メリークリスマス
その頃、全世界の人口調査をせよとの勅令が皇帝アウグスツスから出た、、、使徒行伝だったかどこだか忘れたが、クリスマスの一連の聖書記事の始まりである。今夜は多くの教会でクリスマス礼拝が、カソリックではミサが行われていると思う。にわかクリスチャンも多いらしく、クリスマスになると教会に訪れる。私も讃美歌を歌うのが好きだから、本当はクリスマスくらいは教会に行きたいのだが、もう30年以上も行ってない。キリスト教の考えでは、イエスが我々を救ってくれるのではなく、すでにもう救われている、、、というのが本当だと思う。なので、福音というわけだ。イエスを信じればこれから救われる、、、というケチな教義ではなくて、すでにイエスによって救われている、、、というのが本当の考え。どなた様も知ってか知らずか、すでに、ご安心ください、救われていますよ、、、、というのが福音なのだ。なので結構温かみのある、ありがたいものだと言える。一般の宗教はうちの教祖を信じれば救われる、、、、信じてお金を出せばなをいいですよ、、というのが多いと思うが、イエスの教えは違う。すでに救われている、、というのだ。ただ悲しいかな人はまだそのことを知らない、、、、、なので、迷妄の闇に包まれてしまっている、、だから述べ伝えよ、、、と。しかし途中から教会が出てきて、イエスの教えの正当の解釈者として、教会や法王などを神の代理人にした。誰も直接に神とつながることはできず、間に教会や法王が入らないとそれができないという教義となっていく。
しかし聖書のどこにもイエスはそんなことを言ってはいない。イエスが今の教会やこれまでのキリスト教を見たら何というだろうか。免罪符まで出す教会の恐れを知らぬ隆盛に、これは何の宗教だと、尋ねたりするのではないだろうか。人など信じることはありません。神を信じなさい、、、と言いたくなることでしょう。
人間の歴史はとにかくなんでもいいから正当性という幻想さえ手にすれば、あとはどうにでもなる。教会が唯一正しい、、、、共産主義が唯一正しい、、、どこの宗教が唯一正しい、、、、資本主義が唯一正しい、、、、イエスはそんなものは何でもかまわない、すでにもう救われているのだから、何が正しいもないよ、、と。、ただ、闇の中でそのことを知らぬ人が多く、正しいという幻想にまだ人類が振り回され、騙され、虐げられれ、自由を奪われていることをきっと嘆かれることだろう。
クリスマスとはそのことを思い抱く日だと私は思う。私たちはすでに救われている。救われていないと思って、何かにすがったり、お金を出したり、不足からつまらぬことを始めたり、騙されたり、、、ずるい者の餌食になってしまう。救われていることを知らないからに他ならない。あなたがノーと言えば、ノーなのだ。あなたがイエスと言えば、イエスなのだ。なのに、自分が正しくないと思わせられ、救われてないと思わせられ、自分自身で生きられなくさせられている、、、、、イエスを盗んだのは誰か、、、、人の不安に付け込むのは誰か、、、美辞麗句の裏に何があるのか、、、、正しい論争を起こさせてどちらからも利を得ようとしているのは何か、、、出世競争は本当に自分が望んだものだったか、、、、将来設計も本当に自分が望んだものだったか、、、この世の常識は誰にとって有利に働くか、、、、私たちは相当騙されて来てはいないか。
クリスマスとは重荷を降ろす日。もう騙されないと誓う日。この二千年ほど、私たちは法衣を着た悪魔にしてやられた。
いつかきっと、、、、将来は楽になって、、、、夢を抱いて、、、、そんなわけがありますか。いつかではなく、今やること。将来ではなく今楽になって。夢などよりも、日々の生活の充実が、幸福ではないか。
夢で人類をだましておけば、夢などかなうのはひとかけらの人だけだから、これほど、大衆をだまし、大衆を奉仕に就かせる口実に好都合なものはない。いいですか。将来の夢、、、、、という美しい罠の中で、私たちは家庭を失い、愛を失い、ゆとりを失い、日々の生活の充実を失ってきたのです。夢を大衆に与えた人は、自給800円で大衆からすべての時間と日々の生活を奪えた。すごい仕組みですね。
なので決して誤解しないようにきょうははっきりとまとめておきましょう。人の幸福とは、、、、決まっているではありませんか。日々の生活の充足。あたりまえのような幸福な毎日が、あたりまえのように続くこと。これ以外にあるわけがないでしょ。特別なことに幸福があると思わせれば、日常のすべてを奪うことができるのですよ。
今夜はクリスマスです。イエスが心配してくれたように、ほんとうは救われているのに、そうでないように思わせられ、夢という人参を目の前にぶら下げさせられて、夢にむかって永遠に走らせられる。それが人生ですか。そんなわけはありません。
ずるい人のために振り回される人生はもうおしまいにしましょう。
しかし人参といえば、明日は有馬記念。かなり語ってきたことと矛盾しますが、明日は固い決着だと思います。ブエナビスタ、、、三冠馬オルフェーブル そして中山なら前年度の覇者、ヴィクトワールピサの三頭のレースではないかしら。馬券の中にも、夢馬券と現実馬券があるはず。夢馬券を買ってばかりいては競馬は勝てない。明日はその中から現実馬券を吟味していきましょう。この三頭だと思うのだけど、、、、。
写真は、来年のお守り、愛の純銀スカラベ。多くのご注文をいただきりがとうございます。この数日、気を入れて作り続けた。作業工程を下記しますね。
古代エジプトの絵画から本質的なものを感じさせるスカラベを選び、アレンジして書き写し、原版をレーザーで彫り、さらにシリコンの型を取ります。
そこに粘度状の純銀を入れ、乾かし、部分部分をひとつづつ修正しますが、これがとても時間がかかります。しかしこの工程は大事で、ここでクライアントの出生年月日などをイメージしながら修正します。修正が終えたら重量を測ります。燃えた後に10グラム以上の純銀が残るかどうかのチェック。足りないときは裏に純銀を練りこみ、10グラム以上にします。よく乾かしてから窯に入れるのですが、よく乾いていないで窯に入れると、水蒸気爆発を起こします。夏場はよくあるのですが、今回は一回もありませんでした。
焼きあがったスカラベに磨きを掛けます。薄く白くなっていた表面の膜が撮れて、きれいな純銀の光沢が現れてきます。胴と羽の部分をさらに鏡面仕上げという鏡の表面のように光るまで磨きます。ここは力がいる作業です。こうして20日までのご注文分を本日までにすべて仕上げましたが、最期の方になるともう腕に力が入らず、色々な姿勢を工夫しながらも納得がいくまで仕上げました。どのスカラベにもご覧のような輝きが出ています。
本日、20日までのみなさまの分はすべてできましたので、あさっての26日に発送いたします。お届けは年末になりますが、どうぞ楽しみにお待ちください。
なを、20日以降のご注文分に関しては、来年早々の発送になりますが、お正月にゆっくりと工房に入ります。受付は休みなくしておりますので、来年のタリスマン「愛の純銀スカラベ」をよろしくお願いいたします。
マドモアゼル・愛公式ショップにて受付中。