身近な奇跡
先日の鬱のブログの反響が大きかった。一点だけ誤解しやすいところがあったので、付け加えさせてください。
鬱の対処として、一日、一個でいいので、心を入れて何かする、、、歯を磨くでも、顔を洗うでもいい、、、と、そう書かせてもらった。
ここで言いたいのは、歯を磨くとか、顔を洗うという、自分のことを行う、、、という点が大事なのです。
なんでも物事には順番があり、まず、自分が満たされないで他人を満たすことは本当はできません。形の上ではできるでしょうが、それをやると自分自身を破壊します。
鬱になる人は、基本的にはやさしく他人優先の姿勢を日頃示します。この世には、「この人に何をしてあげられるだろうか、、、」と考える人と、「この人から何をしてもらおうか、、、」と考える人がいます。
中間タイプや他のタイプもありますが、鬱の形成では、ここにあげた、二タイプの力学が作用します。
この人に何がしてあげられるだろうか、、、、と考える人に、どちらかといえばずるがしこい、何をしてくれるの、、、タイプの人がであったとき、悲劇が起こります。
自分はこの人に何をしてあげられるだろうか、、、と考える奉仕タイプは、対人関係において、自分が何か相手に与えない限り、その関係が維持できないと思いがち。根本には自分への自信がないところからそうした考えが来ています。
一方、ずるがしこいタイプは、とにかく得したい、、、損する立場には絶対に立たない。そうしたタイプは、人の弱さに非常に敏感である。
そして、相手の弱点を突いて、自分の思うように相手を使いこなそうとする。前者の奉仕タイプは、自信がないため、とにかく相手に嫌われないように、、、という意識でいるから、相手の人間性に気づけない。
そのため、一方的に奉仕しても奉仕してもまだ相手から認められない、、、、という不安の中で、消耗していく。こうした鬱になる人も多い。
そこで言っておきたかったのは、鬱から立ち直るためには、何か、心をこめた行動を一個、、、そこから始める、、、といったが、それは、自分のためのものでなくてはならない、、、ということである。
心を込めた行動というと、鬱の人は、きっとまた、誰かのために、行ってしまう。そして疲れて自分を責めだすと思う。言葉が足りなかったので、誤解されないよう、本日、付け足しました。
一日一個でいいから、自分のための行為を心をこめて行ってほしい。鬱になる人は、自分のための時間などこれまで使ってこなかった。いつも何かに追われ、一回の呼吸でさえ、自分のためではなかったはず。
これからは、自分のために呼吸をする。自分のためにゆくりトイレに行く。自分のために、時計を見る。
嫌われるかも、、、という価値基準をとにかく捨てる。
好かれようとしても、きらう人からは嫌われる。嫌われてもかまわない、と思っても、好きになってくれる人は好きになってくれる。相手が決めることを、こちらがやきもきすることは間違っている。
そんなことはやめて、自分のために何かをする。自分を大事にしながら、食事をする、、、水を飲む、、、休憩する、、、
すると何が起きるか。周囲が壁をとってくる。人間関係が楽になってくる。好かれようとするポーズ、それも無理で苦しいポーズが取れて、周囲は自然にあなたに接することが可能になる。
けっきょく、人はこちらの無意識に反応するのだ。好かれようとすると、その不安を見抜かれる。そしてそれをエサにしてずるがしこい人がやってくる。
それが鬱の原因であり、それがわからないと再発することにもなる。鬱はガン同様、生活習慣病なのだ。
ひとつずつ、習慣を変えていけばいい。
好かれたい、、、という動機でとにかく行動や言動をしないこと。鬱の人は普通にしてれば好かれる人です。
でも、なぜそんなに好かれたいのか、、、それは不安だからです.
不安はみんな同じ。いつかは死ぬ身。誰だって不安はある。それをないものにしようとするから、おかしなことになるのだが、好かれないと、生きていけないように感じてしまうのは、子供のころ、両親や周囲に否定されたことが原因でしょう。
しかし、両親も周囲も、あなたのことを否定した人は、本当は自分を否定していただけ。あなたのことではない。
いいですか、あなたの価値を誰かに、周囲に、判定などさせない。そんなのは嘘っぱち。
では、誰があなたの価値を測れるのか。それは自分。
鬱の人は自己採点をこれまでの三倍に引き上げてください。そのくらい、間違った自己裁定をしていると思う。
あなたにはあなたでしかない価値がある。自分を嫌う路線から早く降りて、自分を好きに感じる路線に乗り換えましょう。
その意味で、毎晩、自分の名を呼んでみる、、、ことを前回も語ったのです。
○○さん、、、お休みなさい。と、自分でいとおしむように、自分の名を呼んでくださいね。続けていれば、必ず奇跡が起こります。