだから、、、新聞にそう書いてあるのだから、、親が言うから、、、」と、自分の考えを捨て、自分の価値観を捨て、安全と思えるものに身と心をゆだねた人は、最期までだまされることになります。

ウソには力がありません。池田勇人首相が昔、所得倍増計画を言った。そしてインフレとは言え、確かそうなった。それがウソではなかったので、自民党は当時は力を持てた。

しかし今は違う。未来が見通せる時代には真面目は安全とつながるものの、国やマスコミがまったくのウソ、でたらめを言う時代にそれをやったらおしまいである。

ソ連崩壊の時にも、政府の言うことを真面目に聞いてルーブルを信用していた人は、一文無しになった。
ルーブル1億円分が最終的にはいくらになったのでしょう。おそらく数百円ぐらいでは。要するに文無しと同じ。あとはヤケになってウオッカを浴びるように飲んで多くの人が死んでいったと言います。

マスコミはこうした歴史も決して語りません。また、必ず、どこかの国でそうした事態が起き得るからです。通貨を信頼させなくてはいけない。真面目な人が権威者は好きです。不安な大衆はウソを真面目に黙って聞いてくれるから。

なので政府や権力者は、大衆が不安でいてくれない限り力を持てず、力を行使できない。現代というかこの世は悲しいことに、人の不安によって維持されているシステムなのです。

そしてそのシステムがまだ人を食わせてあげられるうちは力があった。しかし段々とそれがなくなっていき、今後はまったく期待できない状況にある。

そこでスステムは今度はさらに大きな不安を与え、人をしばってつなぎとめる方向に行きだした。要するに民衆の奴隷化であり、それがものすごいスピードで進行している。

このままいくと、多くの奴隷化された民衆と、個人的に生きていける民衆とに分かれていくでしょう。

どちらが有利だろうか。個々で答が分かれるのですが、実は明らかに個人的に生きていく方に軍配が上がります。

これまでの時代は個人での独立独歩の生き方は難しく、システムに頼っていた方が有利だという時代が続いたので、人の意識にまだそのことが残っている。しかし現実は違う。

システムに残ることは私はこれらか本当に不利になっていくと思う。システムが個人の取り込み、不幸手形を与えて縛り上げる構造を露骨に示していく。

そこで昨日の続きです。前置きがどうしても長くなってしまいましたが、私はこれからはチャンスの時代だと思います。意識さえ変えれば。要するに独立のすすめです。

能力がある人が独立するものでしょ、、、とかいうのとは違う。

能力はあまり関係ない。それよりも意識。また考え方、、思い、、、行動の仕方、、、などだ。そこさえ変えればきっとうまく行く。たとえ失敗しても何も損しない。

不安から冷たい人や冷たいシステムにしがみつくことがこれからの不幸の構図になっていく。

「でも愛先生、独立したって本当に生活費が得られるの、、」という疑問がわくはず。確かにその通りです。生活費がきちんと得られるまでにはそれなりの成功が必要になるかもしれませんね。

しかしその考え方自体がもう古い昔のものなのです。生活費よりも自分の生き方を問うことが先に来ない限り、従来の生活費的な考え方から抜け出せません。

だから実験すらできなくなっているのです。試しに実験的にすすめ、それがうまく行きだしたなら、ウエイトを段々と移していけばいいだけの話しです。

オールオワナッシングではないのです。日ごろ慎重で安全志向の強い人ほど、挑戦する事柄に対しては、不思議とオールオワナッシングを言いたがるのは不思議ですが本当に多いです。

不安をごまかしたい人は、どうしても自分を偽わりますね。無理ない範囲で実験的にすすめればいいのです。

では、何をすすめるか、、、ここに今、私たち日本人には大きなチャンスが与えられていると思います。

欧米の各国はこれまで異様とも思えるバブルを謳歌していました。日本がデフレで苦しんでいる15年の間に。それは日本の円を高くして抑え込む形での防衛的な繁栄でした。

日本を自由にさせておいたら、世界はあっという間に実は日本化されていたことでしょう。だから本気で日本は嫌われます。また、海外勢からすれば日本の上層部を乗っ取る必要も出てくることでしょう。

そして確かに日本は乗っ取られていると思います。全部とは言いませんが。かなりの部分乗っ取られています。

なので、日本が生み出す富を上手に収奪するシステムはすでに出来上がっています。だからどんなに働いてもこれまで苦しかった、、、わけです。

まあ、それはもう仕方ないことにして、次のことを考えましょう。こうして日本が苦しんでいる間に、実は海外のよくばりなみなさんが、相場で大失敗してその負け分を国に負担させていましたが、それもついに限界がやってきました。

要するにリーマンショック以降の流れです。日本もある程度は巻き込まれてはいますが、まだ海外程ではありません。ことに円はすでにバブルの洗礼を受けており、その後の処理についても民衆が苦労する形でなんとか乗り切ってきました。

なので、円のみが今後のバブル化を許容できる通貨となっています。この円を飲み込む形でドルを防衛するという高度な裏ワザがあり、円の成長分を利用してドルを守るという方針が昨年の11月からスタートしたと思うのです。

昨日は大きく株価も下げ、円もまた高くなりましたが、私はこれは一時的なもので、大きなトレンドは変わらないのでは、、、と思っています。

円を多量に発行しても円はしばらくはくずれない、、、という強い通貨であり、それは日本人の労働に裏付けされているからです。他の通貨は、もうあまり真面目な労働や製造にうらづけされていない、バブルの面が増大してしまっています。

世界は生き残りをかけて、この円に殺到しだしたのです。円を増やせ、、、そしてよこせ、、、、という世界の意思です。

これはこれまでの流れとまったく逆転ですので、日本人も意識を変えなくてはいけないと思います。

日本の円がどこまで強いかなど、本当は日銀も知りません。少なくとも、大企業がもたらす利益は大きいとは言うものの、もうこれからの力ではないことは頭のよい上の一部は知っています。

しかし円にはまだバブル化できる力があるので、とりあえず、これを使い、ドルなどを間接的に守る、、、という形が進行。

このままでは円は海外勢力の犠牲になって終えますが、私はそうではないと思っています。今度は円の力を日本人の普通の人が新しい生き方によって支える、、、さらに力を増す、、、とい時代に入ったと感じるのです。

日本人もアメリカ人も朝鮮人も同じ人間です。助けてあげればいい、、、ただし、助けるには助ける順番や規模がある。それを壊されたらすべてが終わってしまう。

今後、世界は日本を育てようとし出すでしょう。危機を救ってくれるのは、あいつしかいない、、、という流れ。だからそうしてあげればいいのです。

個人の時代の幕開けです。個人が今の仕事を捨てるのでも、思い切って金をかけて独立するのでもなく、実験的にできる範囲のことをやりだす、、、それでいいのです。

それだけで凄いことが起こりだします。具体的に言いましょう。もちろん、もっともっと色々なことがあると思いますが、一つのヒントです。

今後、円は増えますので、どうしても円安ドル高になります。それは遠回しなドル防衛なのですが、まあいいじゃないですか。助けてあげましょう。その代り、円安の恩恵を享受しようではないですか。

日本では良い物を作れます。良い品、良いアイデア、自然な感性、日常性の美しさ、文化力の高さ、、、これから世界中の人がそれを求め出します。

大企業の製品にもそれはこれまでは生かされてきましたが、どうしてもマネされやすいレベルのものです。
さらに文化的、生活的、センスというものにいたっては、個人の出番。

はっきり言って、円安が進めば、日本の物は何でもこれから売れるようになります。世界で。

世界が求める物は、もうソニーでもキャノンでもトヨタでもありません。ソニーもキャノンももちろん売れることでしょうが、花形は違います。花形は大企業一品種ではありません。

個人が供給する無数の百花繚乱の品々が世界に文化的日本化をもたらすでしょう。それを担当するのは、日本の個人です。個々の日本人が世界に向けて、文化度の高い物を売っていく。なんでも、どんなものでもきっと売れます。

車とかそういうものではもうないのです。世界が求めているものは、日本人が作り出す、センス、生活芸術的なきめ細かなものであり、大企業はあまり関係ありません。

日銀の政策転換が世界の要求によって行われたことは確かでしょうが、その方針は実は個人に道を開く可能性にあふれているのです。

この流れを無視しては損です。思い入れのある、デリケートなものを作るのが日本人は得意です。それらは何でもこれから売れます。

会社を辞める必要などありません。土日にやればいいのです。円安は個人の発想を受け入れ、個人のセンスや思いを反映してくれます。

お弁当箱だけをフランス向けに売って大変な収入を得ている人もいるそうです。とにかくこれからは日本のものなら何でも売れます。

しかしこう言っても、「そうは言っても、、、うまくいかないかもしれないし、、」と難しく考える人がかならずいます。しかし、ネットが誰にも開放された今、ショップを作って失敗しても一体何が損なのでしょうか。
家賃もかからず、人件費がかかるわけでもありません。会社から戻って自分のショップを見て、売れていたら嬉しいと思います。段々と工夫していけば、本業の仕事よりも収入が上になることだって数多く出てくることでしょう。
こうしたことにクレームをつけたがる人は権威思考が強いからだと思います。逆に権威者がすすめれば、何億も借りてビジネスをスタートさせてしまい、結局すべてを失うまでそういう人は気づかないのです。

安全思考の人は、本当の安全を危険と思い、本当の危険を安心に感じる病気、もしくは信仰なのです。

何度でもいいますが、これからは日本の物は何でも売れる時代に入ります。文化の香りが根底にあれば、あなたは財を成すことも可能です。

ただし、これは金儲けの話しではありません。私たちが自由を得るための話しなのです。そして世界に文化的日本化をすすめ、平和な時代を築くために貢献できる話しなのです。

失敗しても誰も損しません。本当の仕事を覚えるだけの話しです。そして次はきっと成功するかもしれません。

インチキな安全志向がそれを見せなくさせているだけ。
私たちは、何かで自分の意思を働きかけなければいけないのです。そうでなければ自分が存在する意味がありません

宇宙は働きかけを待っています。すべては作用と反作用によって物事は生じるのです。神前で柏手を打つのは、おそらく作用があれば音が生じるところに、根源があるからであると、私はチューナーの音を聞きながらそう思いました。

生まれて、そこに存在する以上、私たちは作用を起こさなくてはいけないのです。何もしない安全も幸福もこの世にはないと思うのです。