至恩郷
明日は11日か、、、と思っていたら、なぜだか急に至恩郷のことが思い出された。至恩郷とは、三重県菰野町にある、岡本天明が開いた奥の院だ。岡本天明はひふみ神示をおろした人で、その奥様が三典さんである。偶然が重なって私は何度か至恩郷に伺ったことがある。すでに岡本天明はなく、奥様の三典さんが奥をお守りしていた。その三典さんももう今はいない。私は三典さんから、ひふみの解き方を何回か実際にお目にかかって伺ったことがある。こちらが何も言わないのに、親切に教えてくださる。天明が残したひふみを何としても伝えたい、、、という思いだったのだろうか。誰にでもそうされていたように思う。金銭的にはとてもつつましく、本当に清貧のご様子だったが、いつも洗い立ての白いブラウスをおめしになり、清らかな印象があった。三典さんは私の氏素性などには関心がないようで、すぐにご自身のお話しをなさりだす。最初に伺ったことは、ある橋のたもとで拾った折鶴のお話しだった。亡き夫である天明からの伝言であることを直感された三典さんは、折鶴を拾い上げ、そっと開いてみると、やはりお二人にとってご縁のあるある地域の名前が大きく書かれた紙だった。もう何年も昔のその折鶴を大切にお財布の中にしまわれており、宝物を取り出すように折り鶴を見せていただいた。それが三典さんとの最初の出会いであった。何で至恩郷に伺ったのかは、もう覚えていないが、その時のときめくまるで少女のような三典さんのお姿がとても印象的であり、どんなに天明のことを愛していたかが、素直に伝わってきた。何もかも信頼しあう夫婦愛である。日月の神はいがみあう夫婦には下りないと、書かれているが、天明と三典さんは信頼しあい、愛し合っていた。単に私は思い出として語っているのではない。三典さんの神開きの正しいプロセスにそれは必要なことだったのだと思う。ひふみの神様は日と月、丸とちょん、善と悪、日本と外国、裏と表でもよいが、とにかく夫婦という二極の構造をもっている。それが一体となった働きを伝える。岡本天明についてはもうかなりの方々がすでにご存じだと思うが、天明は降ろし役、そして三典さんが解き役であると私は信じている。それであってはじめて一体の働きとなる。天明のひふみ解釈と三典さんのひふみ解釈は、こう言っては恐れ多いが、違うと思う。それはお役が異なるので仕方ないものだと思う。あくまで夫婦神なのだ。天明と三典さんは一体であり、同等のお働きであるというのが、私の考えであり、事実なのではないだろうか。では、三典さんのひふみ解釈はどのようなものだったのだろう。当時山形にお住まいだった確か菅原さんという方の数霊の考えに触れて、各段にひふみの解釈がすすんだ、、というようなことを伺ったことが記憶にある。私はその具体的なことはよく知らないけど、色々なひふみ解釈の中で、三典さんのお話しが一番府に落ちた。夫婦神なので、天明と三典さんは同等のお働き、ということなのだ。ひふみを研究されている方は多いと思うので、ここいらでもう一度、原点に戻って、夫婦神としての三典さんの存在に気づき、その解読をどなたかが集大成する必要があるのではないだろうか。至恩郷の機関紙を発行されていたと思うが、その中でおしまいになるその数年前までの中には、画期的なひふみ解釈があったはずだ。ただその時点では、どなたも天明と三典さんを同等に考える風潮がなかったためだろうか、正しく三典さんのひふみ解釈が世に出ることはなかったような気がする。非常に孤独な戦いではなかったか。三典さんがよくおっしゃったのは、種、米のことだが、その根源性である。具体的にひふみの中には米のことはそんなには出てこないと思うが、ひふみ解読の鍵が米であり、光であることを力説されていたと思う。それは命であり、米の一粒は光であり、それが輝いて見えるようになることが、本当の改心ともいえる。おそらくこれから、時代はきりきり舞いとなっていく中で、米の一粒が光って見えるようになるまで、私たちの改心への道のりは続くのだ。命の移譲、命の輝き、、、そこに至るまでありがたい困難は続くかもしれない。色々なひふみ解釈はあってもちろんよいが、本家本元の夫婦神としての一方であった三典さんのお解きを、どなたかが確信的にまとめていただきたいと思わずにいられない。それが必要になるときがきっとやってくるからである。