4月スタートまじか

関東では終末が最後の桜のチャンス。意外と長く咲いてくれてよかったです。

明日は例の禅フロンティアさんでの講演というか茶話会があり、行ってきます。受け付けは当日までやっているみたいです。気が向いたらぜひどうぞ。

禅フロンティア
 

先日大塚にある株式会社マスミさんに伺ったさい、その話しをすると、社長の横尾さんから、禅の際に持ちいると便利という、腰にあてる木製の折り畳み椅子をいただいた。

これがあれば45分くらいの禅でも大丈夫と。ありがたいことです。恥をさらして何で言ってみるものです。

マスミさんは和紙や経師などの仕事をされている老舗ですが、和紙の世界には本当に魅せられてしまいます。

以前、ブログで生地屋さんで感激したことを書いたことがありますが、生地も素晴らしい百花繚乱ですが、和紙の百花繚乱はこれまた素晴らしいものでした。

時代を超えてのこされてきた紋様や色なので、完成度がバカみたいに高いわけです。日本の紋様やデザインを集大成したものは、世界のトップレベルでしょう。

日本のこうしたデザインの世界というのは、本当になんでこんなにすごいのかと思います。何度でも言いたくなりますが、世界におそらく比較するもののないレベルの高さではないでしょうか。

マスミの社長さんは大変な粋な人で文化が漂う江戸っ子でした。世界の芸術家ともけっこう親しそうで、トーニングを本格的に実践されている海外の音楽家のお話しを聞き、驚きました。

ソルフェジオ音階による作曲ができ、演奏ができる段階に至ったら、そうした海外の方との取組が可能になると思いお願いしたら、横尾社長も非情に積極的に考えてくださっていて心強いです。

私は披講という和歌を歌う日本古来の音の世界に深い関心を寄せ、実践してきましたが、和紙にも音にも日本には深いものがあると思います。原点には、母音言語としての日本語の音があるためです。

日本に唯一なぜかのこされた母音言語。そこから派生する文化のきめ細やかさと圧倒的な力量、宇宙に突き抜ける可能性は、日本文様と日本の音に共通するものでした。

それはヨーロッパにもソルフェジオ音として実はあったのですが、変化する音の音楽にかき消されていきました。言語が子音優位だったのであっという間に消えてしまったのかもしれません。

それでも日本とヨーロッパがつながる根底の部分にソルフェジオがあったと思うと、暗黒時代と呼ばれる中世ヨーロッパは、意外と日本との親和性があったのではないかという気がしてきます。

バッハの音楽はすでに平均律化していくわけですが、それでもバッハの音楽にはそれがヨーロッパであってもアジアであってもいいという共通のものを感じます。

無伴奏のバイオリンやパルティータというような曲は、ヨーロッパであろうとアジアであろうともよい、卓越した世界です。

音が中心になってあらゆる文化が実は形成されていったのではないかと、私は感じるのですが、実はこの音があまり研究されていません。不思議な気がします。