色々な対談
ああ、忙しかった。
昨日は今田先生の高島屋にあるサロンでお話し。朝早く着くと、なんとそこに現れたのは、児玉清さん。お互いに、「あれ、愛先生、なんでここにいるの」「あれ児玉先生、なんでここにいるの」とオウム返し。児玉さんは雑誌の取材のようでした。すばらしいサロンでたくさんのかたがたと知り合えて楽しかったです。おいしい食事をいただいて午後からは雑誌の対談。多忙のため、対談内容を確認せずに出かけたら、なんだなんだ、、そんなに物騒なテーマだったとは。裏の勢力によるコントロール社会から、どう抜け出るか、、的なもの。なんだよ、それって。聞くところによると、そういうことに関心がある人に、私はけっこう人気があるとか。でも、私としては当たり前のことしか言ってないつもりだし、裏情報の専門家でもない。そこらへんを確認してから対談を始めたが、どんなコントロールがありますか、、、の質問に、思わず、「どこがコントロールされている、、、問う状況ではなく、もうすべてにわたっている、、、と捕らえてください」と、確かに過激なことを言ってるのかも。それは当然でしょ、と思う。陰謀などという必要はなく、お金をもっとも有効にもうける方法、もっとも権力を得るにはどうしたらいいのか、、、ということを考えている人はいるわけで、そうなればおのずとやり方や儲け方は決まってくる面があるはず。そのとおりのことを人類は本気でやってきている。そして、もう勝負はあって、人類は負けている、、、という面は本当は誰でもよく考えればわかることだと思うわけだ。人類を働かせて肥えさせる、、、ころあいを見てお金をどこかに託させる、、、要するに色々なバブルを生じさせる、、、そして最高潮のところで売り崩す。あらかじめ売り玉を目一杯作っておいてぼろ儲けする。その金で今度は実物資産を買い取る。ただ同然で。こうした羊狩りを何度も何度も行う。さらに利益率の高い戦争を起こす、壊す、作る、、、という流れによる莫大な儲けもあるだろう。こうしたやり方は確実に悪魔的だが、金儲けしたい、権力を得たい、、、という人にとってはもっとも効率のよいやり方だろうから、実際にやっている。陰謀などという前に、歴史をきちんとリアルにのぞけばそんなことは誰にもわかることなのだ。悪魔的なこうしたやり方は、悪魔の顔をしていたらできっこないので、反対の顔をつくる。そう、印象やムードや流行やマスコミ指導の価値観づくりなどで大勢をだます。これも当然セット。何も近代に始まったことでも何でもなく、イエスキリストが免罪符をよしとするものか。イエスの権威をのっとる、、、何か正しいものを乗っ取る、、、それが詐欺というものだろう。そう、人類は法衣を着た悪魔にやられたというのが、正しい歴史観なのだ。勝負はすでにあったので、どこの国民も苦しいことになっているのであって、私たちはそこから逃れるためには、何か新しい生き方を作るしかないのだ。金によらず、権威によらない生き方。地球とともにある生き方、、、だから彼らは地球を壊しだしている。この覚醒が近いことを知っているので、命の元である食料や地球を壊す必要があるのだ。それを本気でやってきている。そのため、地球は怒りだしている。このところの火山の活動はその表れだと思ってもいいと思う。メキシコ湾流の流れを止めて寒冷化をもたらし、地球を人質に取れる原子力発電所をつくる。まあ、すでに人類は未来を質に取られている。
対応策は、新たな生き方。これしかないと私は思う。具体的には、月に3万円で暮らせる。仲間がいる。農をはじめ、地球から命と食事をもらう。文化を愛し、命の元を知る。これらのことがセットになった新たな生き方を多くの人が実行する。月3万円で暮らせるだけで、私たちはずいぶんと楽になる。汲々としないで生きられる。そうなると未来について考えられる。まずはここからはじめることだ。月三万円とは、シェアしあう生活方法を考え、実行し、楽しむことだ。そうすれば汲々とせずにこれからのことを考えられる。米、味噌、塩、しょうゆ、大豆、魚、のり、梅干、野菜類、、食べるものはこれだけあれば生きていける。それどころか健康にすらなれる。すべてのシステムは乗っ取られている、、、と思うくらいの覚悟があれば、実は人は今ほど楽に生きられるほかの方法を見つけられる時代なのだ。偽りとうそと見せかけの時代が究極に至った反面、他の方法、神の方法もすぐ近くに見つかる。目と心がどこに向いているかで、人は悪魔にも神にもなる時代が訪れている。