フェ-マ対耐える国民
いま、行われていることは、すごいことである。
これだけの災害にたいして救援物資が送れていることは、国民はおろかついにマスコミでさえおかしい、と思うようになっている。当然である。物資など道がだめでも自衛隊の協力があればその日の食料ぐらいは送れるはずだ。しかしそのように政府サイドが動かない。さらに勝手にボランティアに行くな、とか、個人的な物資の輸送はさまたげになるのでやめてくれ、などと言い出す。とんでもない妙な話しだ。国が支援する気配がないので国民が動こうとしているだけではないか。被災地の民はもう殺されるのではないか、、、という危機感を感じている。本当にその危険がある。さらに、東京都の現状はいったいどうなっているのか。一切、マスコミは報道しない。救援物資を必要としているのは、都民もそうだという点はないか。東京の混乱と不安は一切報道されない。これが外国だったとしたらとっくに暴動が起きている。本当にすごい国民性だ。ここはとにかく耐えよう。耐えていればフェーマ体制をつくることはできない。いま耐える国民と新たな支配構造を構築するための戦いが繰り広げられている。
もうひとつの面では今回の災害が本当に手に負えなくなっていることもあると思う。当初の予定を超えて、もはや政府に手に負えない事態になりつつある面も見える。地球を本当に怒らせしまったのだ。
本当の危機に直面したなら、
くにとこたちのおおかみまもりたまえさきわいたまえ
と私は唱えることにする。気休めと言われればそれまでだが、言霊である。私はこうした事態が到来することを実は昨年から感じていて、この3月の危機を感じてきた。そして暮れに、こうした事態を何とか避けようと、一種の祈りの形を世に出した。
それが百歳姫の祈りであった。
このままゆかば大和の国は滅びなむ、、、から始まるこのシナリオは、最後に歌を神にささげることでなんとか大難を小難に変えようとするひとつの試みであった。
それは形にはなったが、後にこれにケチをつけられることがあり、魔が入った。それでも効果はあるはずである。歌なのだ。歌がきっとこの国を守ってくれる。こうした時期に歌会が開かなくてはならないが、これはまた状態が一段落した際に有志により行うつもり。
日本から始まった新たな動きがきっと光になって世界に広がっていく。三度目の原子爆弾、、、そして人は強くなっていく。