新しいこと

同じことを人はずっとやり続けていると、どうしても疲れてきます。

発想や改善する気持ちも弱まってくる。どこかで新しいチャレンジをしていかないと、結局は人間は弱ってくるような気がします。

戦後、一番儲けたのはどういう人だったかと考えてみると、テナントがひっきりなしに入るビルや不動産を持っていた人だったと思う。

銀座でそうしたビルのオーナーのおじさんばかりが集まって食事してるのを見たことがある。皆、豊かそうだが、何となく人生に満足しているようには見えなかった。

もし、はい寿命です、、、となった際に、「私の人生は面白かった」とはならないのではないかと、他人事ながらそんな感じを受けた。

人は死ぬ際にお金もビルも持っていくことはできない。けっきょく「ああ面白かった」とか、「生きてきてよかったよ、、」との思いがあるかどうかが大切なことになる。

社会的に成功し、豊かになり、何不自由なく死んでいける人でも、最後の最後にどうしてもひっかかるものがあるらしい。

まず最初は、財産を残してあげる子供がいないケース。これはまあよくわかる。確かにそういうものだと思う。

しかし大体は成功者というものは隠し子までいたりするわけで、むしろゴタゴタの方が心配だろうと、ついやっかんで思ってしまう。(何をやっかむのか自分でも意味不明)

そして何より多い後悔は、思い切っていろいろなことに挑戦してこなかった、ということらしいのだ。それがどうしても悔やまれるというのだ。

要するに自分の出し惜しみ。人は生きていく中で、どうしても守りに徹する選択をしてしまい、いろいろな挑戦の機会を棒に振ることが多い。

時には守りも仕方ない場合があるが、いつもそれだと、結局どんなに成功しても悔いを残すというのだ。

確かにそうかな、、と思う。神様から私たちは命をいただく、、、大事な命だから、温存したくなるし、守りたくなる。それはそれでわかるが、神様はなぜ命をくれたのか、、、に答えていないわけだ。

命と体をやるから、何かやってきなさい、、、と神は期待したに決まっている。そうでなければ作る意味があまりない。

そのことを私たちはどこかできっとわかっているので、無事第一、安全第一でやってくると、さて人生が終える段になって、なんだか納得しない、、満足できない、、、というどうにもならない気持ちに襲われるのではないだろうか。

人や社会から変に思われないためには、流れに沿ってあまり自分を出さないで生きていった方が確かに問題は少ない。

しかし人間の命は、人がくれたものでも、社会がくれたものでもない。神様がくれたのだから、神様の期待にこたえないと、いけないのだろう。

となると、うまく自分を使うしかない。自分にしかない独自性で生きていくしかなくなる。その結果、貧乏になろうが、多少バカにされようが、ある意味仕方ない。

損もせず、苦労もせずに自分を守り通してきても、死ぬ前に、いやだ、こんなのいやだ、、、と叫ぶような状態になるよりはずっといいかもしれない。

銀座にいたお金持ち不動産オーナーのおじさんたちに欠けていたのも、こうしたものだったと思う。

もちろん、ビルを増やす、、バブルに踊らなかった、、というような先見の明はあったのだから、素晴らしい一面もあるにはあると思う。

でもそれは運がよかっただけで、本当におじさんたちの人生を支えるものにまではならなかったのだろう。かわいそうなおじさん、、、でもちょっぴりうらやましい。

そういうわけで、やはり私たちは何か新しいことに挑戦していく姿勢がとても大事なのだ。

神様はそのために、社会崩壊や経済崩壊すら利用するのかもしれない。そういうものがなければ、私たちはつい直線的に見える未来の安全に、すがりついた生き方をしてしまうだろうから。

未来を見据えて成功してきた安全派が、そろそろ限界を迎えてきたのが、現在の日本や世界の混乱の姿でもある。

彼らはもう今さら生き方を変えることなどできないから、最後は恐ろしいほどの守りを見せるだろう。その守りによって一般人は苦しくなっていく。

守りの強い彼らに力を与えていたのが、本当は私たちの弱気であり、自分大事の小さな安全志向だったのだ。

本当は誰が東電なんかに勤めたいと思うか。安全志向が強い人が、仕方なく従って組織形態を維持しているだけ。それがいいと勘違いしただけなのではないか。

もちろん東電の中にも自己実現して自分の人生に満足している人はいるとは思うが、そんなことは口に出したら頭がおかしいと思われるような会社であるのも事実だろう。

どこに就職するものも何をするのももちろん選択の自由としてあるが、その選択の基準になっている価値観が安全だけでは、人は不幸になるということが言いたいのだ。

何か、528Hzやソルフェジオを聞くにつれ、解放されすぎ状態になりつつある自分。ちょっぴりまだ時代的に早すぎた気持ちもあるけど、これからの社会の変化は早いのでそうでもないか。

人はやっぱり新しいことをやっていった方がいいと思います。新しいこととは、これまでの価値観から脱却し、

新しい無理のないライフスタイルをつくる、、、新しいものをつくる、、、新しいサービスをつくる、、、新しい街をつくる、、、新しい国をつくる、、、、

これらをあなたの独自性でつくる。小さくてもいいのです。横通しでつながれば町程度にはなると思う。一個の町がそうしてうまれたら、もう後は早い。命あるものはすぐに進展発展するから。

そうすれば、コンビニに行って体に悪いおにぎりをたべ、ユニクロに行って苦しそうな社員の偽笑顔で買い物し、夕飯は生鮮食料品を管理されまくっているスーパーで購入するような生活からさよならできる。

本当はみんなさよならしたいと思っている。

ベンツなんかもう欲しくもない、(乗ったことないけど、、) シャネルなんかもう着たくもない、(着たことないけど、、) もう豪邸なんかに住みたくもない、(住んだことないけど、、)

それらが自分を幸福にするものでないことを、もうみんな知ってしまったから。