何が変わるのか
これまでに何度となく時代が変わる、、と私は言ってきた。確かに時代は変わりつつあるが、その変化の本質をもっとわかりやすくきょうはお話ししたいと思う。
そのためには、これまでがどういう時代だったかということを、はっきりと正直に見据えることが大事。
これまでの時代とは、大きな悪から出発しているものたちが、勝手に、そしてかなり自由に、一般の通常の良識のある人々を食い物にして生きのびてきたということである。人生が通常80年だとすると、悪の広げた網に大体一度はひっかかる計算になると思えばわかりやすい。若い時代に悪の網にかかるケースは、女性でいえば、強姦であり、甘い罠である。善意や誠意を食い物にしていきていくどうしょうもない奴らにかすめ取られる。彼女らは恥とショックと憤りのため、その後の人生の意味を奪われ、生きる力を失い、悪はそれを見てほくそえみ、自分らのエネルギー源にする。子ども時代からさらいひどい扱いを受ける者もいると思うし、子供や少女の夢を利用して罠を仕掛けているものも多い。青年期になれば政府公認のギャンブル、酒、刺激、を、どうしても日常のつまらなさの穴埋めで使う者が多く、あまり余るエネルギーがあれば、つい刺激を追いかけたくもなる。そこに待ち受けている色々な悪の罠、、、それらにはまって最初の10万円の借金が瞬く間に数百万となり、自分の力ではどうにもならない、、、そこにさらに追い打ちをかける悪人が出てくる。金の行き詰まりを彼らは利用して、人々を苦しめることにまい進する。人のよい単純な若者がこうしたことにひっかかるが、慎重でまじめな若者は会社で死にもの狂いで働かせられ、昔とことなり労働基準法など問題外の劣悪な環境をあたりまえのように与えられて仕事をさせられる。それは命と引き換えの数十万円となり、そんなことはいつまでも続けられず、病気や精神不調、精神障害、無気力、過食、摂食障害、対人不安、脅迫神経症その他で若者を追い詰める。真剣に現実に対応しようにも、周囲の者は弱みを見せたら終わりとばかり、幸福そうな仮面の反応。テレビをみれば、ばかばかしすぎる番組の乱立。悩む者が脱落者であると言わんばかりの喧騒。人とはなれ、孤独に陥り、人生の意味も未来もない状況へ陥る。
なんとか無事に30代になれたとして、次は結婚。結婚も自由な恋愛の結果ではなく、競争原理の悪の時代。見せかけの女性らしさ、、見せかけの男性らしさ、、、ウソとウソのぶつかりあいは、結ばれたものも軽く、人生の問題の前では無力。簡単に離婚、恨みあい、家庭崩壊、、かろうじてうまく運ぶ夫婦ももちろん多く、まあ、そっちのほうがメジャーだと思うので、決して結婚を悲観して考えるべきではないが、人生の罠にもなりうる、という視点は大切。この人となら苦労もいとわない、、という関係となるまでは、急ぐことはないかも。次は子供が生まれ、経済的にも大変。夫は過労、妻も過労。お互いの離反を子供は心理的に受け、新たな病理の発生。子供の心を犠牲にして生き抜く両親はなんとか50代までは生きのびられるかもしれない。しかしその場合の老後は不幸だろう。病理を受けた子供には生き抜く力はなく、広く張り巡らされた悪の網に、いずれ何らかの形でひっかかる。家庭を犠牲に生きのびた夫や妻は、幸福そうに見えても、結局は一人である。その魂の穴埋めは、財テクか。財テクとは名ばかりの金融商品の山。その中から、これはと思うものを選ぶのは自由だが、しょせん素人。金融の悪の勢力の餌食になることは、ほとんど確実。15年以上金融商品にかかわっていれば、ほぼほとんどの人は全財産を失うのではないか。ある程度財をそれで作る人も出てくる。そうなれば、悪は金の匂いを嗅ぎつけて狙いを絞り、近づいても来よう。こうして脅され、騙され、すべてを失うケースがあとを絶たない。人生、75歳を過ぎたころから、こうした人生の実態、本当のことがやっと見えてくる。なんだ、すべてインチキだったのだ、、、、悪が一般人を狙い撃ちし、それが許され、堂々と行われているのが、この世の本当の姿だったのだ、、、、ということにおぼろげに気づく。
そのため、老人には余裕がなく、疑い深く、誰も信じなくなる。すでにそうした状況が訪れている。
私たちを追い詰め、かすめ取るために作られたキーワードは数多いのだ。
「愛 幸福 平和 希望 夢 儲け 楽 将来 安心 安全 保障 精神世界 救い 、、、」 まあ、でたらめなものである。私の名前も愛ですが、こちらはどちらかというと脅迫される方であって、決して脅迫する方の者ではありません。このように、人生、若い時代から、老齢に至るまで、さまざまな悪の網が張り巡らされているところを、私たちは生きていく。そしていつかは何らかの形でそうしたものに引っ掛けられることがある。周囲を見てみればそのことがよくわかる。何等かのだましにあい、金を奪われ、地位を負われ、乗っ取られ、、、こうした歴史が人類の歴史だったと言ってもよい。しかい多くの者がこうした流れと構造に気づきだした。表面的にきれいなことを言い、イメージだけで何の力も実力もない、ただずるい者たちの存在が急速に浮かびあがりだしている。政界も同様であろう。巨悪のモトが今、危なくなりつつある。それに従い、広く世の中に張り巡らされている悪の網に、獲物が入らなくなりつつある。
もう騙されてはいけない。しかし、若い時代に、人を疑わなかったばかりに、強姦され、辱めを受け、人生や未来を奪われた婦女子は本当に気の毒であり、こうした犠牲の憤りの気持ちを、こうした末法的な時代では集合させ、使えるようになる。正当な怒りの集積が、縁あるところで今起きつつある。なんらかの形で悪にだまされ、憤りを抱く者たちには、きっともうすぐ正しい意味での反撃の機会がやってくる。新しい時代を築けばいいのだ。もう物も売れず、サービスも売れず、悪のだましも通用しなくなる。これまでの犠牲者の魂に残された愛のみが新たな時代を作る鍵となる。どういうときを過ごすか、、、どういう者とともに過ごすか、、ただこの一点の追及で世界は変わる。