みずがめ座

太陽がみずがめ座に入るのは早いものであと二日。20日の午前7時少し前なので、ほぼ日の出と共にみずがめ座の太陽が昇ってくる。

なんだか、こちらの方が多少なりとも新年という気がします。1月1日はやぎ座10度くらいの、極めて人為的に決めた新年で、宇宙力と人間の営みを切り離す意味では近代化に必要なことだったのでしょう。

しかし、自然との一体感を奪われた形での生活と人生にはどうしても厳しいものがある。不自然な努力を人間に強いる構造が生涯つきまとう。

暦を操作することで得た近代化。それは人間を自然から切り離し、ある特定の目的に沿う存在に変えられてしまった。

ブロイダーや食肉の牛や豚も同様の構造の元で苦しんでいる。特定の利益のためだけに自然界と切り離されて生き、その生涯を終えていく。

人間が自然と切り離されているのでわからないのだろうが、もうこうした不自然なことは許されないレベルに至った気がする。

あらゆる命が無意識化の中でそれぞれの立場で先祖返りを始め出す時が近づいている。

この世の不自然な営みへの反感を、今では多くの者が意識し出した。10年前はまだ一部の人だけだったが、今はもうほとんどの人が、今の時代をおかしいと思い始めた。

そう思わないのは、現構造の中で甘い汁を吸っている立場の人ぐらいという雰囲気だが、それって、ソ連が終わる直前にとても似ていないか。

あの時は私が知っている中では数人だけが、もうすぐソ連は終わる、、、と言っていたが、あとはまったくそんな風には考えられていなかった。

もちろんマスコミも政治家もソ連が終えるなどと、これっぽっちも考えいなかった。

あの時と今とを比べると、時代への温度差はかなり違うと思う。今は多くの人が変化が近いことを薄々感じている。

それは、他人事ではなく、将来どうなるだろう、、、仕事は続けられるのだろうか、、、健康は維持できるのだろうか、、、家族を養えるのだろうか、、、、と、素直な危機感がすでにごまかせないレベルに達してしまったからだ。

何かを、基本的な何かを変えないと、自分らはこれまでのようには生きていけないのではないか、、、と多くの人が感じだしている。

機構や組織は、そうしてゆるんだタガを、規律でしめなおす、規則を厳しくする、、我慢させる、、、と、しめあげようとしているが、もうそういう手段ではダメではないのか。

いま、私達ひとりひとりは、未来に通じるものを持つことがとても大事だと思う。だが未来につながるものは、今、安定して見えるものとは違う。

保守的な思いに囚われていると、どうしても見えてこないので、私達はつい何かにしがみついた方が安心だと思ってしまう。

では、未来につながるものは、どういうもので、どうすればそれをつかむことができるのだろうか。

未来につながるものは、直感からしかやって来ない、、と私は考える。あくまで私の考えなので、もちろん正しいとは言えない。

それでも、直感が今ほど重要な時代はない気がしてならない。未来は見えないのだから、論理的なものではなく、それを見通す方法は直感以外にはない。

直感に慣れてくると、論理は後付であり、直感の方が道だったと気が付く。

論理的に物事をすすめてもうまくいくかいかないかは大体は五分五分。本当は直感の方が率はいいと思う。

論理は体系化する際に重要だが、未来に道を作る際には直感が大事だ。

論理で音楽でも映画でも芸術でも出来る時代だが、やはり命の部分がそれだと弱い。論理をどこかで破たんさせ、壊したものでないと、新しい道はつくれない。コピーなら論理で簡単にできるけど。

時代が安定した時は、論理優先で間違いないが、今は違う。

直感というあやふやなものを信頼してみると、これが段々と働くようになっていく。働かないのは信頼していないからだ。

論理と直感とどちらが大事だと偏屈に言っているのではなく、論理を信頼している人にはよき論理性が見えてくるし、直感を信頼している人には、直感がよく働くようになる。

そして今という時代の特殊性においては、時代が行き詰っているため、論理と分析ではかえって道を間違えやすくなる。直感を信頼していく方が得ではないかと、思うわけです。

面白いもので直感に素直になると、至るところで先祖返りが起きだす。先祖返りとは、もともと命とつながっていたものが、突如現れてくる、、、という現象で、個人にも社会にも出てくる。

私が個人的に、振動、音、母音、特殊な周波数に導かれたのも、私の中で何かが先祖返りを起こしたからだと思う。

すべてが振動であり、それらはお互いに共振しあい、相互作用の中で存在し、それが自然な場合は喜び合っているということは、論理からは決して出てこない世界観だと思う。

そしてある時代からある周波数が隠され、変わりに支配のための周波数に取り囲まれてしまった現代に私達は生きている、、、

振動を体験し、振動が命であり、神でもあるという直感を私は偶然に得た。

まず最初に人は直感によって新しい世界を見ることになる。しかし、その能力を恐れる者がいたのだと思う。学ぶことでの全能を求める知の神にしてやられた。

しかし多くの人が今、行き詰っているということは、新たな直感を得るチャンスが大きく広がっていることを意味しているのではないか。

行き詰った人には、必ず、直感が与えられるようになっていく。論理に負けてはいけない。論理は後で必要だが、最初からそれを持ち出すと堂々巡り。

直感は人間の持つ、基本的な能力なのだ。しかしそれは権威的な者にとっては非常にまずいので、そうでないように仕組まれた。勉強はその最たるものであるのかもしれない。

もちろん勉強も大事だが、直感という宝物を私たちはもっている。

今、それを使う時期が来ている。論理も大事、直感も大事。どちらも大事だが、使う時を間違えたらいけない。今は直感。