ルネ先生、お別れ
きょう、芝増上寺の近くのお寺にて、昨年の11月にお亡くなりになったルネ先生のご葬儀がありました。
69歳と、まだまだ活躍していただきたかった年齢。
この二十年ほどはルネ先生とは時々お会いする程度で、とくにおつきあいはなかったが、私がこの道で独立する際にとあることで、助けられた恩人であった。
私がとても困っているときに、突然、ルネ先生は私にお声をかけ、「愛ちゃん、僕の机を使いないよ、、」と言って、自分はそこいらの小さなテーブルなどで原稿を書いたり、家で書けるから、、、と言っては、とにかく私に大きな机に座らせてくれた。
先生の机は特別注文のルネヴァンダールの金の紋章が入った黒い大きな机で、堂々としている。しかも机は部屋を見渡せる教室で言えば教壇の位置にあり、そこにいる人すべてを見渡せるような威厳に満ちていた。
そこに、私を座らせて仕事をさせてくれたのは、先生特融の帝王学の教授にあったとおもう。
そのころ、私は仕事の指導方針などが協力者とどうしても合わず、干されるような形にいた。それをルネ先生は気づいて、この若者を助けてやりたい、、、とそう思ったのである。
力になってもらいたい、、、という気持ちもあったのかもしれないが、生意気だった若造の私が、すぐに飛び出して、独立することはわかっていたはずだ。
なのに、折れた私の気持ちを再び奮い立たせ、帝王学の多少なりとも伝えてあげて、この若者を助けてあげたい、、、と思ったことは、私には十分に伝わった。
実際、ルネ先生のオフィスで自由に仕事させてもらい、その間、一貫して先生は私に大きな自分の机を使わせ、一言も不都合や文句など言わなかった。
そのおかげで復活できた私は、生意気にも独立し、先生の元を去った。あの時、ルネ先生が傷ついた若者をかくまうように助けてくれなかったら、おそらくいまの自分はなかったと思う。
仕事や勉強を一緒にしたような思い出はあまりないが、弱っている者を助けてあげる、、、という人間としての基本ルールを私はルネ先生から身を持って教わったのである。
その時代にルネ先生のオフィスにいらして、だんだんと頭角を現していたのが、エミールシェラザード先生である。
ルネ先生に助けられて横から滑り込んだ私が、ルネ先生の机を独占しているのに、エミール先生はいやな顔ひとつせず、先生同様に私のその頃の状況を理解し、今後の私の活躍にまっすぐな期待を寄せてくださった。
もちろんエミール先生はルネ先生の一番弟子でもあるが、その頃の一時期、同じ釜の飯を食べた仲でもあった。そのためか、私はいつエミール先生にお会いしても、どこか戦友のような気持ちになってしまう。
同じ時代を同じ目標を持って歩んだ時代、、、なんだか三丁目の夕日のようだが、確かにまだ未来という手ごたえが、誰にもあった時代だった。
ルネ先生は集英社のほとんどのメイン雑誌を網羅してたが、時代はマイバースデイが創刊され、産経出版が出していた占い雑誌ミュー、また、各週刊誌、月刊誌がこぞって星占いを掲載しだした、そういう追い風の時代だった。
仕事は山ほどあり、ルネ先生もエミール先生もそして私も週に数日は徹夜するのが当たり前だった。
ルネ先生はそんな時代を駆け抜けていかれた。地震や原発の時代は、江戸っ子で粋なルネ先生の心をさぞふさいだことだと思う。
もしいま、お元気でいられたら、私は先生に「こんな色気がない時代は間違ってますね」と言うと思う。するとルネ先生はきっとこう応えられる。「そうだよ、愛ちゃん、、、ほんとだよ、、、。」そして続けて、必ず笑わせる話しを始めるのだ。
まあ、ルネ先生との会話は、その構造があらかじめ、見事に見えていて、こういえば、おそらくこう応えられる、、、、そして次に面白い話しを始める、、、、という展開。
その安心感、、、。ルネ先生ならではのものだった。
それは軽く見えて、深い深い文化に裏打ちされているところから訪れてくる遊びであった。
「つまんないなあ、、遊びにきてる人がいなくなってしまったなあ、、、他の星にでも行ってみるか、、、」
ルネ先生、さようなら。
ありがとうございました。