宝をどこに積むか
ナポレオンというトランプゲームがある。割に高度なあ遊びで、オールマイティ、正ジャック、裏ジャック、切り札、、、と、強さの段階が決まっている。強い札を利用して10以上の得点の高いカードを集めるゲーム。全部で20枚のうち、何枚集めるかを競う。お正月になると子供時代は夢中でやっていた。高い点数の札から出していくのがポイントで、そうしていくうちに、切り札の3や4の、とくに高い点数の札ではなくても、面白いように絵札を集められるようになる。邪魔者をさきに始末しておきさえすれば、切り札の下の数で絵札が集まってくるのだ。なんだか、民衆の支配の仕方に非常に似ている。民衆はどうしても一時的な感情で動いてしまうから、意味なく絵札を温存し、そのうちに形勢が不利となってゆき、虎の子の絵札を差し出してしまう、ナポレオンと同様の支配のされ方をしてしまう。
私が子共のころ、父親の帰宅時間はうちは遅いほうだたが、それでも7時半くらいだった。かなり遅めで8時というところ。一足さきに子供たちは夕食をすませており、テレビなど見ているところに父が帰宅する。そんなパターンだった。土曜日は出勤だったが、それでも昼の三時ごろには父は戻っていた。年に何度かは、会社の旅行があって、子供たちも一緒について行く、、観劇がやはり年に数回あって、おいしい中トロの漬けなどがおみやげにあり、戻った父から取り上げて、子供たちは目の色を変えて食べたものだ。月見もよくあり、親類などが家にやってきて、まず風呂に入り、それから宴会をやって午後9時ぐらいに戻っていった。私が育ったところは港区だったが、夏には縁側が出て、大人たちは夕涼みで縁側で麦茶など飲んでうちわを仰いでいた。そのそばで子供たちが線香花火などを楽しんでいる。近所の人たちの職業は色々で、金持ちも貧乏もいたが、どんな職業であれ、それなりに一家を支えていた。靴磨きn家でも、一家を支えることができた、、そんな時代だった。
それが今ではどうだ。確かに身なりはスーツを着込み一見きれいにみえるかもしれないが、アルバイトで一家が支えられるだろうか。パートで一家が支えられるだろうか。正社員ですら一家が支えれないケースがほとんどではないのか。一流企業の部長クラスでさえ、苦しい状況があると聞く。まして通常の年収400万円クラスの人が、子供を育て、一人前に生計を立てるのは至難の業。さらに言えば、年収400万円はよい方なのだ。こうしたあまりにひどい現実に、いつしか変わってしまっている。一体この日本で何が起きていたのか。
私が学生時代、よいバイトにつけば一日に軽く1万円を稼げた。いま、パートで一日1万円を稼ぐ仕事はないし、あったとしても実労16時間とか、死を賭けたようなことになってしまう。明らかに日本はひどいことになっている。これだけ機械化がすすみ、無駄がなくなり、効率化がアップしていて、なぜ民衆の生活は苦しくなっているのか。おかしいと思わないか。理由は簡単である。一握りの利益にすべてを奪われてしまったからだ。すでに我々は奴隷と同じ状況にあると言ってもよい。昔からぼろ雑巾のように働かせられたものが、いずれどうなっていくか、ここはよく考えたほうがいい。かつての奴隷、、、強制収容所の囚人、、、敵国に囚われた敗戦国民、、、、なんでもいいが、一度、そうした状況に追いやられた者たちは、最期の最後まで見捨てられてしまう。それはそうだろう。すでに、そうした状況を意図的に作った者たちには、愛はもちろん、民衆に対する尊厳も思いやりも、まったくこれっぽっちもない。むしろ働けなくなったらゴミ屑のように切り捨て、早く消えてくれ、、との思いが露骨になる。それはそうした民衆の存在自体が自分の都合によるものであったという無意識のうしろめたさを刺激し、かえって露骨に冷たく処遇したくなる、一種の悪魔性を刺激するためである。なので、日本国民をここまで追い込んだ存在にとっては、民衆を大量死させようと何しようと、どうってことないという感性となっている。このことは福島を見ればよくわかる。さて、このようにたいへんな時代に入りつつあるが、果たして未来に明るさはあるのだろうか。私はおおいにあると思う。いや、あるというよりも、時代は急転直下大きく変わる可能性が高いと思っている。しかしそのためには、やはりいま、おかしなことが起きているということを、マスコミなどに洗脳されないで、しっかり見据える目を持たなくてはならないだろう。自分の命を守るためなのだから、そのくらいの覚悟は必要だ。いつの間にか、苦しくなっていく生活の中でも、マスコミは何ひとつ変わらずに、毎度ばかばかしい内容と、民衆の立場になどたって来なかったことを忘れてはいけない。政治家も同様である。あまりにひどいものだった。
以前、統合失調症の方と幻聴について話し合い、私が
幻聴によるそそのかしは、あなたを孤立させ、最終的には殺して笑うためにしているのですよ。」と言い、怖がられたことがある。私は統合失調症を霊的なものと考えるのでそう思うのだが、幽界から訪れる霊的存在は、自分の無念な死を受け入れることができず、自分と似た境遇にいる者に接近し、ウソを付き、仲間のような言動を語って、支配し、その人にとって本当に有益な人物を避けさせ、孤立させ、最期には自分で死ぬように仕向けて、大笑いするのである。医学的にはどう考えるのか私いはわからないが、霊的な観点で統合失調症をとらえると、本当にすっきりと理解することができる。彼らは、要するに悪魔的なものにつかまるのだ。なぜこのような話しをするのかというと、現代がまさにこれと似ているからである。我々を狙っているのは、悪魔的なものと考えたほうが理解がしやすいからだ。これだけ文明が発展し、科学も発達し、便利になったにも関わらず、なぜこんなに我々は多忙で実入りがなく、与えられているものが、すべて百円ショップ的な物と時間でしかないのか。理由は悪魔的なものに使われているからなのだ。統合失調症の最終目標が、悪霊が患者を殺して遊ぶことだとすると、同じ悪魔的なものなので目標も似ているはずである。景気循環で景気が悪いのでも、中国から安い物が入るから仕事がなくなるのでもなく、悪魔的な者が上にたって我々から奪い取っているから、悪くなる一方なのだ。下手な夢など考えず、まずはこの事実を知らねば自分を守れない時代なのだ。というのは、悪事は表だったらおしまいで、手品のタネが見えたら誰も怖がらない。2012年はその意味で、手品の種明かしが心の曇りがなければかなり見えてくる。統合失調症の回復のカギは、やつらは本当には何もできないということを知ることにある。やつらとは、悪霊のことだが、さも何でもできるようにふるまうが、実際にはコップの水を右から左に動かすこともできない。脅かすだけである。患者によくしてくれる人がいれば、わざと、「あんなこと言ってるけど、本心じゃないよ、、、」とたぶらかし、ちょっと冷たくされたりしたと思ったような時に、すかさず、「ほら、言ったとおりだろ、、、」などと幻聴で語り、患者にとって本当の味方を遠ざけて、孤立させる。患者は必ず、心優しいが未熟な精神の持ち主なので、患者の心の弱さを熟知している。「ここで裸になって外を走り回らないと、お前の家族は交通事故を起こすよ、、、」と、患者をそそのかす。心優しい患者は仕方なく裸になって走り回る。それを見て、霊たちは大笑いをするのである。警察が駆けつけ、理由を聞くと、「そうしないと家族が交通事故、、、、」などと言えば、即病院行きとなってしまう。統合失調症の患者の行動には絶対的にちゃんとした理由があるのである。ただそれが霊的観点からのものを含めない限り、この世的にはおかしなものと思われる。それが狙われているのである。私たちの世界も同様である。マスコミの言うこと、一般的な常識、、それによって民衆をしばり、実際のものとまったくことなる現実を強要する。そのことに異議をとなえると、統合失調症の患者と同様におかしな人に思われてしまう。よくできたシステムである。
実際に良い学校に入って人生は本当にうまくいくものか、、、、金持ちになったとして、本当に人生は幸福いなっているものか、、、、疑わしいのではないか。常識もマスコミが言うだけであたかもそう思わせることができるが、シャンプーやソープなどの界面活性剤がどんなに体に悪いか、なんでマスコミは言わないのか。ガンなどとっくに撲滅しているはずなのに、なんでまだ増え続けているのか。本当にすべての常識も知識も、人間を迷妄の闇の中に落とし入れておくためのものだったのではないか。しかし、もう時代が変わったのである。人類が目覚める時代に入りつつある。どこか体調が悪い、、、病気がちである、、、気分がどうも落ち込む、、、、そういう人は、一度、自分が信じていた常識を疑い、自分の目で調べてみるとよい。健康のためにやっていたものが、本当によいもかどうか、、、そのシャンプーやリンスやソープや歯磨きが、本当に素晴らしいものなのかどうか、ちゃんと調べてもいいのではないか。これだけ商品が豊富なのに、本質がなんで同じものしかないのか。私たちを一定の方向に持っていくためにはその方が効率が良いからではないのか。私たちは、守られているのだろうか、、、、もしかしたら、死のロードを歩かされているのではないだろうか。そのことに気づきさえすれば、もう悪いものを表立たせることはできなくなる。よいものを示せば、もうそれを隠すことはできなくなる。マスコミも大企業もはした金をもらって妙なことをしてきたのだろうが、もう変わらざるを得なくなる。時代の流れには人間は勝てない。流れの潮目はすでに変わっている。私たちは見栄からでも優位意識からでも、恐怖からでもなく、もっと違った生活を、もっと違った生き方を、もっと違った地球をつくりましょう。必ずできるのです。私たちのことを思う霊たち、、、壊され、傷つけられている地球、地球が怒れば、政権もインチキ企業もひとたまりもなくなる、、一夜にして山脈を作ってしまう地球を恐れるべきで、バカな人を恐れることはない。環境を汚し、化学物質や放射能で汚した罪がどんなに重いか、もうすぐ彼らは知ることになると思う。もちろん私たちにもそれなりの責任はある。なので、もうこれ以上、地球を裏切ることはできない。むしろ地球の再生への誓いを胸に抱くことで、大地のお守りをいただく方がいい。とにかう時代は変わった。マスコミも検察も変わらざるを得なくなる。私たちは誰とも争う必要はない。誰もが迷妄の中から間違ったにほかならず、誰にも罪などはない。みんなで助け合う、、、みんなを助ける、、、ただそれだけ。ひとりも残さず、助ける。殺人シャンプーや殺人歯磨きを作っている人も助ける、、、みんな助ける、、、、それが2012年という年のスタートなのだと思います。みなで宝を積む。良きところに宝を積む。これまで間違ったものが宝だった。
本当にこの一年、お世話になりました。どうかよい年をお迎えください。来年もよろしく、ともに学び、ともに遊びたいです。