こういう時代の生き方

どういう時代になったとしても、人の生き方がそれほど大きく変わるわけではないが、昨今は放射能のこともあって、生活の仕方も人によっては変化が必要となっている。しかし、政治を見ても、企業の態度を見ても、マスコミを見ても、相変わらずである。大きく変化しなければいけないにもかかわらず、それを押しとどめようとする力ばかりに目につく。民衆も変化はきついので、その流れに従う。まあ、仕方ないと言えば仕方ないけど、それで済む問題ではないところがある。聞かないでいれば、見ないでいれば、通り過ぎていく、、、、という問題ではないのが昨今の問題の特徴だ。見ないでいればいるほど、聞かないでいればいるほど、現実と直面したときは大きな問題となっている。早め早めで変化を取り入れていくほうがここは有利だし、安全。平穏時においては、あまり急激な動きは大体は裏目と出るが、ここは動かなければいけない、という場面ではなかろうか。本日はニッポン放送の人生相談の収録があったが、日本人の悩みの多くは、動かなければいけないときに動かないでいたために巻き起こした問題が多い。これまでの平穏時においては、会社などでは何もせず、流れにまかせ、さも仕事をやっているふりはしていて、誰かが何かをやって失敗したり問題を起こしたときに、それとなく批判して自分が優位に立っていく、、、、というやり方が実は得してきた。こういうやり方が上手なのは、ずるい人間だから、ずるい人間が上位に立つ社会になってしまった。しかし彼らはには本当の実力などないから、今、大混乱の中にあって、政治も企業も国も無力である。面白いようにそうなっている。彼らができることは、さもたいしたことが起きてない、という嘘の安心感を醸造して、それをマスコミを使って流すだけ。とにかくこの場だけをやり過ごせば、どうにかなる。自分がこの地位にいる間だけはとにかく守り抜く、、、そんなところだろう。安心安心と言いつつ、本日もお肉に基準値の数倍のセシウムが出たなど、安心とは異なる現実がすぐに追いついてくる。これからますますそのようになり、誰も何も信じない最終崩壊が起きていく。崩壊現象は信じられない、、、という感情を基盤にしている。嘘の情報を与え続けられていて、それが時間の経緯や物事の推移と共に嘘であったことがばれてくると、人は未来への信頼を失う。それは今、自分がここでやっていることの無意味化を生じさせ、今ここにある物事を崩壊させる。国家でも家庭でも教室でもこれは同様だ。嘘とずるさはどんな頑丈なものをも崩壊させる。大きいから壊れないわけではなく、信用を失ったものは崩壊するのは物事の原則なのだ。人生の崩壊も同様である。嘘がある、きれいごとのうそばかりである、、、そうなるとその人の人生の崩壊が始まる。厳しい現実がものの見事に簡単にその人を崩壊させてゆく。建前と嘘だけで世渡りしていくのは有利なように見えて、実は損な生き方である。
 ただ、この程度のことは誰もが本当はわかっている。わかっているけど、つい、そういうものに偏ってしまう。誰もそんなに強いわけではなく、弱いのだから、つい虚勢も張るし、うそもつくし、きれいごとで隠したくもなる。確かにそれはそうであろう。しかしそうやって生きていっても、やがては行き詰る。これまでの時代はその行き詰まりのスピードが遅かったので、なんとなく、ずるい生き方のほうが得に見えただが、これからは違う。崩壊が早まる。その証拠に多くの人がなんらかのことで行き詰っているし、破綻し出しているし、崩壊現象が起きはじめている。そうではないだろうか。私は一流企業に勤めているから大丈夫、、、と、そう思っている人もいるかもしれないが、一年前の東電以上に安全に思えた会社があっただろうか。わずか半年、一年である。そんな常識は簡単に吹っ飛んでしまう。銀行なら安全か、、、大企業なら安全か、、、国家公務員なら安全か、、、金を持っているから、、、いい大学にいるから、、、と言えるほど、単純な時代ではないのではないか。じゃ中小企業のほうが安全か、、、とは確かに言えないのも事実ではあろうが。
 ならば、こうした時代を生きている私たちは何をどうすればいいのか、、、と、つい愚痴も言いたくなる。何が危険かなど、そんな話しなど聞きたくもない。
 確かにそれはわかる。そこでこんな時代はどう生きたらいいのか。それをこれからお話しさせていただきたいと思う。
 実はこういう時代だろうが、どういう時代だろうが、行き詰らない生き方が私はあると思っている。もちろん部分的な行き詰まりや、困難は何をしても、どういう生き方をしても出てくるだろうとは思うが、そんなときでも根底までは失わないで、マイナスをもいずれプラスにしていく、そういう生き方が本当はあるのではないだろうか。そういう生き方があると思えば、私たちは、どんな時代が来ようとも、どんなに逆境に陥ろうとも、そんなに怖がる必要はなくなる。いずれ、こうしたマイナスもプラスに変更させる未来が来ると思えば、逆境の今をも信頼することができるだろう。実はそういうものがあるのだ。しかも簡単であり、誰もができることなのだ。努力も不要、信念も不要、根性も不要。ちょっとした心構え、というか、意識次第の簡単なこと。そこに実は大きな真実が埋まっている。それを心の中において日ごろから注意して物事をみていれば、対応していれば、きっと行き詰まりから開放される。問題は必ず解決する。本当にそんなことがあるのか、というお疑いはごもっともである。愛先生、何かいかがわしい、、とお思いになる方もいて当然。しかし、物事にルールがあるように、人間に与えられたものにも、ルールがある。それを知ることで生き方が本当に楽になる。うそみたいに。
 もったいをつけるのではなくて、用事があり、ここで中断します。続きは明日にでも書かせていただきますね。