これからの仕事

先日、お世話になっている仕事関係の方と会食。その方は普通のサラリーマンだが、サラリーマンは昔のように今は気楽な仕事ではない。

いつ訪れるかわからない肩叩き、減給への不安。会社自体の存続すら数年後はわからない、、、という状況がたとえ大きな会社でもあるという。

その上、ハードな仕事。毎晩帰るのが11時とか、深夜に及ぶこともよくあるという。私が若いときもそんな状況はざらだったので、気楽に「その代り朝はゆったりできて気分転換になるでしょ」と言ったら、「朝は何を言ってるんですか、8時には出てます」

それって人間の生活ではないというよりも、まず、体がもたなくなるのではないかと心配。その方は好きな仕事なのでそんなに苦にならないという。

通常、年間3000時間の就労を3年から5年続けると過労死の危険が出てくるという。計算してみると、私ももう30年以上もそんな状態が続いている。すでに10回くらい死んでなくちゃいけない計算だ。この歳でよくやると自分でも思うが、小さな会社の経営者とは大体そんなものだろう。

しかし一般の会社勤めの人がそれではなんだか大変だと思う。日本人の会社勤めの平均が知らぬうちに段々とハードになっていっている。しかもそれほど給与が上がるわけでもない。

不況をいいことになんだか会社奴隷制が進行しているようなものだろう。社会のシステム自体がもう誰も幸福にしないレールに乗ってしまった印象を持つ。

こうなるとやはり人は誰でも自衛したくなる。しかし自衛の仕方は意外と難しい。

家族のため、、将来のため、、というような諦め的な妥協ではすぐに本音が出てしまう。嘘にはどうしても力がないからだ。

大事なことは今行われていることが、異常なことであるとの認識だと思う。それが出発点だ。

出発点を間違えると、つい不安から妥協してしまう。おかしなことに妥協して体を壊したり、死んでいくことほどつまらないことはない。

私も無理をして20代の時に倒れたことがあった。あの時は、朝9時からお歳暮などの配達に出かけ、午後二時半までに上がる。歩合制なので、急げばそれなりのお金になったので、つい無理をしていたわけだ。

その後午後4時から始まる仕事先へ、車で一時間運転して出かけ、すぐに仕事が始まり、終わるのは毎日夜の11時ごろだった。そして深夜までやっている飲み屋や食べ物屋に行って、およそ2時間。深夜の1時にフリータイムとなり、みんなを車で送ってあげてから家に戻ると夜中のだいたい3時だった。

興奮して眠れないので、それから本など読みだすと、もう明け方。多少は寝るがまた9時からは配達の仕事。

これで倒れないわけがないが、やはり倒れた。ある朝、気持ちが悪い。習慣的にパンなど食べてもおいしくない。物を食べておいしくないと思ったのは、後にも先にもその時だけ。絶対おかしい。

病院に行ったら盲腸と十二指腸潰瘍を同時に発症していると即入院。

今、考えれば倒れても当たり前のような生活だったが、現在の勤め人だって、大差ないような仕事をしている人がいることだろう。

まず大事なことはそれを異常だと認める感覚だと思う。20代の私も好きなことをやっているのだからと、あまり苦しくおもわなかった。当たり前とは言わないものの、まあ仕方ないと思っていたわけだ。

一応、倒れたあとは本気で独立し、自分なりのやり方でやることになったので、大変ではあるものの、眠たくなったらちょこっとどこかで寝る、、、疲れたら休むなど、自分のペースで対応できたから、何とかやってこれたと思う。

これが常に誰かから監視されている、、常にベストを尽くさねばならない、、というような中では誰だって持たなくなると思うが、現代ではそれが当たり前になりつつある。それは異常なことなのだ。

異常だと思えば、異常でないやり方や暮らし方、生き方を人はどこかで模索し始める。

私の場合はどうせ過労死するなら、一人でやってやろうと思ったわけだ。人に使われて過労死したら人生楽しくないが、独立した自分の仕事ならそうでもないのでは、、の思いからのスタート。

そしてそれは確かにそうだった。独立後の方がもっと仕事をした気がするが、大きく倒れることはなかった。

しかしそれにしても人間には限界がある。自給1500円の良いバイトだって、得られる限界は24時間働いたって36000円。そんなにはできっこないから、最大限2万円だ。

そう考えているときに、街中を高級車のベンツが通り過ぎて行った。ベンツなど欲しくなかったが、その値段が800万円とか1000万円以上することは知っていた。

時給1500円で毎日最大に働いても2万円。そんな日々を最低400日もやらないとあの車一台も買えないのか、、、と、思ったら、「これではダメだ」という意識が出てきた。

しかも追い打ちをかけるように、深夜に仕事で原稿を書いていると、ラジオから「夜中働いている金持ちはいない」というどこかの国のことわざが流れてくる。

「そうか、どんなに原稿料がよくても夜中書いているようでは結局は同じだ」と、どんどん意識が変化していく。異常なものを異常だと認めたことから、意識がどんどん変化する。

原稿料金は当時、400字一枚書くと4000円だった。良心的な出版社関係とのお付き合いが多かったので、決して悪くはない。またけっこう早く書く方なので、場合によっては一晩で20万円分とか書くこともあった。しかし毎日仕事があるわけではない。

「そうか、寝ている間に何かお金が入る工夫が必要なだな、、」と漠然と思い始める。すると、意識はまたそっちの可能性にシフトをし始めるわけだ。

その流れで星占いのコンピュータ化やコンテンツの仕事が始まっていくことになる。

そう考えると、異常な現状を異常と意識し、それを変えていく気持ちを自身の中に持つことがなければいけないということがわかる。

多くの人は、そうは思っても、昔と違って、もうチャンスが少ない、、、と思ってはいないだろうか。それは違うと思う。今こそ多くのチャンスに恵まれているときはないような気がする。

とくに今がそうだと思う。すべてのものが行き詰っている。安定したもののほとんどが幻想になりつつある。

コンビニやスーパーや大企業が儲かっているようには見えるが、それらは本当に魅力的なものだろうか。決してそうではない。限られた時間内における便利さや手軽さを商売にしているだけで、魅力自体はない。

時代が変わればあっという間に吹き飛んでしまうものではないか。そして私はもう時代は変化しだしたと思う。

これからは間違いなく個人の時代がやってくる。自由な個人の時代が訪れるのだ。ただし、それには、いつまでもびくびくと、大企業や常識や当てにならない安全信仰に頼ろうとしているうちは見えてこない。

どんなにいい子でいたって、国も大企業も学校の先生も親も自分を救ってなどくれない。救いたくても救えない時代になっている。

時代は個人の活躍に期待しているのだ。大企業のことは実は見切っている。なので大企業は必至に個人を取り込み、自分らの時代がまだ続くように画策する。

仕事における個人奴隷化こそが可能性ある個人をかつかつの企業畑に閉じ込め、そこから出ていかせないことで自分らの時代を守ろうとしている姿なのだ。

企業にはもう力がない。なので、企業が政治となっていく。国の行う政治にはまだ多少なりともの良心があるが、企業が始める政治は恐ろしいものになるだろう。

だから私たちはそこから離れなくてはいけないときがきっとやってくる。それには、まず、今の現状を異常だと見据えることが出発だ。

そうすればきっと良いアイデアがわいてくる。良い縁がやってくる。大企業が安心、政府が安心、お金があれば安心、、、そうした信仰によって実は自分を縛っている。事実ならそれもよいが、もう事実ではない。

政府にも国にも企業にももうそんな力などない。個人を奴隷にしなければ、彼らもやっていけないところに来ているのだ。

個人の時代とは何だろう。今の日本人ほど有利な立場にある者はいない。これについてはまた、続きを書きます。

実は日本人は今、本当に有利な立場に立つ可能性が高いと思います。これまでまじめにやってきた成果を使えるときを迎えているのです。このことに気付かない人が多すぎます。

続きはすぐに、、、