お別れ
児玉清さんんが亡くなった。最後にお会いしたのは、確か2月の下旬だったと思う。報道によるとその頃病名を告げられたと出ているので、その直前にお会いしたことになる。体調が悪いとぼやかれていたが、きわめて普通にされていた。ニッポン放送のスタジオで録音が終えたのち、普通にお話しされていた。2月7日に新宿高島屋の今田美奈子先生のサロンで私のお話し会があったが、その際に偶然、児玉清さんがサロンにいらしており、お互いに驚いた。「児玉さん、、、なぜ、ここに?」「愛先生、なんでここに?」と顔を見合わせた。児玉さんは雑誌の取材を今田先生のサロンで行ったいたらしい。私はこれからトークがあり、そのあと披講もするので、聞いていってください、と言ったら、笑っておいでだったが、終わってみるともう児玉さんはいなかった。お忙しいので先にお帰りになったのだろう、、と思っていたら、その後、スタジオでお会いしたときに、「凄かったね、、、、驚いたよ、本当によかったよ。」と、私の披講をドアの外でずっとお聞きになり、それから帰られたという。披講を聞いてもらい、うれしかった。時間ぎりぎりまで居て、ドアの外でじっと耳を立てていてくれたのだろう。児玉清さんとのコンビでニッポン放送の人生相談をやったことは何回くらいあっただろうか。おそらく30回以上はあると思う。その中には、児玉清さんの人生が私の胸に迫ってくることが何度もあった。不思議な信頼感があり、何を話しても楽しかった。児玉さんは競馬もお好きだった。若くしてお亡くなりになったお嬢様のお話しをことあるごとにさびしそうにお話しされていたが、お嬢様の待つ世界に旅立っていかれた。先生は少年のようなデリケートなところがある純粋な方だったので、今回の震災と原発問題は心や魂への大きな負担になったと思う。これまでの深い感謝と共にご冥福をお祈りしたい。