太陽はもうすぐしし座へ

今週の土曜日に行われる「真夏の妖精朝食会」は締め切らせていただきました。ありがとうございます。妖精昼食会が行われる23日は、太陽がしし座にに入座する日。午後1時半ごろだったと思いますが、ちょうど昼食会の途中で太陽はしし座に移ります。しし座へ太陽が移るとは、まさに真夏の始まり。久々に真夏の太陽を祝いたいと思います。最近、明るいことのない日本と世界ですが、どんな問題でも私たちを滅ぼすものは外部からはやってきません。問題がない人生を送ることは誰にもできないと思いますが、訪れた問題をどう受け止めるかだけは自由です。訪れた問題をどう受け止めるか、、、それだけが個人によって選ぶことができる。何か、悲劇や不幸と思われる出来事が起きたとき、それをどう受け止めるかが、私たちに問われています。
 大きな悲劇や出来事が起きた、、、、誰でもまずは打ちのめされ、悲しみ、無力を感じ、立ち直れない思いを抱いてしまう、、、、、これらは第一義感情としては致し方ない。これを避けることはできません。自然な感情であり、自然な受け止め方であるからです。問題は次の時点でしょう。当初の衝撃やショックは時間がたてば、段々と違ったものになってきます。このときに、自分に訪れた問題や悲劇をどう受け止めるか、、、の時期と段階が訪れます。それがいつになるかは、人によっても、出来事の大きさによっても異なりますが、段階としては、必ずやってくる。ここで人により判断が違ってくる。どうせ私はもう立ち直れない、、、何もない、、、どうにもならない、、、、と受け止めることもできる。
悲しい中で、これを自分の運命と受け止め、ならばその運命を甘んじて受け止めてやろう、、、、と受け止める人も中には出てくる。さらに、ここにあるのは一見不幸に見えて、もしかしたらそれだけではないのかもしれない、、、もしかしたら、何か自分にこのことは語りかけてくれているのかもしれない、、、と受けとめる人も出てくる。何がいいとはいえないが、人によって悲劇の受け止め方が違っている、ということだけは確実である。訪れた出来事を操作することは人間にはできないが、その出来事をどう受け止めるかの自由はある。そしてそれは本当に人によって違ってくる。その違いこそが、人生を決め、その後の生き方を決めていく。正しく恐れるべきは、何がおとずれたかより、訪れたものをどう受け止めたか、、、ということになる。人の一生はわずか80年である。生まれた以上、必ず死ぬわけでそんなに不公平なものとはいえない。なのに一方では自分の人生に満足する人もいれば、常に不満を抱いている人もいる。なぜこれほどまでに同じものを食い、同じ空気を吸い、同じ地に住みながら、結論は正反対になってしまうのか。以前にも言ったかもしれないが、まさに「旗動くか、風動くか」の考案と同じである。旗が動いたように受け止める人もいる。風が動いたように受け止める人もいる。どちらにも真実がある。では本当はどちらが正しいのか。答えは、「旗動かず、風動かず」であって、旗が動いたのでも風が動いたのでもなく、どちらが動いたのかは、その人の心によって異なる。すなわち、受け止め方によって異なることになる。人が一生に食べられる食物の量は、そんなに変わるものではない。吸う空気の量もそんなには違わない。なのに人生が不幸だったと、満足だったと、正反対になるのは、受け止め方であって、出来事自体のものではない。ならば、今自分の目の前に訪れた出来事を、どう受け止めていくか、、、それが人生を決めていくのではないか。防げる悲劇は防ぐのがいいし、いたずらに自分をいじめることはおかしい。しかし、どんなに注意しても悲劇を防げない時が人生にはある。それをどう受け止めるかしかない。それによって私たちの人生が決まってくる。悲劇が人生を決めるのではなく、その受け止めによって変わってくる。
「あのとき、あの出来事さえなければ、、、」と嘆く人がいる。もう一方で、まったく同じ境遇を味わいながら、「あのとき、あの悲劇があったおかげで、、、」と感謝の対象になってしまう人がいる。人生とは受け止め方以外にはない。あなたの人生にもこれからも、きっと大変なことや、もうだめだと思うようなことは、どんなに注意深く生きたとしても、いつかは訪れる。そんなときに文句をいい、自分の不幸を嘆くこともできる。そして敗北の人生を、あの事件のせいにして一生を終えることもできる。しかし、それは十人並みなのだ。もったいないのだ。どんなに悲しくても、どんなに不幸でも、それでもあなたは生きていくのだから、そんなにまでなっても生きていく、その人生は凄いことではないか。不幸を幸福に変えることはできなくても、不幸を受け止めて生きていくことの覚悟はできるかもしれない。そのとき、運命はどう出てくるか。苦しい運命を受け取った者を、なぜそれ以上追いかける必要があるだろうか。不幸を受け止め、そのことが成就したものに、運命は寛大になるかもしれない。もしそうでなかったら、何度でも不幸に付き合ってあげれば、受け止めてあげれば、運命はもう追いかけることをあきらめる。運命が追いかけることをあきらめるとは、あなたが勝ったことになる。そうなれば吉凶の輪をあなたは抜けた、人生の達人に成長する。この世にゲームの達人は多いが、人生の達人は少ない。私は偉そうに言える立場ではないし、達人などではもちろんないが、弱い者のいちばん得な生き方が、来たものを仕方なくでも受け止め、弱いながらに生きていくということはおぼろげにはわかっているつもりだ。なぜなら、そうしなければ、青春期の神経症のこだわりから抜けられなかったので、そのことを覚えたに過ぎない。これからの時代はどうだろう。私はスローガンにやられている現代人が多いと思う。立派なスローガンほど意味のないものはない。あれは人を死に追いやるテクニックなのだ。スローガンにだまされていはいけないし、そういうもので、生きようとしてはならない。「戦争をなくすぞ」そんなことは普遍の願いであって、あえてスローガンにしたとき、戦争は肯定せざるを得ない構造となって迫ってくる。スローガンの前では、頭脳は止まり、細胞の働きはにぶくなり、人としての心の柔らかさはきえていく。現代人はスローガンにやられてしまった。答えありきの姿勢は、どう受け止めるかの感受性を鈍らせる。この世に何ひとつ答えなどない、、、という気持ちで、「自分は間違っているかも病」から脱し、訪れる物事を自由に、決断をもって受け止めていく。そうすれば人は段々と元気になっていくのではないか。
 
 アイローズシリーズに以前ありました、シェル型の星のローズソープ「アブソリュートタイプ」1050円と、「ローズオットータイプ」1400円が、昨日から発売を再開しました。大勢の方々の復刻への願いが寄せられ、再開することになりました。ソープなき美容はなく、星のローズソープの再びのご愛用、どうかよろしくおねがいいたします。