浅い震源
クライストチャーチでの被災により、まだ救出されていない人が300人いる。日本人もかなりの数にのぼる。その多くが将来の希望を胸に語学を学ぶ若き女性だ。一刻も早い救出を望む。
今回の震源は4キロ程度とかなり浅い。マグニチュードのわりに被害が大きかったのは震源が浅いためだ。最近の地震は震源の浅いものが多いと思う。震源の浅い地震が続くのはどうした理由だろう。気になるところだ。地球規模でのなんらかの原因がおそらくあるのだと思う。突然の陥没も各地で見られるし、おそらく原因に共通しているものがあるような気がする。現代は物事を根本的にダイナミックに捉える能力がどこも不足しているので、こういうことの推理に遅れが出る。政府組織などが絡むほど、こうした解明は遅れる。プロもあてにならないケースが多く、素人のまじめな研究者の意見などを聞きたいものだ。
リビアではカダフィがまだ粘っているが、もう時間の問題である。エジプトやチュニジアには米英の介入がすでに始まり、再び民意とずれた方向への折衝が開始されるのだろう。見せ掛け民主化で、もうだまされない民意がそうした流れを受け入れるはずはなく、中東はなんであれ、いずれ大ペルシャ化に進んでいくのだろう。その大ペルシャの復活は、イランが核になるだろうが、現イラン政権とは異なる。
あらゆる宗教は法衣を着たものに乗っ取られるという流れを数千年続けてきた。イエスを乗っ取った教会は免罪符までつくり、キリスト教の教理の基本は、人間は直接神とつながることはできない、、というものである。人間と神との間に介在者としての教会が必要ということであるが、しかしこれはイエスの言ったこととはっきりことなる。イエスは私の名によって複数のものが集まるところに私がいる。と言う。これを教会成立原理に利用されたわけだが、それは違う。人は個人単独ではなく、支えあい、作用しあう、二人という原理で機能することを言ったわけで、主は私の願いも聞くだろうが、それ以上に私たちの願いにたいして耳を貸すのだ。願いは私たちの形をとったときに動き出す。しかしそれは神の代理人としての教会を意味する言葉とは違う。こうして法衣を着たものがイエスを乗っ取り、一時代を築いていくことになったわけである。どの宗教にもそれはあてはまる。詐欺師には命を自分で生み出す力はない。なので詐欺師は命を作り出せるものを盗み、それを利用するしかない。正邪つきものの原則がそこにあるわけだ。しかしそのような時代は今、流れ去ろうとしている。米英はエジプトに人を送り、事態の収拾を自分らの有利な形ではかろうとするだろうが、時代の力によって無に帰すことになる。