君が代とは何か
君が代が国歌であることは誰もが知っているが、この歌がどういう歌でどのように歌われていたかを知る人は少ない。大阪の知事が露骨なことをしたので、また君が代を嫌う人が多くなると思う。国家を歌う、、、というのは、学校行事においては常識だろうから、本来は歌わねばならないのかもしれないが、強制的にというのはどうだろう。ことに君が代は強制して歌うような歌とは違う。君が代はどこから来たのかというと、これは和歌披講であり、披講は君が代で必ず練習するという伝統がある。とにかく君が代を歌う、、君が代で練習する、、、というのが、披講練習の基本である。このことを、宮中披講会会長である坊城会長から、とにかく君が代で練習しなさいと、教えていただいた。明治になって君が代が国歌となったが、あの旋律も披講の甲調からとったものである。とにかく非常に似ている。君が代が和歌であることを知る人は少ないし、まして、君が代が国家である前に、広く民衆一般的に歌われていた、祝い唄のようなものであったことを知る人も少ない。たとえば、誰かがどこかの家でお世話になり、食事や宿泊などのもてなしを受けたような場合、もてなしを受けたほうは、そのお礼に、その家のご頭首に向けて、和歌を歌う。披講するわけだ。多くは君が代だった。昔は「君が代は、、、」と歌う以外に、「わが君は、千代に八千代に、」と歌う場合も多かった。私がお世話になったお礼に、あなたの家が代々、つつがなく続いていくように、、、との、祝い唄なのだ。当然、そこには良い意味での呪力がこめられていよう。家が代々続いていく、、、ということは、大きな意味では人類の安寧への願いと言ってもいい。これなくして国家はもちろん、人類の末長い存続も、終わりなき世への願いもはかないものとなる。情をかけてくれた者へ、その者とその家の存続を願う歌が君が代であり、それは人間の自然な願いであって、国家が管理するようなものとは本来は異なる。披講の練習で君が代を何年も歌ってきている私には、そのことが伝わってくるのだが、先の大戦などに散々利用された君が代なので、偏見が起きても仕方ない面がある。ここいらで、君が代の本来の意味やその歴史を学ぶことが大切だと思うのだが、大阪知事などはそういう基本的なことをやらないで、押しつける姿勢だから反発が大きくなったのだろう。君が代ほど、そうした強権的なものと似合わないものはないと私などは思うのだが、残念なことでもある。君が代には幸を願う祈りが込められている。終わりなき世への願いが込められている。左の人が歌っても、右の人が歌っても、上の人がうたっても、下の人が歌っても、同じように幸への願いが込められていく。歌うことでその祈りは段々と成就へ導かれていく。それが言葉の力であり、和歌の力であり、歌うことの力となる。本当に君が代は日本の国歌にふさわしい内容を持っている。その君が代を正しく理解し、正しく歌うことが大切だと思う。
先日、私が心から尊敬する方がお亡くなりになられた。ご指導と御恩をいただいた方である。今夜は亡きお方をお偲びし、そのお家の代々の安寧と発展を、ひとり君が代を披講することで、心ひそかに祈りたいと思う。