10日空襲 11日震災
3月10日は東京大空襲の日。いまだに十万人以上の身元不明の死者がいる。どんなに悲惨だったかが想像できる。
確か、戦争では一般庶民を狙うやり方は禁止されていたはずだが、大空襲は完全に一般市民虐殺のために行われた。
こうしたやり方には、必ず慈悲のない出世主義者が絡んでいるものだが、やっぱり空襲戦略を強く発案した者はアメリカの出世主義者であった。
人より抜きんでる、、、人より優れている、、、こうしたことは、やり方が正当な場合は褒められもするが、単に出世主義が行うと、大体はお粗末なものとなる。
まだ生きておいでかもしれないが、死ぬことがおそらく恐ろしいと、年齢が行ってから思うようになったのではないだろうか。
東京の町にダメージを与えるには、木造建築の密集に火を投げ入れれば破壊尽くせることくらい、秀才でなくてもわかる。しかし、まともな人は、そんなことをやらないだけ。
まともでない出世主義者の手にかかると、どんな悲劇だって起こせてしまう。
さしずめ、原発がメルトダウンなどしてない、と、国民にはっきり言った枝野など、似たタイプだろうか。メルトダウンしてない、、という最高幹部の責任者の言葉を信じて、無防備に外出した人など、いま、どういう気持ちでいるだろう。
メルトダウンを知っていて、大丈夫、、してない、、、といった人がなぜ逮捕もされずに今も政府の重職にいらっしゃるとは、日本という国も本当に不思議な国である。
3月10日の大空襲は、まず、円周上に爆弾を落とした。輪の中から人が逃げ出さないためである。
要するに、人間の虐殺を狙ったことになる。悲しいのは、こんなことも、日本政府はアメリカに遠慮してこれまであまり語ろうとしてこなかった。
しかし、何十万人の人が亡くなっているのだ。熱感地獄の中で絶望のうちに亡くなられた。政府が言わなくても、誰かが、多くの人が語って、慰めなくてはいけないことなのだ。
逃げまどう人々、、、子供、女性、赤ん坊をおんぶした人もいたことだろう、、、あっちに逃げてもダメ、、、こっちに逃げてもダメ、、、ついには川に飛び込む人、、、、しかし、そこは沸騰している川、、、、
爪で土を掘り、そのうちに火が回って死んでいった人もいただろう、、、、せめて子供だけでも助けたい、、、とそう思いつつ死んでいった幾多の人がいただろう。
10日の大空襲のことを言い出したのは、まだ最近だ。戦後の数十年はふたをしたようにして、マスコミも騒がず、触れてこなかった、、、
あまりにあまり。出世主義者は本当に世の中を幸福にする力も資格もないように感じてしまう。
戦争中に起こった南海大地震も口に上ることはなかった。震災後にNHKのドキュメントで多少、多くの人が知ることにはなったようだが、あの地震も戦争中も戦後もなぜか隠されてしまった。
何でもアメリカ軍が地震の前と後にビラをまいて、地震をアメリカは人為的に起こせるという内容と、そのあとでは、地震の次は何をお見舞いしますか、、、という内容のビラを配ったとか。そして予告通り、大空襲が名古屋地域で起きた。
恐ろしい話しである。しかもこのドキュメントを作った人がその後殺されるという、妙な展開もあって、今なを何が何だかわからない不気味さである。一体、日本は誰が支配しているのか、一般の我々にはまったく理解できない、深い深い暗黒の溝があるかのようである。
本当にあったことを言うだけで、殺されてしまうのだから、こんな恐ろしいことはない。正義も何もあったものではないが、こんなこと、いつまで続くのだろうか。
10日の大空襲で死んだ人、、、というよりも無慈悲に殺された人、、、、予告地震によって殺された人も、また、原爆で殺された人も、、、、みんな一般民衆であり、彼らの願いは、帝国日本の大勝利より、何をしてでも出世したいという気持ちでもなく、ただ、日常の日々を楽しく暮らしたかった、、、、人類が長いこと続けてきた、生活者としての人生のまっとうを願うばかりであったことだろう。
そうした大勢の人類の、大勢の民衆の願いが、一部の出世主義者によって無慈悲に覆されていく、、、、
もうそんなことは許されなくなる。生活者を求める大勢の心から離れて、独裁も機構も国家も長くは続かない。一時はすべてを支配したかのように見せた平家も、ナチスも、ポルポトも、わずか二十年の命であった。
発展、出世、上昇、、、そうしたものに騙され続けている人類。優秀な民族とか、劣等な民族とか、気味が悪すぎるのだが、まさにそうしたことを語る者はバカなのだ。
本当にそんなものがあると思うか。思う者は、自分の劣等感がそうさせていることに気づかないと、自身の人生を全うできなくなる。
原爆とは、空襲とは、人類削減とかの妄想は、劣等感のなせる業であることに、人類はもうすぐ気づいていく。
反対にあるのは、生活者としての自分。いのちに直結するものに関心を持ち、それを日々の生活に取り入れ、豊な気持ちで人とつながり、毎日を同じように終えていく幸福。
まず、それがあり、そこから自然な発展が生じていく。おそらく宇宙で成功した宇宙人たちの多くが、こうした流れから真実をとらえ、すごいテクノロジーに行きついたのだろう。
地球では順番がどうやら逆だった。それは劣等感がベースとなった発展のためである。神経症の時代は、神経症からの逃避グループがどうしても出世していく構造である。
神経症の克服には、自分を捨てることや、幸福を捨てる価値観が必要になるが、知の優先層には、これが絶対にできない。そのため、神経症のまま上位層にいるので、
自己の幸福のためには、周囲が不幸になる必要がでてきてしまう。
あらゆる場面でのトップがこうした形だから、どうしても地球は行き詰る。
精神分析では決してとは言わないが、ほとんど神経症を治すことは無理である。
神経症を本当に治せたのは、学術的には、森田正馬だけかも。精神分析から神経症を治した人を私は実はまだ一人も知らない。そんなことを言ったら叱られるとは思うが、どう考えてもそうなのである。
治るということの定義が確かに難しいけど、、、劣等感から来る復讐心から自由になることを、治る、、、、と言ってもいいかもしれない。そうなると、精神分析を深めた人も、治っているケースも多くなるし、意味は大きいと思います。
しかし、多くの場合は、先に出世や発展が来ることで、劣等感を温存させ、社会的優位にたつことで復讐心を持つにいたる。
10日の大空襲や大きな悲惨な出来事を見るにつけ、復讐心がある人を上にする社会はよくないと、いつも思う。
そして、本日はあの日から一周年である。改めて、大勢の犠牲者に哀悼の気持ちをささげます。
そして、生き残った人々の中の多くには、あの時、自分も死んでしまったほうが楽だったと、、、、そう思っていらっしゃる方が多いと思います。
本当に大変でしたね。人の心の温かさもあったかもしれませんが、この世のおかしさ、、、本当はもしかしたら大きなものが本当にインチキではないのか、、、と、直感されてしまったおおぜいの人が福島には多いと思う。
しかし、みなさまが生き残ったことには、きっと意味があるはず。
怖いものを知り、怖いものを見てしまった福島の人たち、、、それはやがて日本全体に広がっていきます。そして同じ気持ちを共有するようになっていくはず。
そう、私たちは自分の手で時代をつくらなければいけないということ。それとも待っていればあの人たちが作ってくれますか。
もうそうした幻想からは醒めてきましたね。みちのくの民の問題は、日本人の問題と同じです。
誰もが、もう自分の手で新たな時代をつくらなければならない地点に立たされているのですよ。
野田さんも一生懸命にやっているのかもしれないし、菅さんも悪気がなかったのかもしれないし、枝野さんも本当はウソはつきたくなかったのかもしれないし、本当は原爆は落としたくなかったのかもしれないし、本当は面白半分で人殺しなどしたくはなかったのかもしれないし、本当は放射能などばらまきたくなかったのでしょうが、、、、
彼らは彼らで頑張ってもらうとして、私たちももう自分の足で私たちも立たなくてはいけない時に来たと思うのです。
次は橋元さんが頑張ってくれるのかもしれないし、、高齢にムチ打った都知事が何か考えてくれるのかもしれないし、、みんな一生懸命だとは思うけど、、、それはそれとして、やっぱり私たちはもう自分の足で立つ時になっているのだと思います。
それぞれが自分の足で立ち、自分の足で立とうとするもの同志が助け合い、協力して、そんな立派なことではないけど、日々の安心して充足できる心豊かな生活を作っていきたい。
これまで、何十万年も人類がやってきた、日々の生活の楽しみ、充実を、ベースに置きましょう。そこで学び、そこで恋をし、そこで家族を持ち、、、出世の前にまず、そのことが大事だと、もう一度、私たちは気づきたいものです。
悲しい死のあまりの多さに、亡くなった方々の本当の希望も、そうしたところにあったのでは。普通に生活がしたい、、、普通に暮らしたい、、、、そこを忘れないでいきましょう。
みちのくの他にあてのなき避難所に子らの遊びの声ひびきおり 愛