鎮魂の歌会

先週の土曜日は国学院大学において鎮魂の歌会に参列。八首の歌を披講させていただいた。

5月14日(土)鎮魂の歌会は、午前10時國
學院集合、装束着装にて相務める。

読師   
講師   
発声   
脇発声 
講頌   

懐紙八葉御字不違

  卯月の二十三日の歌
          学生代表の歌
①ちる花にむらさめの
      つゆ落ちぬるゝ
   ながき日かけの
        もとの春なき  

   万葉集より
        沙弥満誓
②世の中を何に
      譬へむ朝開き
   漕ぎいにし船の
       跡なきコとし

  古今和歌集より
在原行平朝臣
③立ちわかれいなはの
     山の峰におふる
   まつとし聞かは
       今かへりこむ

 古今和歌集より
      壬生忠岑
④ふち衣はつるゝ
     糸はわひ人の
  涙の玉の
      緒とそなりける

  新古今和歌集より
       後鳥羽院御製
⑤思ひ出つる折り
     たく柴の夕煙
   むせふもうれし
      忘れ形見に

  新古今和歌集より
       藤原清輔朝臣
⑥世の中は見しも
      聞きしもはかなくて
   むなしき空の
          煙なりけり

  新古今和歌集より
           小野小町
⑦あるはなくなきは
      数そふ世の中に
   あはれいつれの
       日まてなけかむ

  平成廿三年の紀元節の
  翌月の地震の後に詠める
              主宰者の歌
⑧ 天地に早よ直れかしと
  のみまうす 陸奥に
  あつまち なゐ跡
  乃久仁

所役五名によるこじんまりした歌会だったが、東北で亡くなられた方々の魂へ、思いは届けられただろうか。

この歌会ののち、今朝だが不思議な夢を見た。内容は語れないが、日本の国体に関した危機が夢に現れたものだった。ほんとうに今、日本は危機的な状況にあるのかもしれないと感じた。しかしそれは、これまでの矛盾を根本から解決する道にもつながるはずである。

1-3のすべての原発がすでにメルトダウンしているのかもしれないが、最初からこうした指摘をする人は多かった。しかし政府とマスコミがどうしてもそれを公表しない。みせかけのウソで安心を訴えるだけ、、、その間に助かる人も助からなくなるかもしれない大事を招いた。この責任はいずれ追求されるだろうが、日本はこれでこれから半永久的にかどうかはわからないが、放射能と共に生きる道が決定したようなものだ。わずかづつとはいえ、毎日、毎秒漏れ出す放射能と汚染水は日本を確実に汚染していく。放射能の半減期が長いものが、段々と蓄積されていくからだ。私は毎日放射線量を測定しているが、全体傾向としては横ばい。決して多くはなっていないが、ちょっと怖い傾向が出てきている。それは、場所によっては、えっと驚くような数値が出るケースが多くなっていることだ。溜まりやすい場所に段々溜まっていくわけだ。日ごろ生活する中で、どういうところにどの程度の汚染が進んでいるかは、本当は知っておいたほうがいい。そのために、自分の活動範囲の放射能マップを本当なら作ったほうがいいと思う。そうすれば比較的高い場所は避けながら生活ができる。ただそうやっていっても、日本は東北や関東に限らず、段々と汚染が進んでいくだろう。何年、何十年とつづくこうした事態に、おそらく素晴らしいアイデアが出てきて、対応策がとられることだろうが、何であれ、今の時点では誰もが対応策をもつことが大切になるだろう。

 先日、ある方から次のような内容のメールをいただいた。
 その方は、北関東地域にお住まいで、放射線量や食糧の汚染がある程度進んでいるところにいる。「色々なブログを見ると、親切なのはわかるが、すぐに逃げろとか、絶対に避難しろ、、と言われても、どうにもすることができない人が多いのだ。なのに、そんな風にしか言おうとしないのは、どうしても納得できない。」という怒りにも似たお気持ちであった。確かにそうだと思う。逃げろという人が関西の安全なところにいて、生活があってどうしても逃げられない人に向かって、早く逃げろ、、、絶対に逃げろ、、と言うのが納得できない、というのである。私もおっしゃる通りだと思うが、危険は危険で確かに事実を語る必要はあるが、思いやりと言うか、逃げ道を作った形で語ることが本当に大切な気がする。と言ってウソをつくのは最低であり、それは政府と東電がやってきたことだ。まず、正しく危険度を認識することが大事だと思う。そして現状を考えると、次のようになるのではないだろうか。

 まず、半径30キロ、及び、飯館市などの得に放射線量が多かった場所からの移動。これはすでに行われている。そのほかの、30キロ以上離れた場所では、きちんと数値的に放射線量を常に把握する体制をつくることが大切だろう。国がやってくれない場合でも、ガイガーカウンターを購入してなんとかこうした体制をつくることはできると思う。そうすれば、かなりやりくりがきく。不安を忘れようとして現実を否定する必要はなくなると思うし、反対に、不安をあおって大げさに考える必要も基本的になくなる。これは自分がガイガーーカウンタ^ーを持って実際に毎度測って生活していく中で、実感したことである。まず、数値が高い場所を避けて生活するようにできる。周辺の数値がかなり高くても、家に入るとどのくらい違ってくるのかなど、段々とわかってくるだろう。まず、被災地にはガイガーカウンターを優先的に配ることが本当は大切なのだ。これだけでも不安に駆られる行動を抑制できるようになるはず。そして移住するかどうかは、自分で判断できるようになると思う。それ以外の、かなり離れた場所の人の不安も今、非常に高まっている。具体的には、東京都民だが、これも不安に思う理由はよくわかる。実際に本当に数値が高い場所があるのだから、まずは具体的に常に数値が測れる体制がとにかく大切だと思う。あとの判断は個にまかせても大丈夫。暴動など起きない。逃げる人は逃げるし、残る人は残る。その判断は本人に任せるのがいい。とはいえ、色々な考えがあるとは思うが、私は、今のレベルは、まだ対応次第でどうにでもできる範囲だと思っている。難しいのは、この考え方自体が人によって異なるからだが、客観的にみて、今の数値はたとえば東京などでは大したものではない。ただし、一部では放射能の溜まり場所ができつつあることも事実なので、これを知っておく必要がある。たとえば、そこにあるお店や商店が、そうなると誰も行かなくなる、、、というような考えも出てくるが、だからと言って教えなくていい、という問題ではないだろう。とにかく事実は伝えることだ。その上で、個が判断すればいい。そういう生き方が本来、何にでも共通するものなのだが、全体主義の日本ではそうでなかっただけ。これからは違ってくる。放射能に対する考え、とらえ方は、私は極めて個人的なものにならざるを得ない気がする。ただし、事実は事実として全員がいつでも共有できるようにしておかなくてはいけない、ということである。いつでも、ここの数値はどのくらいか、、、と判断できるシステムの構築だ。駅にいけば、必ず、数値がタイムリーに出されている、、、この程度はやらなくてはいけないだろう。騒音数値を昔はよく表示する道があったが、そんな感じで、誰の目にもわかる現在の放射能数値を電光掲示板で常設する箇所を、各地に作るべきだと思う。それをどう受け止めるかは個人でいいのだ。子供がいる人と老人では当然対応が違って当たり前だし、そこを一斉に同時に考えようとするから、何も動かなくなる。放射能の数値の情報は場所場所で公表。これが大事なことだ。これから段々と放射能が溜まってくる場所とそうでない場所が分かれてくるのだから、それを知ってもらうしかないだろう。これで外部から来る放射線への対応は個々でできる。次は内部被ばくに関してだ。これも基本は個々の対応にならざるを得ないと思うが、やはり正確な数値を示す責任が国にはあると思う。国が安全とか危険を決める必要が物事をおかしくしているのだから、ここも自由になっていいくらいだ。ただ正しい数値は常に発表し、ウソがあったら極めて高い罰則が与えられる体制作りが必要だと思う。高放射能に汚染された食糧が市場に出回る危険に対しては、政府基準を厳密に持ち、一定以上の放射能汚染された食糧はすべて国が買い取ることにすればいい。そうしたら何の問題も起こらない。作る方も安心して作れる。売る方も安心、買う方も安心だ。必然的に危険な食糧は市場に出なくなる。買ってくれるかわからない汚染食糧を国が買ってくれるのだから、率先して生産者や業者は測定するに決まっている。逆に、何、全然汚染されてないじゃない、、、と言う詐欺が多くなるくらいで、笑える安心した話しが多くなる程度だろう。
 とにかく正しい数値が測れる体制を強固に作らない限り、正しい対策は何ひとつすすまない。これをやらないから、風評だとか、絶対安心ですとか、絶対に危ないとか、国民は何を信じていいのかわからない不安を感じだすのだ。ここをきちんとやる。そのためには、測定機を大量に作り、民に機関に渡すことが何よりも重要になってくる。国民には判断させない、、、というお上意識をまず最初に変える必要があるわけだが、これまであまりにインチキな情報を出してきたので、国民サイドで勝手に調べます、、という姿勢をもう制御することはできなくなると思う。それでいいのだ。
 こうした体制ができさえすれば、これから放射能と長い付き合いをしていかねばならない日本は冷静に対応していくと思う。
 次に新たな放射能除去の方法も色々あるはずで、それに取り組む。情報を開示し、いいものは広く広げる。そうやっていけば、国民には政府や国への強い信頼感が育っていく。ウソをついたらおしまいだが。なので、やはりそうしたウソをつかない上にするしかない。自民党は原発推進は見え見えなのでこれはできないだろう。そういう人を選ぶしかない。
 さて、次の視点だが、放射能については、なんだかあまり誰もわかっていない、、、ということがこの数カ月の流れで理解できたと思う。私もまったくわからないが、素人考えだが、まとめられる面はある。
 まず、放射能汚染の怖さは、けっきょく二つある。ひとつは、放射線が遺伝子情報を変えてしまう、、、ということ。もうひとつは、細胞に活性酸素攻撃をする、ということ。それ以外は毒でも何でもない、というわけだ。細胞レベル、遺伝子レベルでの攻撃、、が問題となるわけです。まず、活性酸素は生物の敵である面が強いが、同時に細胞の活性化に必要な面もあるらしい。バランスが偏った際に問題が生じるので、なんとか活性酸素を増やさない生活態度が重要になってくると思う。その際に、ヒントになることは、人間はどういう時に活性酸素を生じるのか、、、ということだ。激しい動きなど、酸素を取り込み量が多いケースがそれに当たる。確かに長生きするカメなんかは、動作が遅いかも。と言ってスポーツが悪いわけがないと思うが、要するに程度問題ということに尽きるのではないか。あまり激しいスポーツは活性酸素という意味では問題があるかもしれないが、通常、私たちが行う程度のスポーツならかえっていいに決まっている。あまり激しすぎる無理はよくない、、ということなのだろう。睡眠不足も同様。これは活性酸素うを増やす。あと忘れていけないのは、食べ物に対する態度である。がつがつ食べる、、、早食い、、、あの時の焦りようは、間違いなく大量の活性酸素を生じている気がしてならない。犬の食べ方など見ていると、大量の活性酸素を生じているのでは、、、と思うが、だから犬は早く死ぬのかもしれない、、、など、まったくの素人判断です。あてにはなりませんが、焦って食べると体によくない、、、というのは、体験的に本当だと思う。大量の活性酸素を生じている気がする。太陽への当たりすぎも活性酸素を生む。適度は何事もよいが、活性酸素を生じるようなやりすぎは、何に関してもダメ、、、ということになる。これを注意していけばいいわけだ。甘いものの取りすぎはいけない、、、これも活性酸素を生じるらしい。放射能によって活性酸素が多くなるのだから、酸素を増やさない省エネ生活は重要になっていくわけだ。
 さて、次が実は言いたいことだったが、あまりに前置きが長くなった。遺伝子に対する放射線の影響である。これって、考えると実は凄いことだと思う。要するに、放射線のみが、遺伝子を変更できる唯一の物理作用ということではないか。だから、放射線を浴びた葉っぱが巨大化したり、おかしなことを招くというわけだ。ただ、誤解されるといやだが、逆に言うと、放射線が遺伝子を書き変え、人類を新たなところに運びこむ可能性もあることになる。突然、人間がダメになる場合もあるが、突然、人類が進化する可能性もあるということにはならないか。放射線のみが遺伝子まで届き、その情報を変更させることができるのだから。おそらくどこかに、危険な情報書き換えではない、人類進化に関係する遺伝子のみを書き変えさせる方法があるのではないか。これはロマンではあるものの、つじつまがあうロマンである。この面からの研究を進めるべきである。原理的には間違いではないのだから。きっとあるはずだ。放射線による遺伝子書き変えを進化する方向にもっていく方法が。意外に簡単なことだったりして、、、しかしそこまで人類がついに来てしまった、、、、という、凄い出来事が今起きているわけである。これを大変だ、苦悩だと言うのは当然だが、意外にそこから始まって、終わりは誰もが予想もしなかった歓喜の方向に行くことも考えられる。なので、とりあえずは正しい情報を知り、個々が対応し、大きな災難ではあるものの、その中に、思わぬ、想像だにしなかったチャンスが眠っているかもしれないと思って、これからを生きていくのがいいのではないだろうか。