春分

冬至から立春、そして春分を迎えることで、ようやく冬は消え、新しい転換点に立つ日。私の家のヘビも数日前に始めて顔を出してくれた。

ヤマカガシみたいだが、もうかなり前から住んでいる。決して攻撃するようなことはなく、仲良く共存している感じ。

この信頼関係を壊したくないので、折れた木々の枝を投げた際に、すぐそばに例のヤマカガシが居て、驚いた様子だったのですぐに行って、ごめんね、、知らないで枝投げちゃって、、、、と言ったら、ゆっくり逃げ出したので、よくわかってくれたみたいだった。

とにかく芝生をよく横断している。昔居た飼い犬はおそらくこのヤマカガシにかまれたのだと思う。顔が腫れて数日縁の下でうずくまっていたことがある。

以来、犬もヤマカガシをかまわなくなり、ヤマカガシは安心して住めるようになったのでしょう。

動物のテリトリーは意外に狭いもので、トラのように素百キロも移動する動物もいるらしいが、空を飛ぶ鳥でさえそんなにテリトリーが広いものとは思わない。

昔すずめにえさをまいたところ、毎日やってくるのはいつも同じすずめだった。彼らはけっこう狭い範囲を飛んでいる様子。

飛んでいるで思い出したが、昨日のUFOの話しの反響では、UFOのほとんどは映像ですよ、、、とのご忠告をいただいた。UFOにはおおよそ三種類があると思う。

本物の宇宙人のUFO、これは一番少ない。次にセルフの投影としてのUFO、これは距離も時間も超えた意識に対する投影として存在するので、本物のUFOとの関連もあり、意外と多い。

ベラさんと会った後の数週間よくUFOを見たのは、このケースだと思う。ふっと見上げると必ずある、、、という状態が続いたので、こちらの意識を投影していることは間違いない。

ユングが言ったUFOもこのタイプだと思う。ユングは晩年にUFOに関した見解を述べていて、確か一冊の本にもなっていたと思う。

そして次は、地球製UFO。これはすでにナチス時代に作られていたらしいので、当然、あるのでしょう。街の発明家クラスでも今は作ることができるのだから、地球製は非常に多く、大体は今はこれか、次に述べる映像UFOが多い。

映像UFOは文字通り映像によって映し出されたUFOのこと。ブルービームと呼ばれるらしいが、天空に巨大な映像を映し出すシステム。割と簡単にできるらしい。

今は流行っていないが、映画館で匂いを発生させるとか、ゲーム機で映像プラス揺れの体感などを加味すると、臨場感が増してくる。まして、ある周波数を流して脳を一定の反応状況に導き、その上で天空に巨大な映像を映し出したら、それを人は本物と間違いやすくなる。

間違いやすいというのは、これは、どんなにうまくやっても、どこかにアナログの香りのしない科学的な作り物感を人は感じてしまう。なので、いくらこうしたものを駆使しても、人を本当に動かすことはまだ無理だと思う。

もう少し、人を自然から離し、せめてマンション暮らしが祖父、父、自分と3代以上続いたような人が人口のほとんどにならないかぎり、見破られると思う。

今はまだ二代だし、それもメジャーではないので、おそらく危険があり、失敗すると思う。なので、多くの危ないことが好きな人たちが心配している終末現象のブルービーム作戦は、次の世代までできないと思う。

ただこのことは聖書にも書かれているのでいつかはあるのでしょう。あそこにキリストがいる、、、こちらにキリストがいる、、、と言ってもそれを信じるな、と、聖書に書かれている。

見にいかなければ見えないというような映画館的な現れ方ではなく、キリストはどこにも偏在しているように、どこに居る人にも瞬時にして現れる、、と語られている。

となるとそれは、意識に反応するユングタイプのUFOに近い現れ方とも言える。昔の人は実際にUFOをしょっちゅう見ていた。聖書に記事にもそれは出てくるし、さらに畑仕事の合間に、UFOを見た農夫が、いつもそれを見ているというような昔の記述に出会ったこともある。

CGもブルービームもない時代から人類はよくUFOを見ていたのだ。と言ってそれが宇宙人であるかどうかはわからないが、それがセルフの投影だとしたら、宇宙人以上の価値があるとは言えないか。

聖書記事の最終場面におけるキリストも、実際のキリスト以上に、セルフの中に住まうキリストが偏在するかのように出現する、、、ということであり、人が神であることの証明として終末が訪れる、、、ということになる。これはこれで大変素晴らしいし、進化ではあるのだろう。

とは言え、それよりも美しい緑、美しい地球が何よりも大事。進化もすばらしいがそういうものをまず取り戻し、もう一度、人は神にならなくてもいいので、本当の意味で幸福な人の時代を築きたいというのが私の思いだ。

何も自分らが神にならずとも、大昔のような清い水がある、、大昔のような緑がある、、、きれいで清らかな空気がある、、、命の音がこだましている、、、命が輝く人同士、人と動物、人と植物のつながりをもう二度と失わない、、それを取り戻すことで、神以上の喜びの時代を生きていきたい、、、

それでいいのではないかと。それならきっとみんなでできるのではと。別に宇宙人のUFOに乗って、どこかすばらしい星に連れて行ってもらいたいとも思わない。一回くらいは行ってみたいけど。

でもそうなったらきっと、浦島太郎のように、誰でも残して来た地球が気になってしまい、進化も止まってしまうだろう。

同じように今考えている宇宙人はきっと多いのではないかと思う。私たちだってそうなったら同じなのだ。だからここはやり直すしかない。選ばれた人だけ他の星にいったって、そんなもの何の意味もない。だからこそ、宇宙人は、戻ってきているのではないか。

もう一度、水を、空気を、緑を、人間を元に戻さずに、UFOだろうが宇宙だろうが、神だろうが、そんなことは関係ないと、未熟な私はつい騒ぎ立てたくなるのです。