ひとつの命を生きた人々
私たちは一人一人が別個の命を持っているように見えて、ひとつの命を生きている。地球と一体となった一つの命。地球はすべての人の名前を知っているという。自分の子供なのだから。
今回の出来事で自分の命をかえりみることなく危険の中を動いた人がいた。三人の消防士の会見でもそのことが伝わる。さらに命を賭けて働いた東電の下請けの人びと、被災地で命掛けで働いている人びと。彼ら、彼女らには、もう自分のことなどない。自分を捨ててお役に立とうとする中で、もっと大きな一つの命をみつけた。共に生きる大きな命を見つけた。その命を分かち合う、人、動物、植物、鉱物、、、どれもがかけがえのない、仲間であり一体であることを知った。そして神はその働きに感応する。こうした人がいなくなった時に、すべては終わる。この危機は日本人を目覚めさせる。また目覚めなければ、もう先はない。もう悪人も善人もない。一体の一つの大きな命の分身同士が何を行い、何をなすか、、ただそれだけ。あなたはあなたがやるべきことを、誠意と真実の思いで行動すればよいだけ。そうすれば日本も世界も救われる。もう日本がふたつにわかれようがどうなろうが、あまり気にならなくなった。おそらくそうした試みは失敗したと思うし、とりあえず、危機は去った気がするが、これからもまだまだ政治的な脅しや陰謀があるかもしれない。しかしもう恐れる必要はない。その時どきで、誠意と思いをもって自分がやるべきことをやっていく。お役として生きていく。お役として生きていくとは、ひとつの命に生かされている者通しであり、自分は山であり、自分は水であり、自分は他人でもあり、自分は自然であることを知る。その自然を私たちは自分ではないと思って汚してきた。その最たる悲劇がチェルノブイリであり、今回の事件だった。
これからもまだまだ色々なことがきっと襲ってくる。春負けの次は秋負けか夏負けか冬負けかはわからないが、次々にやってくる。誰がそうした中で助かるのか。今回の出来事からそれを知れる。
人の苦しみは自分の苦しみとして受け入れること。我が我が、、で助かる世は過ぎた。図々しい人が勝った時代はもう過ぎた。他人の危機を救おうとして伸ばした手にこそ、救いの枝が絡みつく。押しのけた手には災いが入る。時代は変わったのだ。