震災以後、、、

震災以後、これまでにお世話になった多くの方々が今年は亡くなった。こんな年ははじめてである。数日前にはニッポン放送の方からメールがあり、よくご一緒させていただいた市川森一さんがお亡くなりになったと、、、放送界や演劇関係の世界ではとても偉い先生だが、非常に気さくで純粋な方だった。おひつじ座だった。今年の夏には暑気払いしようと、自ら働かきかけられて私にもお呼びがかかり、お酒を飲みながら、人生論、女性論で盛り上がった。つい先日のような気がする。その数か月前には児玉さんも亡くなり、人生相談関係が急にさびしくなった。そのほか、親類をはじめに歌関係でとてもお世話になった先生、またつい先日には本当にお世話になった宮司様が亡くなられた。さらに若い時代に本当にお世話になったルネ・ヴァン・ダール渡辺先生も急逝される。ひとつの時代の区切れを感じてしまう。
 人間はある年齢域に達すると、亡くなった知り合いと、生きている知り合いの数がだんだんと拮抗し、やがて逆転していく時を迎える。長生きな人はこの宿命から逃がれられない。子供時代には人が死ぬという実感がない。青年期になってもそれはある程度続く。自分の生命力が強いうちは、自分が生きていくことに一生懸命であり、人の死は仲良しとか近親者でない限り、それを消化することは難しい。高校一年のとき、私は親しい友人を病気で亡くしたが、そのご両親は死んだ友人が使用していた高級万年筆を、みんなにあげようとした。せめて使ってくれることで、息子のことを思い出してほしい、、、と、そう思ったのだと思う。おそらく友人の中で私が一番親しかったと思うが、それほど親しくない友人が高級万年筆をきわめて無邪気に独り占めするように持って行った。ご家族からすればおそらく、私にも、あげたかったのではないだろうか、、と、なんとなくそんな印象を受けた。と言って、無邪気に欲しがる友人から取り上げることもない。そして半年ほど月日がたって、高級万年筆を持って友人がやってきた。「お前がもってろよ。」と。私も「わかった」と、それを受け取る。その時の友人の安心した顔を今でも忘れない。この世に悪い人などいない。ただわかってないことがあるだけだ。それにしても死んだ友人は年を取らない。いつでも高校一年生のままである。
 浦島太郎は戻った場所が数十年もたってしまっていて、誰も知り合いがいない寂しさを抱く。長生きしたおばあさんが、「早くお迎えが来てほしい」とぼやくのは、知り合いのいる世界が懐かしいからだろう。
 人の一生が何かは私にはわからないが、生きるシャバも楽しければ、意外に死後の世界も楽しいものではないか。重たい肉体がない分、楽で愉快なのではないか。一日に昼と夜があるように、生きることと死とには、絶対に深い相関関係がある。人間に与えられたプレゼントは生きることプラス死後の世界と両建ての喜びなのではないだろうか。冬の森は死の様相を見せつつも、美と調和、そして秘めたセクシャリティに満ちている。冬の森が死んでいるはずがない。人の死も同様ではないか。そして生きている者は死者を思い、語らうことができる。
 そう言えば、市川森一先生の人生相談の出だしは、「いっしょに語らいましょう、、」だった。
 ルネ先生は陰気くさい印象の占いを若者の文化に育てた先駆者であった。ルネ先生との思い出は数多い。一度だけ本当に恩義を感じたことがある。なのでルネ先生は私にとっては恩人なのだが、恩返しをまったくせずに亡くなられてしまった。ミスティの休刊と同時期にお亡くなりになり、ひつつの時代の終わりを感じる。ダブルクロイツが先生のマークだが、占星術というよりも神秘学が専門であり、アルケミーの研究をもう40年以上も前から始めている先駆的な人だった。「愛ちゃんも、魔法使いの目になってきたな、、、」と言われたことをよく覚えている。ルネ先生の話しはとにかく面白く、いろいろなことをご存じだった。ルネ先生とルル先生と私は完全な江戸っ子で、ルネ先生は深川、ルル先生と私は芝の生まれだった。江戸情緒がお好きでルネ先生のご実家こそが、本当は「うなぎ宮川」の総本舗である。その後ウナギの宮川は先代で辞めており、今、全国にある宮川は直接ルネ先生の本家とは関係ないはずだ。弟の雪三郎さんはデザイナイーとして有名だが、先代の先代の先代くらいだと思うが、江戸文学者の宮川まんぎょがいる。生粋の江戸っ子であり深川っこの背景をお持ちだったので、話しが洒脱で面白いのだ。文学者の子孫だから文章も当然素晴らしい。私も昨日は家の法要で墓のある深川に行ったが、深川美人の顔つきを判断するというどうでもいい特技がある。
「ルネ先生、深川美人というのは、まず色白。そしてほんのり赤みがかかった顔。大きな目、そしてうるんだ目。まるでうさぎのような感じの美人なんです。」と私が口舌したことがあるが、「ほんと、その通りだよ」と驚かれていた。ルネ先生の初恋の人もそんな女性だったのだろうか、、お聞きしておけばよかった。
 人は人生の折り返し地点を過ぎたら、この世のこと半分、あの世のこと半分の関心を向けるのが理想である。折り返し地点とは出生時の天王星が半周するあたりで、年齢にして40歳頃を指す。そこらへんを境にしてこの世的な判断ばかりで生きていくと、いづれ行き詰る。人間は次の世の準備をそろそろ開始するのが、折り返し後である。それは身近な死や、知人や友人や好きな人の死を通して見えてくる世界でもある。折り返しがうまくいけば、人生の目的が貯金だけということもなく、仕事しかない、という人生にもならず、本来の自分の人生を送るために必要なことが見えてくる。金と仕事にすべてを奪われつつある現代人には、死後の世界はない。かわりに毎日着ている通勤のスーツが死装束に見えることはないか。死後の世界への憧れと、死んで行った者への思いは、本当は我々を救ってくれるひとつのキーになっている。生きているものだけの世界を追及する貧しさによって、原発も壊れ、現代人はとんでもない砂漠をつくってしまったのかもしれない。