さよなら、イルミネーション

JRの駅に行ってもデパートに行っても、電気が少なくて暗い。震災直後はなんだかいやな感じを受けたが、このところはかえって落ち着く。むしろやや暗めの中でもお店が開いている、、電車がやってくる、、ということに喜びがある。これまでのあの明るさに、意外と知らない部分で私たちは疲れていたのかもしれない。イルミネーションの光によって、実態が伝わらず、イメージだけが心に進入し、かくあるべきという無意識の上昇志向と結びつき、たいしたことのない実態を拡大させて見せていたのだと思う。そんなに良い商品でなくても、イルミネーションがあることで特別なものに感知され、思わず買ってしまう。こうして私たちの時代は、壮大な徒労をつくりだしていたに違いない。一生を働いて終えた老人が邪険にされる、、、生きる喜びが見出せない、、、将来を担う赤ちゃんや子供たちのことがないがしろにされている、、それは今、大人たちが夢中でやっていることが、実は徒労に終えるということの証明でもあろう。そしてそれをおかしくかんじさせなかったものが、イルミネーションの働きだったのだ。本当に必要なものは暗い中でも光って見える。イルミネーションにだまされてきた人類史に震災と原発で苦しむ日本人が気がつきだした。節電による不便さから、原発存続を狙う勢力もいるだろうが、そうした思惑は違ったものへ発展していく。人類操作がもっともうまくいった日本、共産圏よりもずっと社会主意義的搾取がうまく行ったこの日本で、イルミネーションの理想よりも、手ごたえのある現実が優先されていく。新しい文明のスタンダードが段々と作られていくだろう。豊かさとは、、、生きがいとは、、、健康とは、、、働くとは、、、美人とは、、、イルミネーションに照らされた理想の中で人類は踊らされてきた。さよなら、イルミネーション。