北斗七星のお話し

23日はみずがめ座新月。私はこの日からみずがめ座を意識したタリスマン「北斗七星コイン」の製作に入る。

 北斗七星に対するこだわりは個人的にだがとても強く、新たな時代と関係しているという直感がある。

 それは十数年前に信州で百武彗星を見てからだ。百武彗星は日本人の百武氏が発見した新彗星だった。なぜかその後に現れたヘールポップ彗星の方が規模が大きいと話題をさらったが、実際はそんなことはなかった。

 天文ファンなら誰もが認めるが、百武彗星は今生きている人間が目にした彗星の中でも、最大級のものであったということ。
 
 実際に私も百武彗星を目にして、腰を抜かさんばかりに驚く。全天180度の半分以上を占めるような巨大彗星が夕刻に信州の空に現れた。時間がたつほどにその姿は輪郭をはっきりとさせてくる。

 腰を抜かさんと驚いたのは、その巨大彗星がなんと、北斗七星のひしゃくを貫いていたからである。あまりにシンボリックなその姿に、占星術師である私は驚き恐れたのである。

 私の場合は西洋占星術だが、おそらく東洋の占術の専門家がその光景を見たとしたら、もしかしてショック死してもおかしくない情景と言えるだろう。いや、数百年前の宮廷占い師が見たとしたら、そうなっていたに違いない。

 巨大彗星が北斗を貫く、、、、この姿に何も感じない占術家はもぐりだ、、、という思いだが、誰も何も言わなかったことが本当に当時、私には驚きだった。
 おそらく、東京ではあまり見えなかったこともあり、その光景が理解できなかったのでしょう。東京に限らず、世界の都市部でもきっとそうだったのでしょう。きっと。

 その点、占い師よりも天文学ファンはよい環境を選んで撮影などに望んだので、百武彗星の雄姿を見ている。

 北斗七星は北の空に輝く星座で北極星を見つけるのに便利であり、感覚的には北極星と一体の印象を持っている。実際、どの星も、太陽と月をも含むあらゆる星は北極星や北斗七星を中心に回っている。

 すべての星が動く中、北に位置する北斗七星は動かない。すべての星の中心にあるのだ。

 星の世界の秩序はまさに北斗七星にあり、すべての運行の基準だと感じられる。一日中夜空を見ていれば、そのことが実感できる。また、船乗りなど、自分の位置を確認するために空を仰ぐ人たちは、北斗七星と北極星が命をつなぐポイントであると実感する。
 
 こうして全宇宙をすべる星として特別な位置が与えられ、やがて崇拝の対象となっていった。こうして生まれたのが、北辰妙見信仰である。

 北辰とは北斗七星のことで、太陽 月 木 火 土
金 水の七つの星と北斗七星の七つの星との対応が見て取れる。あらゆる根源、あらゆる生成と森羅万象の中心的存在が、北斗であり、何にも侵されない特別な星としてとらえられていった。

 北辰妙見信仰が日本に来たのは古く、4-5世紀のことらしい。しかしこの信仰は突然、桓武天皇の時代に禁止される。これが世に言う、北辰祭の禁止令である。

 禁止された北辰妙見信仰は消えたのか、、、そんなことはなかった。修験道の世界で、また日蓮宗によって、そして宮中の中で秘められて伝えられていく。

 北辰妙見信仰は王様や王権にとって、絶対に欠かせない信仰であった。北斗七星のひしゃくの先端の星を破軍星という。破軍とは、軍が敗れる、、、この星に向かって戦いをいどめば、敗れるということになる。逆に言えば、北斗七星を持つ者は守られることになる。

 北斗七星は北の空にあるが、この破軍星のせいで、北と南が戦えば、必ず北が勝つことになる。たしかに世界の歴史を見ても、そのように見受けられる。南北戦争、ベトナム戦争、そのほか、大体の戦いにおいて北、すなわち北斗七星を背にした者が勝利し、北に責めるものは敗れる。ナポレオンもドイツも北に攻めて敗北を喫した。

 北斗に向かって戦いを挑む者は滅びる、、、こうした信仰は王権にとっては、絶対に必要な知識であり、また、かつ、ひとりひそかに秘めていたい知識でもあったろう。

 なので、北辰妙見信仰は隠されやすい構図をもっている。そのため姿を変え、色々な風に置き換えられ、北辰妙見信仰は複雑な形で伝えられてきた。

 道教、陰陽道、仏教、日蓮宗、また、法華経の守護神としての姿もそこにある。さらにキリスト教もしくはユダヤ教との関係も北辰信仰にはおそらくあるはずだ。

 北辰妙見信仰は帰化人と深い関係にある。おそらく古代世界共通で北斗信仰はあったのだと思う。しかし、その性質上、権威者や権力者、王権の独占的なものになりがちであったのだろう。敵や対立するものにわたってはならない性質のものだからだ。

 破軍星に向かえばこちらがやられる。方位でいうと、子の位置。始まりの位置であり、子牛の方角となる。星座対応でいうなら、やぎ座みずがめ座の位置と関連。丑年生まれの菅原道真に敵対した藤原氏はその後大変なことになったように、北斗を犯してはいけない、、、という信仰はいたるところで生きている。

 ひとつの町や市を作る際にも、寺社仏閣を北斗七星の形に配置したものがある。それは、その町を攻めた方は負ける、、、からである。

 突き詰めるところ、北辰妙見信仰はアメノミナカヌシに至る。すなわち、宇宙の根本原理の体現としてのアメノミナカヌシ、さらにスサノオとニギハヤヒという、本来の中心的神でありながら、微妙に今は外された位置、、、おそらく23度半程度はずされた位置にいる本当の力ある神様、、、まだ66度6の力が跋扈する時代なのだが、宇宙の本質を守るために、北斗は特別な侵されないものとして存在してきたのだろう。

 こうした命の根源へとつながる神々と関係する北斗を犯すことは許されない。なぜなら、それが破壊されたらすべての命が消えてしまうためであり、特別に守られている。北斗七星の側にたてば、だれでも守られる、、、という利用が、王権や権威者に伏せて利用されてきたと考えることは、容易に想像できるのではないか。

 以上が簡単な北辰妙見信仰、そしてその対象となる北斗七星の物語りであるが、その星を巨大彗星が貫いた。ひしゃくを貫いた、、、その意味を私はずっと考え続けてきた。

 時代は変わるのだと思う。天のひしゃくには神々の知恵が詰められている。北斗七星を特権階級や王権が利用する時代は去ろうとしている。それは旧来の本当に力ある神々の思いとは異なるためなのだ。

 その時が至ったのだと思う。突き詰めれば、この星を独占的に利用した人がこれまでの時代を築いたのだが、もうそれは違う。

 北斗七星は誰のものでもなく、それを正しく使う者に開かれる時代がやってくる。それはまさに春分点のみずがめ座入りと関係する出来事なのだ。

 神々の知恵、神々の守護が多くの人に訪れる。すべての人に訪れる。それは良き時代の幕開けとなろう。

 とくに今年は、北辰、すなわち、北斗七星は辰になぞらえられており、今年の辰年は重要である。

 正しい者が勝ち、おかしな行為やおかしな者は破軍となる年。その意味で、北斗七星は百武彗星以降、開示された。誰もがこの北斗の力を使い、用いて、新たな良き時代をつくれる、、、宇宙時代の正しい開幕が時至って訪れているのである。

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